29 男の子 女の子 <ギフト:貴様二太郎さんから>
<29話 あらすじ>
吉永は、深町の不可解な態度のわけを自分なりに考えて口にしたことで、心の落ち着きを取り戻していく。
頑なだった深町の態度も自然と軟化し、二人は仲直りする。
一人不満げな顔をする百瀬を前に、南朋は自分の言動の矛盾に気づくが……。
「それで、結局靴の踵を折った原因はなんだったんだ」
コーチは未だ顔を上げようとしない深町ではなく吉永に経緯を尋ねた。
吉永はさっきまでの涙が嘘のようにケロリとした顔で説明する。
「側溝の金網にはまったんですよ。どんくさいですよね。びっくりしました」
なかなかにいいたい放題だ。
「わざとじゃないんだよな」
「当たり前じゃないですか。そんな危ないこと、わざわざする人います? 深町さん、顔から転けましたからね。それは私も、高橋さんも疑ってません」
吉永の、持ち前の物おじしない性格が戻っている。
人の心は不思議なものだ。
大事な靴は壊れたままで、謝罪があったわけでもない。
状況は何も変わっていないのに、吉永の気持ちは勝手に浮上する。
虎之助に理解され、深町が自分の気持ちを蔑ろにしたわけではなかったと思えた。
それが心境を変化させたのだろうか。
吉永は胸の中の白いハイヒールに目を落とした。
「悲しいけど、靴のことはもういいです。だから、その代わりって言うんじゃないけど、深町さんにもかなえのことを許してもらいたい」
顔を上げた深町の左の頬が微かに赤くなっている。
「嘘をつかれたらわかるわけがないんだ。でも、ひ、人の気持ちもわからずに、自分のことばっかり言って……ごめんなさい」
あのよく通る声が滲んで、最後は泣き声になる。
執拗に自分の正しさを主張しつつも、謝罪したことに驚く。
不可解で残酷に映る深町の行動が、吉永に推理され、悪気はなかったのだと理解された。
理解されると人はこんなにも、変わるのか。
「……うるさい」
深町の隣に座る百瀬が、両手で耳を覆い、不快そうに二人から顔を背ける。
その姿は普段よりもっとずっとか細く見えた。
昔から百瀬は、思ったことが顔に出るタイプの子どもだった。
園でも、小学校でも、失敗に動揺しては目を潤ませ、喧嘩で憤ればすぐ顔を真っ赤にした。
「男だろ」と呆れられないように。「情けない」と失望されないように。弾かれないように、涙を堪えてきたんだ。
俺も「強くならないとな」なんて肩を叩いていたように思う。もちろん励ますつもりで。
泣いたら負け、弱いのは恥、感情を表に出すのは悪いことだと教わってきたんだ。
俺たちは、今よりずっと弱くて、小さかったのに。
俺は百瀬の正面にしゃがみ込んだ。
「百瀬。吉永も、深町も、泣いて人になんとかしてもらおうなんて思ってないよ」
俺は「こんな顔させたままではダメだろ」と泣いている吉永を庇った。
百瀬にかつて「泣くな」と命じたのと同じ口で、「泣くな」じゃなくて「泣かせるな」と言ったんだ。
頼まれたわけでもないのに。彼女がひとりでは何もできない弱い存在だと言わんばかりに。
「コントロールしようとしたのは、俺だ。吉永の涙を理由に、深町から罪悪感を引き出そうとした」
百瀬の刺すような瞳を前に、いたたまれない気持ちになる。
名前を出された二人は同時に全く違う反応を見せた。
「そうだよ。どうしてほしいのかはっきり言わないから、困ったんだ」
「え。なに? どゆこと? コントロールって?」
深町は鼻水を垂らしながら叫び、吉永が眉を八の字にして苦笑する。
「それのなにが悪いんや。相手が気づいてないんやったら、わからしたったらええやんか」
虎之助が首を傾げる。
でも、百瀬には感情を出すのを禁じてきたくせに、吉永や深町には人の感情を受けとめなきゃダメだというのは……やっぱり、変だ。
「あっそ。……女ってだけで、庇ってもらえていいね」
百瀬はふいっと俺から視線を逸らしてしまった。
*
「どうしたの、高木くん」
小田の怪訝そうな声に目を向けると、黙って成り行きを見守っていたさとしが口元を手で隠し、笑いを堪えていた。
「あ。いや、なんか。よかったなあって」
「よかった? たしかに解決はしたけど、笑うとこだったかな」
小田の指摘にさとしは困ったように首を傾げた。
「いや、新しい学校でいい友達を見つけたんだなって思ってさ」
さとしは微笑み、この場にいるメンバーを見回した。
「深町さんのこと?」
「うん。黒いネコの友達だっけ」
小田の問いに頷き、さとしはさっきコーチに説明する時、小田が使った言葉を引き合いに出した。
「そう。高木くんもぜひ協力して」
