30 パズルのピース <ギフト:田中桔梗さんから>
<30話あらすじ>
虎之助がさとしを連れて学校を出ると、百瀬は俄かに元気を取り戻した。
さとしと百瀬の間に自分の知らない何かがあるのだと確信する南朋。
百瀬と話すうちに不可解だった深町とさとしの関係に一つの答えが浮上する。
「俺らもって……笹森くん?」
「トラでええよ。俺も高木くんのこと、さとしって呼ばせてもらうわ。俺ん家はももちゃんたちとは反対方面。綾市との市堺なんよ。さとし家は綾市のどの辺?」
虎之助はもう一緒に帰ることが決定しているかのような調子でさとしの腕を引き、正門の方へ足を進めた。
「待って、笹森くん。僕、荷物を置いたまま」
「トラやてゆーてるやんか。荷物ならちゃんと持ってる。ももちゃんのも。ほい」
虎之助は、百瀬の荷物を本人ではなく後ろにいる俺へ投げる。
「あ。俺、バッシュのままだ。靴とってこないと」
百瀬はさとしの肩からするりと腕を抜き、体育館のほうを振り返った。
靴箱までわき目も振らずにダッシュする。
「ちょ、ももちゃん」
早い。さっきまでフラフラしていたはずのなのに。
深町が川に入るのを見た時もこんなふうだったのだろうか。
「なんや、元気やん。ほんまに今日のももちゃんは、よーわからんわ」
虎之助の呟きに無言で同意する。
朝はトイレで震え、足元も覚束なくなっていたのに、女の子を救い上げるために川へ入っていったり、いまみたいに走ったり。
かと思えば、急にふらついて座り込み青くなったり、赤くなったり。
虎之助は百瀬の消えた方に向かって大声で叫んだ。
「ももちゃん、ほなな! 帰ってゆっくり休みーやぁ」
もうすでに姿は見えず、声も返ってはこない。
「大丈夫かな」
後ろ髪を引かれているさとしの背中に虎之助が腕を回す。
「ええって。今度またみんなで遊ぼうで。のけものにせんとってな。こう見えても結構、寂しがり屋やねん」
初めて会った時、虎之助は俺たちに対しても同じように言っていた気がする。
すでにできている関係に入って行くには、これくらい強いアピールが必要なのかもしれない。
「いいね。さとし、今度こそみんなでバスケしよう」
俺は勢い込んで虎之助の案に乗った。さとしと何か約束が欲しかったから。
「え。まあ、いいけど」
さとしの返事を聞くと、虎之助は話をまとめてしまおうとばかりに具体化した。
「せや。綾川の河川敷にバスケのコートがあるやんか。そこでやろうや。古河っちらにも声かけてもろて。な?」
「僕、そこ知らない」
「まとめて案内したるわ。決まりな! 俺からも大魔神にラインしとくわ。あいつだけ一年やもんな」
いつの間にか八代とライン交換していたようだ。
これがコミュ強か。俺は尊敬と呆れの入り混じった視線を虎之助の背中に送る。
勝手に約束を取り付け満足した虎之助は、頼むでとさとしの背中をバンバン叩いた。
押されっぱなしなさとしの姿を見るのは新鮮だ。
自転車置き場との分岐点に差し掛かった。
ちょうど今朝、さとしと再会した地点だ。
体育館を振り返るも百瀬の姿はまだない。
「俺、ここで百瀬を待つよ。さとし絶対またやろう。近いうちに電話するから」
さとしの家電は小田にラインすればすぐに教えてもらえるはずだ。
「僕も南朋とももちゃんを……」
「さとしはチャリやないやろ。俺と一緒に帰ったほうがええって。行くで、ほら。話したいことが山ほどあんねん」
「なんで笹森くんが、僕に」
自分も残ろうとするさとしとガッチリ肩を組み、虎之助は正門を出て行った。
「えーから、えーから。じゃあな〜南朋。また学校で」
*
二人の姿が消えると、ようやく体育館の陰から百瀬が姿を現した。
「ごめん。足が濡れてて履き替えるのに手間取った。南朋、電車だろ。コーチはああ言ってたけど、ネコの世話、行ってくれて大丈夫だよ」
俺の手から自分の荷物を奪うと、さっさと自転車置き場へ足を向ける。
走ってきたからだろうか。顔色はいい。
「いや、一緒に帰ろう。もともと自転車で帰るつもりだったんだ。毎日綾川駅まで往復したせいで、Suicaにはもうほとんど入ってない」
深町の家までは電車で行き、帰りに自転車を拾うつもりだったから、本当は今日の往復分くらいはまだ残っていたけれど、伏せておく。
「そうなんだ。お昼は? 俺、コンビニ寄ろうかと思うんだけど」
「イートインで食って帰るか。昼食代はもらってきたから」
「やった」
俺の返事に百瀬は、練習中の様子が嘘のように飛び跳ねている。
あんなに辛そうだったくせに、もう食欲があるんだな。
安心したような、納得がいかないような。
心の底からホッとしている百瀬の姿に、俺は百瀬にとってさとしを避けたくなるような何事かがあったのだと確信を深める。
俺がさとしのことを気にかけているのを知っていたから、話しづらかったんじゃないだろうか。
自転車を出しながらこう切り出してみた。
「人に打ち明けるのは初めてなんだけどさ。俺、ほんとはさとしと喧嘩別れしてたんだ」
そう言えば百瀬も抱えているものを打ち明けやすくなるかと思ったのだ。
本人のいないところで陰口を言うようで気が重いけれど。
俺の正面に自転車を停めていた百瀬は鍵を開けるのも忘れて俺を見つめた。
「ずっとお前が嫌いだったって言われた。さとしのほうは覚えてないのかもしれないけど、結構ショックでさ。それが最後になったし。だから、俺も今日すごく緊張してたんだ」
