28 良かれと思ってみんな <ギフト:相内充希さんから>
<28話あらすじ>
吉永たちと深町が喧嘩になったきっかけは、深町が借りた吉永の靴の踵を折り、かつ「捨てておく」などと暴言を吐いたことだった。
一同が涙する吉永に同情する中、百瀬はひとり「涙で人をコントロールするのはズルい」などと吉永に対し辛辣な評価を下す。
場所を変えるのかと吉永は、踵の折れたハイヒールを拾い上げ、胸にぎゅうっと抱き抱えた。
口の端を引き攣らせ、目には涙が浮かんでいる。
「えっと。ちょっと待って。さすがにこのままどうぞってわけには、いかないんじゃないか。俺たちはもちろん、実際に巻き込まれた百瀬にさえ何が起きたのかわからないままなんだ」
吉永の気持ちも、とはあえて口にしなかった。
言ってしまうと、せっかくこらえていたのに泣き出してしまうんじゃないかと思ったから。
「大葉の言う通りだ。吉永さんは靴を壊されているし、百瀬のバッシュもダメかもしれない。深町さんの制服も泥まみれだろう。川の水は汚いぞ。子どもだけですませていい問題じゃない。顧問を通して学校からも連絡を入れさせてもらう」
コーチは外部から雇われてきているので、学校のルールにも、バスケ部以外の生徒にも詳しくない。
高橋の顔はもちろん、吉永がよその学校の生徒だということも把握していないだろう。
「えーっ。説明ぐらい自分でします」
学外から私服できている吉永は叱られる要素がてんこ盛りだ。必死の抵抗を見せるもコーチはキッパリと言い切った。
「今のまま帰して、君と深町さんが家で同じ説明ができると思うか? 壊したものについてはどうする? 親御さんが事情を確認したくても学校が知らないんじゃ困るだろう。これは信用の問題だ」
「……最悪ぅ」
吉永が天を仰ぐ。
「百瀬の家には俺が直接話をする。体調の件もあるしな」
「するなら電話にしてください。親は月曜までいないんで」
百瀬の言い分にコーチは唖然とする。
「またか。そんな体調なのに、大丈夫なのか。子どもだけで」
「成人してる姉がいることはいますし。いつものことですから」
百瀬の家は父が単身赴任で、母も出張が多い仕事だ。
子どもも動物もいっぱいいるせいか、おおらかというかなんというか、生きてりゃなんとかなるっしょな感覚の家だ。
それこそネコが一匹増えたところで構わないような。
うちとはずいぶん文化が違う。
俺は深町の横顔を真っ直ぐ見据えた。
「吉永さんの大事なものを壊しちゃったんだろ。こんな顔させたままで猫の世話になんか行けないんじゃないか」
どういう流れで吉永の靴を壊すことになったのか、詳しい事情はわからない。
でも深町が壊したんだ。それは本人も認めてる。
深町がしたことで高橋や、百瀬や、小田さんたちにコーチまでみんなが駆け回ることにもなった。
ちゃんと事情を話してくれてもいいはずだ。
「靴のこと、私ちゃんと謝ったよ! でも、この人がいらないって言ったんだ。もう見たくないって。だから、私が持って帰って捨てておくって言ったのに」
深町は吉永を指差し、興奮した様子で反論した。
「捨てておく?」
驚いた。
壊されてショックを受けているところに、なんでそんな追い打ちをかけるようなことを。
こんなの聞いたら高橋が友達として黙っていられないのも当然だ。
「マジ? いや〜、捨てとくってのはあかんやろ。悲しなるで」
吉永とは初対面の虎之助も同情する。
味方を得た吉永は、目を真っ赤にして怒りをあらわにした。
「ね! フツーわかるよね。見てられないくらい悲しいってことだって。超、超お気に入りだったんだよ? なのに捨てるなんて言うから、かなえは……」
一瞬でも同じ思いを感じさせようと、ローファーを手にし、捨てるフリをした、と。
感極まって涙をこぼす吉永に、深町が激昂した。
「嘘をつかれたら、わかるわけがないだろう! それに、だからって投げるフリなんて脅し、やっていいことではないっ」
深町は人にいらないと言われたら、不要なのだと理解する。
見たくないと言うのなら、見るのも嫌なのだと受け取ってしまう。
以前、俺が手首を怪我した時、教室内の深町を責める雰囲気を納めたくて言った「この話は終わりにしよう」という言動を、文字通りに「南朋はこの話をしたくないのだ」と受け取っていたような子なのだ。
