第二十話 アリーチェとお供と大冒険 1
──時間はルカとレナエルが出かけた直前まで遡る。
そこには覚悟を決めてキリッとした顔(アリーチェ主観)のアリーチェがいた。
今日は大好きな兄が、大好きな姉と出かけてしまったので、アリーチェも一大決心をした。
「きょうはだいぼうけんなの!」
アリーチェは両手を胸の前でギュッと握りがんばるのと、決意する。
ルカと一緒に家の中を一通りは見たけれど、アリーチェ一人では見たことはなかった。
大きい家にすごいと思ったけれど、やはりその大きさは小さいアリーチェには怖くも感じたからだ。
いつもソニアが家事をしている時は、ルカが作ってくれた積み木をしたり、辺境伯から貰った人形で遊んだり、みゃーこがいる時はみゃーこで遊んでいる。
だが今日はちがうぞっと自分の決意を食堂で掃除をしていた母に伝える。エドワードもロジェも、僅かに残った計画範囲の木の伐採に出かけたので今はいない。
「おかあさん、ありーちぇだいぼうけんにいってくるの!」
「そうなの? 何をするのかお母さんにも教えてくれる?」
「おうちのなかのぼうけんなの」
「あら、それは大冒険ね、お母さんも一緒に行こうか?」
「ありーちぇのだいぼうけんだからひとりでいくの!」
「そう、でもありーちぇお外には出たら駄目よ。それと危ないことはしないって約束できる?」
「あい!」
「約束破ったらお兄ちゃんにいっぱい叱ってもらうからね」
「……あい」
母親のソニアはアリーチェが自分よりも夫のエドワードよりも兄のルカに叱られることを怖がっているのをよく知っていた。ルカは普段はベタベタに甘いけれど、アリーチェがあまりわがままがひどいと諭すようにしっかりと叱る。それに少し前に強く叱られたこともまだ心に残っていた。
今のアリーチェはルカに嫌われることが一番怖い。悪い子になったら嫌われると思っている節もあるので──傍から見ていると絶対にありえないことなのだけど──少し想像しただけでも今みたいに元気がなくなる。
「アリーチェが危ないことしなければ、大丈夫よ。ほら大冒険にいってらっしゃい」
「あい」
アリーチェの背中をやさしくなでた後、いってらっしゃいと軽く押すソニアはこっそり見守ってたほうが良いかしらと思ったけれど、どこからか現れた白いふわふわが面倒臭そうにアリーチェの後ろを付いていくのを見て、そのふわふわにアリーチェを任せていいだろうと納得するように頷いて掃除に戻った。
アリーチェは一旦玄関扉の前まで来た。
「おそとはでちゃだめ」
扉を見ながら自分を説得するように呟いて、扉を背に玄関から見た家の中を見る。その玄関からみて先程の食堂は家の右手前に位置する。
アリーチェの正面には大階段があって踊り場がある、そしてそれに繋がる二つに分かれる二階へと続く階段が見える。大階段の踊り場の壁には祖父である辺境伯の肖像画が飾られている、辺境伯の権威の下にあるという証ということなのだけど、アリーチェには何でおじいちゃんだけなんだろう? とわからなかった。
部屋は一階も二階も同じコを九十度反時計回りしたような形で並んでいた。
アリーチェは改めて家の形を確認していると、目の端に白いふわふわが兄に飛び乗る時とは違いやる気なさそうにこちらに来ているのが見える。
「どうしたのみゃーこ? あ、おねえちゃんのおともをしたいのね。いいわよなの」
白いふわふわは猫のみゃーこだった。
アリーチェの喋り方がおかしいのは、お姉ちゃんぶりたいアリーチェがレナエルの真似をして喋っているからだ。
みゃーこはアリーチェが言っているのことが分かったのか分かってないのか、足元から少し離れて座った。
アリーチェは一人での大冒険のつもりだが、お供は大丈夫らしい。
「お供には木の実を上げないといけないの」
アリーチェはルカが前世の昔話をする時に、お供にきびだんごを与えて仲間にするのを世界樹の実というルカが適当に考えたものに置き換えて、話していたことを思い出していた。適当に置き換えたということは、アリーチェには知る由もないことだが。
しかし、アリーチェはみゃーこが兄が作った、キラキラしたものしか食べないと分かっていたので困ってしまった。
その時みゃーこの目線が自分の胸元を見ていることに気付く、いつも付けている自分のためだけに兄が作った魔力結晶が母が編んでくれた紐に収まったペンダントにだ。
「こ、これはだめなの! おにいちゃんがつくってくれたありーちぇだけのたからものなの‼」
ルカの魔力を感じるのでただじっと見ていただけで、みゃーこにはそんなつもりはなかったがアリーチェは慌てて服の中に隠す。
その時上着のお腹のとこにある大きなポケットからチャリと言う音が聞こえた。
「あ! そうなの!」