——偽善者。バカにしやがって。僕はずっと嫌いだったよ、南朋のこと——
言われたことを思い出すと今でもチクリと胸が痛む。
あの翌日からさとしは学校に来なくなった。
週末行われた運動会のリレーも頼みのアンカーがいない白組は最下位だった。
風邪が長引いていた百瀬も運動会には参加できなくて、俺はあの日のことを一人で抱え込んだ。
結局その後、顔を見せることのないままさとしは転校してしまった。
さとしと百瀬が話したのはいつが最後だったんだろう。
百瀬はふうんとつぶやき自転車を出した。
水を向けたつもりだったんだけど、そんな都合よく打ち明けてはくれないか。
「今日は俺、さとしと普通に話せてホッとしたわ」
「……よかったね」
百瀬はペダルに足をかけ、正門に向かってスーッと自転車を進めた。
校内は押して歩くのが決まりだからか、乗ってはいませんよというふうに片足を引っ掛けたまま流している。
話を打ち切りたいのだろう。
百瀬とさとしの間には、確実に俺の知らない何かがある。
*
コンビニで百瀬はメロンパンとミルクフランス、デザートにプリンまでつけて席についた。
「せっかく座るんだから、あったかいものにすればよかったのに」
「なんで。暑いじゃん」
百瀬は即答し、いきなりデザートのプリンを開けた。
よくもそんな甘くて脂っこいものばかり食べられるものだ。こっちが胸焼けしてしまう。
俺は湯を注いだ即席の春雨スープの蓋を開ける。
主食はたらこパスタと親子丼で迷って、親子丼にした。
「南朋。そんなしょっぱいものばっか、よく食べられるね」
確かに母が見たらサラダくらいつけなさいと説教しそうな気はするが、八百円しかなかったのだから仕方がない。
「お菓子みたいなのばっか選んでる百瀬には言われたくないな。まあ、食欲が戻ってよかったけどさ。悪い病気だと怖いから、早めに病院連れてってもらえよ」
幸せそうにほっぺを落とす百瀬は、どこから見ても健康そうだが、あの時のただ事ではない様子はやっぱり気にかかった。
百瀬は軽く受け流す。
「心配性。緊張したたけだって。俺、全然バスケ上手くなってなかったからさ」
成長したところを見せたかったってことだろうか。
ビビリな俺と違って百瀬はそんなあがり症でもなかったと思うんだが。
「さとしを意識してもしょうがないだろ。百瀬だって小学生の頃よりは断然伸びてる」
慰めたつもりだったが失礼だったのかもしれない。百瀬は思いっきり眉を顰めた。
「意識なんかしてない。あんなヤツ。……てかさ、さとしと深町さん。どういう関係なんだろう。吉永さんがコーチに話してたけどなんか噂されてたんだって?」
「百瀬だって聞いただろ。ステージでみんながしゃべってたの。俺だってそれ以上は知らない」
「ステージで? あ、あれか。なんだ。そっか、さとしと深町さんのこと……」
百瀬はなぜか頬を緩め、ははっと笑った。
——変態。小学生のやることじゃない。見る目変わるわ——
古河たちの目つきや、部の連中の嫌悪感の滲んだ声色が浮かび、目の前の百瀬に重なる。
「笑いごとじゃなくない? 結構酷い噂だっただろ」
そんなに深町のことが嫌いなんだろうか。あの噂を聞いて笑うなんて。
「あ、いや。ちょっと俺、なんか誤解してて」
口元を覆って誤魔化しているけれど、目が笑っている。
親友の嫌なところを見てしまったようで、なんかショックだ。
百瀬には直情的で辛辣すぎるところがあるけど、元来真面目で、正義感が強くて、人の噂に暗い喜びを見出すようなヤツだなんて思ったことなかったのに。
「感じ悪いよ。お前」
「ごめん。ほんとにそんなつもりじゃなかったんだって」
平謝りする百瀬を前に、俺は一旦気持ちをおさめ、ずっと頭の中にあった疑問をぶつけた。
「でも実際、深町のあの”なるみちゃん”っていったいなんなんだろうな」
「さとしのお姉さんの名前だろ。高木成美。よく絵で賞獲って全校集会で表彰されてた」
みんなが疑問に思っていたことに百瀬があっさりと答えを出した。
「え。ぜんぜん覚えがない。ってかさとし、一人っ子じゃないの?」
「結びつかなくて無理もないか。全然似てないんだもん。小さくて、地味で、守姉が同じ絵画教室に通ってなかったら俺だって知らなかった」
小さくて地味? 体格が良くて華のあるさとしとは真逆だ。姉弟でそれほど違うことがあるんだ。
「とすると深町はさとしと相当親しかったのか。成美さんは当時小学生じゃないんだから。家に出入りするでもなけりゃ知り合う機会がない」
しかも、毎日教室で一緒に過ごすクラスメイトの名前すら覚えられないでいたあの深町が、名前を覚えるほどに何度も。
「さあ。じゃあ、まあそうなんじゃないの」
百瀬は興味なさそうに視線を逸らした。
変態。小学生のやることじゃない。見る目が変わる……。
ちょっと待って。
まさか、本当に深町がさとしの家に出入りして、あんな噂を立てられるような関係をさとしと?
けれど、あのごく親しげにふるまう深町に対する、さとしのよそよそしい態度は、弄ばれたことに気づかず付きまとう女と、しらばっくれて消滅を狙うずるい男のように見えなくもない。
まて。小学生だぞ?
なんてことを考えてるんだ。自分で自分を嫌悪し、思わず両手で顔を覆った。
清水中の連中の含みのある視線や嫌な笑い。深町の越境の理由。
不可解だったことがパズルのピースのようにはまってしまう。




