5話
色々あったが、学園長が用意してくれた部屋にたどり着き、ベッドに腰を下ろし一息つく。
はあー、ここに来て一週間。まだ慣れないな。
学園内にあるこの清掃員宿舎は設備もそろっていて待遇も悪くない。個室も与えられたし家具も備え付けられている。普通なら何の問題もない素晴らしい就職先なのだが。
このままベッドに寝転び眠れたら幸せだけど、まだ、すべきことがある。私服を脱ぎ捨て、再び灰色の作業服に袖を通す。
「作業モード、オン」
作業服が黒に染まる。これは聖掃具である作業服に備わった機能の一つ。どうやらこの世界に呼び出された時に作業着や清掃道具に魔力が付与され、妄想日記に書かれていたような力が備わったようだ。人の強い想いは人間にだけ作用されるのではなく、物にまで影響を与えるらしい。
この世界では黒い作業服を着ることが許されるのは勇者のみらしく、実際にあれだけいる学園の清掃員で黒の作業服姿は一人もいなかった。
作業服の左肩に備え付けられているチャック付きのポケットに右手を添える。
「解放」
突如現れた目元だけ穴が開いた漆黒の仮面が宙に浮かんでいる。それを掴み、顔にかぶせる。言うまでもないが、これも作業服の能力。作業服には両肩付近、胸元左、腹部、腰回り、大腿部脇に合計九つのポケットがある。その一つ一つに清掃道具が納められている。
無条件で無限に道具が収納できるのではなく、ポケット一つにつき道具一個までという制限はあるが、かなり便利な機能だ。
「さてと、夜のお仕事に行きますか」
窓を開け周囲に人影がないか確認すると、窓枠を飛び越え地面へと降り立った。
当たり前のように二階から飛び降りたが、何の問題もなく着地できるのが凄いよな。これも魔力により身体能力が上がった結果らしい。魔法というのはつくづく便利な力なのだと実感させられる。
学園の端に建てられている清掃員宿舎の傍らに外壁が見える。この学園を取り囲んでいる堅固な壁。壁の上部に寝そべっても十分なほどの厚みがあり、高さも住んでいた五階建て団地以上はあるだろう。
さすがに、ここまでの高さとなると、魔力で強化された体でも飛び越えることは不可能。それでも乗り越える手段はある。今度は右肩に振れる。
「解放」
左手に重みを感じる。左手は突如現れたポリッシャーのハンドルを掴んでいた。
あの戦いのときは全く気が付かなかったのだが、見慣れているはずのポリッシャーの形状が少し変わっていた。本体に洗剤を混ぜた水を入れるタンクがついているはずなのだが、綺麗さっぱり無くなっている。
それなのに、レバーを握れば洗剤の入った水が出る。どうやら、作業服のポケットと同様に洗剤入りの水が溜めこんだ別空間と直接繋がっているらしい。もちろん魔族と戦った時の光の渦も出すことが出来る。普通の清掃道具としても使え、武器としても利用できる謎のアイテムと化している。
この洗剤を用意しなくても出る機能便利だよな。元の世界に、このまま持って帰られないだろうか。洗剤が節約できたら年間の出費がかなり抑えられるのだが。
それにもう一つ、電気がないこの世界で何故ポリッシャーが動いているのか。初めは魔法の世界だからそういうものなのだろうと、勝手に納得していたのだが、試しに動かしてみたときに、あることに気が付いた。
ポリッシャーのコンセントに差し込むプラグが腰辺りに差し込まれていたのだ。どうやら、プラグを体に差し込むことにより、電力の代わりに魔力を使って動く新機能が追加されたらしい。
これも、喉から手が出るほど向こうの生活で欲しい機能だ。コンセントが無くて現場で困ることがしょっちゅうある。これさえあれば、電源の心配も洗剤の追加もせずに永遠と洗い続けることができる。
もう、本気で持って帰りたいぞ、これ! 学園長の報酬で言っていた、何でも持ち帰っていいという話、ならこのポリッシャー持ち帰るか。あ、いや、そもそも、これは俺の所有物になるのか。もって帰ったところで、元の性能に戻るという結末しか見えないな。
異世界にいるというのに、どうしても向こうの生活と比べてしまう。服装や身の回りの清掃道具があちらと一緒なので、たまに判断がつかなくなってしまうぐらいだ。
「いい加減、動くか」
ポリッシャーのヘッド部分を、柄と同じ水平方向に傾ける。そのポリッシャーを高く掲げパッドの側面を壁に当てる。
その状態で左レバーを握るとパッドが回転を始め、壁の側面を登り始めた。パッドがタイヤ代わりになり上へと進んでいる。どうやって、壁にくっついているのかなんて考えたら負けだろう。第三者から見たら、シュールな光景だろうな。何も知らないで見たら我が目を疑うレベルだ。
あっさりと壁を乗り越え、街外れを進む。もちろんポリッシャーは収納してある。夜道をポリッシャー担いで歩く男がいたら不審者扱いされるに決まっている。
壁を登った要領でポリッシャーをタイヤに見立てて動かせば、一輪車に乗ったような状態で進めるのではないかと試してみたことがある――目論見通り、かなりのスピードで走れたのだが、見た目が情けないのであれ以来やっていない。非常時でもない限り、二本の足で歩いた方が健康にもいいし。