「あはは。……僕には動物を世話する資格なんてないよ」
すかさず小田が誘い掛けるが、さとしは苦笑し、さっと目を逸らしてしまった。
試合前、呼び止められた時は深町のことを覚えていないふうな態度だったのに、まるでずっと心配していたかのようなものいいだ。
「よく知ってるんだな。深町のこと」
「まあ、それなりには?」
俺の疑問に意味深な眼差しを向ける。
ふと深町と喧嘩した日、公園でバスケをしていた小学生が深町を指して「有名人だ」と言っていたことが思い浮かんだ。
もしかすると深町は、同じ学校の子どもであれば学年が違っていてもみんなが認識しているような児童だったのかもしれない。
たった数ヶ月しか一緒じゃなかった、転校生のさとしでも。
名指しで噂していた古河たちの含みのある視線が頭をよぎる。
「でも、ほんとによかった」
鼻を噛む深町の姿を見つめるさとしの柔らかく、だけど、どことなく寂しげな表情に、ついじっと見入ってしまった。
「それにしたって、なんで高橋さんまで学校を飛び出したんやろ。深町さんを追いかけてったん?」
虎之助の疑問に、吉永は少し考えて頷いた。
「そう。でもかなえはミュールだったからなあ。あ、踵に留め具がない靴。ここから見た感じ、川にはきてなかったよ。見失っちゃったんじゃないかな」
靴のない吉永はこの場所に留まっていて、様子がわからなかったようだ。
百瀬は鼻からふうっとため息をつく。
「高橋が戻らないのは、俺が責めたからだよ。ありえないだろって。深町さんは俺に、靴を投げられたことしか言わなかったからね」
「そうなんだ……」
開き直った百瀬の口調は、だから自分は悪くないと主張しているかのようだった。
*
「これで、もうわだかまりはないってことで、いいんだな」
全員が頷くのを確認するとコーチは腕時計を確認し、話を締めにかかる。
「吉永さんの靴の件については深町さん家に学校から一報入ることになると思う。親が与えた大事なものだ。子どもだけで解決ってわけにはいかない。みんな自分で家の人にはちゃんと話しておくように」
「先生、なると思うってどういうことですか? 先生が電話するんじゃないの」
吉永が浮かんだ疑問を率直に口にする。
「俺は雇われのコーチであって、学校関係者じゃないからな。部外者の連絡先など把握できる立場にない」
「え。そうなんですか? あのう……実は、私この学校の生徒じゃないんですけど」
「残念だが、そっちの学校経由で連絡させてもらうことになるな。大葉と同じ小学校出身だって言ってたが……城東中か」
「げ〜〜、言うんじゃなかった! 先生、じゃなくてコーチ。なんとかなんないんですか。私、謎の少女Aってことでいいですよ?」
「言わなくても調べ上げられるぞ」
誰も口を挟めないテンポで吉永がコーチにズバズバ切り込み、返り討ちにあっている。
コーチは関係者全員のクラスと氏名を記録すると百瀬に尋ねた。
「百瀬。送って行くか」
「大丈夫です。帰れます。明日、自転車ないと困るんで」
百瀬は不機嫌そうな声で即答する。
「ふむ。じゃあ、大葉。送ってやれ。お前の家、近所だろ。」
「え、あ……はい」
コーチに振られてつい返事してしまった。
ネコの世話をする約束があるのだが、現実問題、百瀬をひとりで帰すのは心配だ。
諦めるしかないだろう。
俺の返事を聞くとコーチは「気をつけて帰れよ」と言い残し、校舎へ入っていった。
小田が口を開こうとするより前に、さとしが宣言した。
「南朋はこのあとネコのところへ行くんだろ。僕がももちゃんを家まで送るよ」
百瀬は口をポカンと開けて、さとしを凝視している。
「あれ。でも、清水中って綾市の学校やろ。反対方面やないん」
虎之助の疑問に微笑みを返し、さとしは壁にもたれて座っている百瀬に手を伸ばした。
「うん。帰りは城東駅から電車に乗るよ。僕がももちゃんの自転車を漕ぐから、後ろに乗ってくれればいい。あの辺のことはよく知ってるから、任せて」
さとしは抱えていた荷物を足元に置き、百瀬の両脇に手を入れて身体を引き上げた。
百瀬の抱え込んでいた俺のジャージがコンクリートに落ちる。
「ほら。立ち上がるのもつらそうだ。遠慮しないで。自転車はどこ」
「だ、大丈夫! さとしが漕ぐにはサドル低いし。俺のチャリには荷台がないから」
されるがままに肩を組まされた百瀬は声を裏返らせて叫ぶと、落ちたジャージに手を伸ばした。
俺がジャージを拾い上げると、百瀬の潤んだ瞳と目が合う。
目の周りが泣きそうな子供みたいに真っ赤だ。
薄々感じていたけど、百瀬はさとしを避けている?