今朝、渡された後は一緒に付いていくとグズったので忘れていたが、兄がみゃーこともっと仲良くなれるかもと兄がカリカリと呼ぶ、キラキラをポケットに入れて貰ったことを思い出した。
「すごい、さすがおにいちゃん。なんでもおみとおしなの」
もちろん、ルカには全くそんな事は分かっていなかったけど、ルカの知らないうちにアリーチェの兄に対する株は上がるのだった。
「ほら、みゃーこ。たべさせてあげるわなの」
貰ったカリカリのうち一個だけ掌の上において、みゃーこに差し出す。
みゃーこはじっと見た後、今までルカの手からしか食べなかったカリカリを口にした。
「みゃーこ、くすぐったいの」
掌に当たる少し湿った鼻と舌の感触にくすぐったさを感じながら、アリーチェはこれでちゃんとお供になったと頷きよろこんでいた。
「まずはひだりから!」
左側を三分の二ほど占める部屋には扉はなく大きく入り口が取られていて、中にはテーブルとソファーが並んでおり、豪奢な作りで見る人が見ればその人物の名前も出てくるくらいには有名な職人が作った物だと分かるくらいの名品だ。
もちろんそんなことは何も知らないアリーチェは一番近くにあるソファーに飛び乗るように座って、そのフカフカの感触を楽しむ様に体を弾ませた。
続いて、みゃーこも飛び乗りアリーチェの横で丸まった。飛び乗り、丸まったと言うのに床やソファーには、不思議と毛は一本も落ちていないし付いてもいなかった。
アリーチェはしばらくフカフカとした感触を確かめていると、その心地良い座り心地と朝から泣きながら駄々をこねて体力を使ったこともあり、アリーチェはまだ1つ目の部屋だというのにウトウトし始め、眠気に負けてソファーに横になりみゃーこを枕に夢の世界に旅立った。みゃーこは重いだとか苦しいだとかの様子もなく、めんどくさそうに一瞥しただけでアリーチェと同じく目を閉じた。
たった今アリーチェがよだれで汚しているソファーがあるここは、初日にエドワード達が居心地悪そうに座っていたサロンだ。
応接室であり、談話室で、貴族を歓迎するための部屋だ。あまりにも豪華な机や椅子があるのでソニアではなく、辺境伯の城で一応側近の侍女という立場で勤めているカロリーナがここにも毎日来てカロリーナが掃除をしてくれていた。ここに高級な家具があるのは掃除するため訪れるという名目を作るためでもある。
今朝の様子から分かる通りアリーチェの祖父である辺境伯が来ても、使われるのは基本的に食堂だった。
アリーチェが寝ている間、長い時間静かすぎて心配になったソニアが様子を見に来て発見して安心したのは良いものの、アリーチェのよだれで汚れているソファーを見て青ざめる。今日はルカとレナエルに付いていったトシュテンの代わりに滞在しているカロリーナを呼ぶ。
呼ばれたカロリーナは青ざめるソニアに大丈夫よと笑ってアリーチェにタオルケットを掛け、ソニアを連れてアリーチェの眠りを邪魔しないようサロンを出た。
ソファーの寝心地とタオルケットの暖かさのため、アリーチェは結構長い時間の間、熟睡してしまっていた。
それからサロンにはすやすやという穏やかな寝息が聞こえていた。アリーチェが目を覚ましたのは家の中に響くドアノッカーの音と玄関の扉が開く音、えらく緊張したアリーチェの知らない人の声、そして扉の閉まる音が夢現ながら聞こえてきたので、それに反応してようやく目を開けた。
ただ、目が開けただけで頭は全くと言っていいほど覚めてはいない。
アリーチェは本来寝起きがすこぶる悪い。それでも毎日ちゃんと起きてこられるのは、やさしく起こしに来てくれるルカにアリーチェが甘えたい一心で、頑張って目を覚ましているからだった。
ルカがいない今は寝ぼけ眼でみゃーこを雑になでなでしたり、背中をあむあむと咥えたりしてなかなか起きないでいた。
みゃーこは流石に嫌そうな顔をするがされるがままでいた。みゃーこもルカがアリーチェを大切にしているのは分かっている、みゃーこはルカの意志には沿おうとはするが、ただそれだけでは毛皮がよだれだらけになるほどには許していない。
枕になってよだれだらけでも許しているのはアリーチェにルカの魔力が繋がっているからだった。アリーチェから僅かなりともルカの魔力を感じられるということはみゃーこという存在にはとても大切なことだった。
それからアリーチェがちゃんと起きたのは、遠くから聞こえる三回聞こえてきた鐘の音のおかげだった。
つまり、アリーチェは大冒険を決心して十分も立たないうちに三時間ほど眠っていたことになる。
「ちょっとだけねちゃったの」
その時鐘の音を聞いた条件反射みたいな感じで、アリーチェのお腹がくぅとなった。
「ごはん!」
毎回鐘の音が三回鳴ったらご飯よとソニアに言われたのでその言葉通りに、アリーチェは食堂に向かうとソニアとカロリーナが待っていた。