深夜の草原というのは雰囲気があるな。元々、怪談系に強くないので誰もいない夜道なんて通常時であれば勘弁してほしいのだが。まだ広い空間だからそれほどでもないが、木々が多い茂った林道だったら怖さも倍増しているだろう。
魔族が普通に存在している世界なのだから、幽霊もいたりするのだろうか。できれば、お会いしたくはない。
そろそろ目的地か。何も持たない手ぶら状態だがポリッシャーを出していた方がいいのか。それとも他の聖掃具で対応するべきか。
万が一に備え、上着の両ポケットに手を突っ込んでおく。これなら、寒がっているだけにしか見えないだろう。いざとなれば、ここから素早く聖掃具を出せばいい。
突如、奇声が闇夜に響き渡る。
無理に例えるなら壊れた機械音のような、耳障りな騒音が前方から聞こえる。
「側面に回り込め!」
「一対一で戦おうとするな!」
「後衛は合図と同時に一斉射撃だ!」
無数の怒鳴り声が騒音に混じる。
目的地で間違いないようだ。判断と同時に駈け出していた。ここからは見えないが情報が正しければ、この先の窪地で戦闘が繰り広げられている。
「さて、洗浄勇者のお仕事を開始しますか」
本日二度目のポリッシャーを呼び出し、戦場が良く見える高台に立つ。
眼下では十数名の兵士が、巨大な何かと激しい戦闘を繰り広げていた。兵士側が圧倒的に不利なようだ。死者はまだ出ていないようだが、半数以上が何かしらの怪我を負っている。戦闘不能が三名。様子を窺っている場合じゃないな。
「くそっ。どうなっているんだ。こんな強力な敵見たことないぞ!」
「今までは我々だけでも十分対処できていたのに」
敵は象並みに巨大な白銀のオオカミ――のようなモノ。今回の魔物は化物っぽくてそれらしいな。
魔物とは、魔族が呼び出し使役している魔界の生物。俺の知りうる生物とは異なり、体毛があるべき部分に、鋭く尖った両刃剣の刃のようなものが無数に生えている。ハリネズミとオオカミと剣を無理やり合成したらああなりそうだ。
「名前を付けるとしたら……狼と剣の合成。おおかみ、けん。けものとけん。ケンモノというのはどうだろう」
迫力のある異形の化け物なのだが、不思議と恐怖心はない。こんな馬鹿なことを呟ける余裕もある。
それに初めての戦いではないのも大きな要因だろう。あと、俺の知る生物とあまりにかけ離れている為、現実味を感じないのが幸いしているのかもしれない。
魔物が唸り声を上げる。先ほど聞こえた騒音は魔物から発せられたもののようだ。
大きく深呼吸をする。頭の中で覚えてきたシナリオを読み返す。
よっし、やるぞ! ここから敵まで六メートルぐらいか。三階の建物ぐらいの高さなら大丈夫。実験済みだ。
敵は全身刃に囲まれているため、物理防御力が高いはず。長距離からのガトリングモードによる一撃が最良の手段だろうが、兵士たちへ強烈な印象を残すには、あえて物理攻撃で倒す方がいいだろう。
「交換、黒パッド」
取り付けられていた白パッドが消え、黒パッドに入れ替わった。
本来の用途で使うポリッシャーのパッドは、清掃現場の床の材質や汚れ具合でパッドを取り換えている。汚れがきつい現場だとパッドの目が粗い黒パッドを使い、ワックスごと削り落とす。高価な石材の床を磨く場合は、目の細かい白パッドで床を傷つけないように洗う。
だが、この場合でのパッド選択は意味が異なる。
パッドの種類によって攻撃の性質が変わるのだ。白いパッドなら聖属性の攻撃。黒のパッドなら物理攻撃力の威力が上がる。
黒パッドが回転を始める。左ハンドルのレバーを強く握り回転速度を更に上げる。
ポリッシャーを抱え上げ、もう一度敵との距離を測る。戦闘中の兵士も魔物もこちらの存在には全く気付いてない。数歩下がり助走距離をとると、腹をくくり駈け出した。
「うおりゃあ!」
叫び声をあげ、高台の縁を蹴り空中へと飛び出す。体が重力に従いかなりの速度で落ちていく。目測を誤ってはいない。このまま、高速回転した黒パッドの一撃を敵の背中に叩きつける!
目前にまで迫ったところで敵が気付きこちらを振り返ったが――遅い!
落下の勢いを載せた渾身の一撃が、魔物の背を捉えた。回転するパッドの側面が火花を上げるが、それも一瞬。いとも簡単に相手の装甲を貫き、体を真っ二つに切り裂き地面に突き刺さる。
よっし、完璧。周りの兵士が呆気にとられ、唖然とした表情でこっちを見ているな。予定通りだ。更にここから――
回転を止めたポリッシャーを右肩に担ぎ、左手を握りしめ振り上げる。魔物に背を向け兵士たちに向き直る。そこから、真っ直ぐ左に伸ばすように左腕を動かすと同時に、
「清掃――完了!」
決め台詞。その瞬間を待っていたかのように背後で魔物が爆散した。呆気にとられていた兵士たちの感情が激変していく。戸惑いの表情から歓喜へと。
「おおおおおおっ!」
「まさか、あの姿は勇者様!」
「本当に存在したのか!」
歓声が上がる。賞賛と感謝の言葉が次々とかけられ嬉しいのだが、それよりも気恥ずかしい。羞恥心を胸の奥底に押し込み、平然を装うので精一杯だ。
それに、正体を知られてはいけない決め事があるため、長居をするわけにもいかない。黙って彼らに背を向け。
「では、さらばだ」
足早にその場を立ち去った。何人かは引き留めようと後を追ってきたが、この身体能力に追いつけるわけもなく、振り切ることに成功した。