さとしが百瀬に対して強引なのも、百瀬がさとしのちょっかいに大げさなくらい抵抗するのも昔からだけど、でも前とは何かが違う気がしたんだ。
「道路交通法違反! なるみちゃん。二人乗りは道路交通法違反だよ」
突然、深町がさとしの鼻先に目掛けて人差し指を伸ばし、大声で宣言した。
指先が鼻に触れそうなほどの至近距離だ。
吉永が、戸惑うさとしの前から深町を引き離し、ドンマイと肩を叩く。
「なるみちゃんって……彼、どうみても男の子じゃん。高木さとしっていうんだよ」
「そうだけど、病人相手なら尚更二人乗りはダメだ。それより、なるみちゃん、暇なら一緒にこないか。また、ネコの面倒を見よう」
深町はそうだけど、などと言っておいて、再びなるみちゃんと呼びかける。
しかも、捻挫した俺に聞いたのと同じくらい場違いなタイミングで強引にネコの話を捩じ込んで、「また面倒を見よう」って、一体どういうことなんだ。
さとしは深町のなるみちゃん呼びをスルーして、百瀬に話を振った。
「ネコの世話ならももちゃんに頼めばいい。まるで動物屋敷なんだ。一番上のお姉さんの面倒見がいいらしいから。ね」
「は? そうやってまた、ひとん家に押し付けて……」
「ちょ、ちょっと待って、さとし。またって、どういうこと」
俺は深町の発言を指したつもりだったが、ムキになって返答したのは百瀬だった。
「別に、深い意味はないよ。昔、南朋だってネコつれてきたし……みんなって意味で」
自分が聞かれたと誤解したようだ。
深町は俺と百瀬のやりとりなど目に入っていないかのように、ひたすらさとしに熱烈な視線を送る。
「ネコの動画もあるんだ。そうだ。ラインで送るから、学校でも協力できる人がいないか聞いてみてほしい」
「僕、スマホ持ってないって言ったろ」
深町の押しの強さに巻き込まれてここまできた俺には、さとしの困惑が手に取るようにわかった。
しかし、深町も、小田たちクラスメイトに声をかけるのを渋っていたのとは、えらい違いだ。
小田に対してなんか、最初敬語だったのに。
「じゃあ、みんな連れて私の家に来るといいよ。首の内側に白い毛のある黒ネコで……」
「無理だってば! 悪いけど、諦めて」
さとしが珍しく大きな声を出して、深町の話を遮った。
空気を読んだ吉永が深町の制服を引っ張る。
「無理言ってもしょうがないよ。よし。今日は女子だけで行こ! 深町さんも、由美ちゃん家で着替えないといけないし、男子は邪魔だぁ」
「ごめんね、大葉くん。お家の人に事情を話すのにも巻き込んじゃうことになるし、私たちだけのほうがいいかも。百瀬くんと一緒に帰ってあげて」
小田も流れに乗る。
「あ、うん。わかった。じゃあ」
「みんなまたね! ももちゃ……百瀬くんもお大事に」
俺の返事を聞くや否や、吉永が正門のほうへと深町を引っ張った。
「えっ、あの、 なるみちゃん……」
「深町さん。凛花ちゃんたちが、改札前で待ってるから、急ごうか」
まだ話し足りないと言った様子の深町は、小田と吉永に両腕を取られ、有無を言わさず引きずられていく。
「かなえ。ももちゃんに誤解されて、ショック受けてんだろ〜な〜。深町さん、ちゃんとかなえに誤解は解けたって言ってよ?」
女子たちが行ってしまうと、虎之助が感心したようにほーっと息をついた。
「喧嘩しとったはずやのに、いつの間にか深町さんも馴染んどるわ。ほな、俺らもぼちぼち行こか」
虎之助は小田たちを真似て、さとしの腕をとった。