償うつもりで吉永の願い通り、彼女の目に触れないよう、自分が持ち帰り捨ててあげなくてはと発想してもおかしくない。
「いや、確かに投げるフリは良くないと俺も思うよ。思うけど……」
「みんなあっちの気持ちはわかるって言うんだ。私の気持ちはわからないのに」
気持ちを汲んだつもりだったが、深町の興奮はおさまらない。
俺の驚きや虎之助の吉永への同調、みんなの視線が、他の人にはちゃんとわかることなのだと証明し、深町をひとりにしてしまった。
「フツーわかる」が自分だけわからない不安。誤解され、わかってもらえない悲しみが、深町を興奮の渦に引き込んでいる。
開き直って見える深町の態度に、虎之助が呆れてため息をつく。
「人の物壊してといて、じゃあ捨てとくねって。誰にもわからんでそんな気持ち。サイコパスやん」
「笹森!」
コーチが虎之助の暴言を一喝する。
何か言わなくちゃ。深町はサイコパスなんかじゃない。
「思うんだけど、深町が捨てておくって言ったのは……」
俺が口を開くと同時に、ずっとイライラした様子でいた百瀬がピシャリと言った。
「吉永さん。泣くのやめなよ。泣いて人をコントロールしようとするの、卑怯だ」
「えっ」
意外にも百瀬がきつい言葉をかけたのは、深町ではなく涙で頬を濡らす吉永のほうだった。
*
「え。なんで。私? 私が悪いの?」
百瀬の非難にショックを受けたのだろう、吉永は顔色を失いそう呟いたきり、黙り込んでしまった。
吉永にとって深町との一件は混乱に満ちたものだったのではないか。
まさかの捨てておく発言に始まり、脅しを真に受けての川への侵入。コーチや百瀬からのまるで自分が加害者であるかのような聞き取り。
思いの通じない悔しさに耐え、大事なものを蔑ろにされた悲しみを堪え、聞き取りが進んで、ようやく気持ちが掬い取ってもらえたかと思った矢先、思わぬところから責められる。
混乱するのも無理はないように思える。
コントロール。
俺には、吉永の涙は自然な感情の発露のように見えていたのだが。
「こんな顔してるから何? 泣いてるから何かしてあげなきゃいけないの。泣くほど辛かったら何をしても正しいわけ」
百瀬は燃えるような目で俺を睨みつける。
怒っているのは俺に対してなのか。異様なまでの興奮にたじろぐ。
「えっ……と」
「黙ってても周りが動いてくれていいね。女子は」
百瀬はわざわざ人に見せつけるような嫌な、ため息をつく。
吉永を庇うようなことを言えば余計に火がつくと思ったのか、虎之助も口をつぐんでいる。
「百瀬。四方八方に噛みつくな。思い込みが激しいのはお前の悪いところだ。よし、一旦整理するぞ。まず君たちはなぜ休日に学校へ集まったんだ。そこから靴を交換した経緯までを整理してくれ」
コーチが指示を出すと、百瀬はフンと鼻を鳴らし、俺から目を逸らした。
ピリピリした空気を変えるように、小田がハキハキと話し出す。
「じゃあ、私から説明します。土曜日に学校へ集まろうと言い出したのは、私です」
小田は、深町の助けた黒いネコの預かり先を見つけるために、同じ小学校出身の友達にラインを通じて声をかけたことを順序よく説明した。
最初にネコの世話を手伝ったのが俺だったので、俺にも声をかけたこと。
バスケの練習が終わったら合流して一緒に向かおうと約束したことまでを話すと、吉永に話を振る。
すっかりテンションの下がってしまった吉永は、小田のほうを確認しながら、体育館に着いてからのことを口にし始めた。
「えっと、なんだっけ。うちら最初、体育館で高木君を見て盛り上がったんだよね。彼は私たちと同じ宮下南小出身で。大葉君や百瀬君に会えるのはわかってたけど、まさか高木君がいるとは思わなかったから、休憩時間に呼び止めて色々話してたんですけど……」
吉永はその時の清水中のおかしな反応についても言及した。
「ほう。深町さんは高木君の引っ越して行った小学校の同級生なのか」
コーチの言葉にさとしが頷く。
深町はあれから誰もいない壁のほうを向いて黙り込んだままだ。
「やっぱり、そうなんだ。深町さんは、高木君のことをなるみちゃんって呼んでたし、人違いなのかぁとも思ったんだけど」
吉永の問いに、さとしは黙って愛想笑いを返した。
「百瀬、どうした。座ってるか」
コーチが前に立つ百瀬の両肩を掴んだ。
「すみません、疲れたみたいです」
「今日のお前は、ちょっと心配だな」
さっきトイレにいた時と同じだ、と直感する。足が立たないんだ。
コーチは百瀬を深町のすぐそばの壁沿いにゆっくり座らせた。
「水を飲みますか」
突然、深町が覚醒し、通学用リュックからペットボトルの麦茶を出して、百瀬の前に膝をついた。
敬語だ。
「いい」
百瀬は頭を上げもせずに、手の甲で麦茶を押し戻す。
「でも、熱中症かもしれないだろう。飲んでおかないと……」
深町は強引に麦茶を百瀬のそばに置き直した。
「……深町さん。俺はやっぱりあんたが嫌い」
百瀬は深町を睨みつけ、コンクリートの上に落ちたままになっていた俺のジャージを手繰り寄せた。
寒いのだろうか。膝に掛け、抱え込む。
コーチが百瀬を強い言葉で嗜めた。
「百瀬。話の邪魔をするな。黙ってろ」
叱責をものともせずに百瀬は話し続ける。
「深町さん、高橋に靴を投げられたって言ったよね。自分が先に人のものを壊してたくせに、都合のいいところだけを話して。南朋に怪我させた時と同じだ」
「違う。報復だなんて考えもしなかったんだ。突然、靴を投げられてびっくりしていて……」
そうか。深町にとっては突然、なんだ。
捨てると言われた吉永のショックを感じ取れていなかった深町には、コーチが話を整理するまで高橋の行動が吉永を傷つけられた報復なのだと理解できていなかった。
だから吉永に「一緒に見たのに、どうして嘘をつくんだ」と言っていたんだ。
報復だと理解した後も、ちゃんと謝って吉永の希望を叶える提案もしたのに、関係のない高橋が報復するのは不当だと信じていたからまっすぐ主張し続けた。
一貫している。
「人の靴を壊しておいて、そんなの通じないよ。自分のことは棚に上げて人のことばかり責める。最低だね」
「ちが……ちがうのに」
大粒の涙を落とす深町に百瀬が追い打ちをかける。
「泣けば同情が集まると思ってる」
「ももちゃん、さすがに鬼畜やで」
押し留めようとする虎之助を、百瀬はぎろりと睨みつける。
「女は簡単でいいね。トラだって男相手なら、何、泣いてんの、男のくせにっていじり倒すくせに」
「なにゆーてん、そんなことせんって」
「百瀬」
身に覚えがありすぎるせいか、嗜めるコーチの声に勢いがない。
「喰らいつけ、男だろ」「男が言い訳するな」「ここで動けない奴は、男じゃない」
バスケ部でコーチからこれらの言葉を聞いたことがない奴はいない。
今だって「なにを女々しいことを」などと言いたそうに肩をすくめている。
深町が困ってる。何か言わなきゃと思うものの、このタイミングで深町を庇うようなことは口にしづらかった。
ただでさえ俺は、百瀬とは深町の件でこじれているのだ。
かといってこのままでは……と思っていた矢先、吉永がハイっと手を上げた。
「待って。私、思ったんだけど。この子、全部本当のことを言ってるんじゃないの」
全員の視線が吉永に集まる。
吉永は一瞬たじろいて、話し始めた。
「だって、悪気がないと考えたら辻褄が合うの。私がほんとにいらないって思ってると思ったから、平気で捨てときますなんて言えたんだし、かなえが私のために怒ってるってわかんなかったから、突然投げられたなんて本気で怒ることができたんじゃない? じゃなかったらフツーここまで人の気持ちを無視して自分の靴のことばっかり言い続けられないと思う」
「人を無視して自分のことばっかりって……。杏ちゃん、もっとなんか言い方なかったかな」
小田が心配になるのはもっともだが、吉永の指摘は鋭い。
「いや、吉永の言いたいことはわかる。もしも深町に、壊れた靴を見ていられないほどショックで悲しい気持ちでいることや、大事な友達が傷つけられるのにいてもたってもいられなくなっていることが伝わっていれば、きっと同じようにはしなかった。俺もそう思うよ」
俺の発言に吉永がそうそうと前のめりになる。
「言いたかったのそういうこと〜。深町さんって人の気持ち全然わかんなそうだし、思い込みも激しそうだけど、意地悪とか絶対できなさそうだもんね?」
小田の言う通り、吉永はもう少し言葉を選んだほうがいいとは思う。
吉永の気持ちは深町に伝わっただろうか。ちらりと彼女のほうを覗き見る。
深町は、案外自己評価が低い。
あの本を俺が見てしまったときのように、マイナス思考に陥っていなければいいけれど。
膝を抱えて俯いたままだ。




