エンディングのその後は ④
どうしよう、幻聴が聞こえた。自分で自分が怖い。いや、うん、幻聴のことはひとまず脇に置いておこう。でないと話が始まらないからね。
ネージュは現実逃避を始めたらしい頭を連れ戻すために、目を閉じて額を抑え、しばらくしてからまた目を開けた。うん、何とか落ち着いた。急に沈黙してしまったので多分訝しまれているだろう……と思ったのだが。
カーティスは何故だか顔を赤くしているではないか。
初めて見る表情だった。自分の行いが信じられないとでも言いたそうな顔だ。どうしてそんな表情をしているのかわからず呆気にとられていると、彼は正気を取り戻したように瞳を揺らした。
「ちょっと待ってくれ!」
「………はい?」
今度はカーティスが額を抑える番だった。隠れてしまった口から「そうじゃない」とか「急にこんな事を言うつもりは」とかなんとか呻いているのが聞こえてきたが、ネージュからすればまったく要領を得ない発言の数々だ。
カーティスはのろのろと顔を上げた。それでも目を合わせられないといった様子で斜め下を見つめたまま、口元を骨ばった手で覆い隠している。
目がおかしくなったのだろうか。幻覚でなければ狼狽えているように見える。あの、騎士団長閣下が。
「……違うんだ。いや、違わないけど。恋人でもない中年に突如としてプロポーズされた君の心境は察して余りあるが、頼むから即答で断るのはやめてくれ。立ち直れない気がする」
「はあ、はい」
「君は魔力を失って、騎士という仕事を辞めることになったばかりだというのに。心の隙間に付け入るつもりはなかったんだ」
「ええと……?」
「何というか、焦ってしまった。これが最後になるかもしれないと思ったらどうしようもなかった。君に会えなくなるなんて、私には耐えられそうもないから」
「はい。………はい?」
「何の用意も無く言うべき言葉ではなかったのに。私の気持ちに偽りはないけど、忘れてもらっても構わない。だから」
ここでカーティスは一旦口を噤んで居住まいを正した。遮るもののなくなった顔を真っ直ぐに向けて、頬を少しばかり赤くしたまま続く言葉を話し始める。
「私を君の恋人にして欲しい。好きなんだ、どうしても」
——ええと。思考回路がまったく機能していないのですが。
何が起きたのか順番に考えてみよう。うん、つまりだ。
突然プロポーズされて。
それは流石に急ぎ過ぎたと秒で撤回され。
まずは普通に付き合って欲しいって言われた……?
誰が、誰に?
騎士団長閣下が、私に。
「へあ……!?」
思わず変な声が出た。赤面するという現象に音があるなら、恐らくは爆発音が轟いていただろう。
ネージュは林檎のように赤くなった顔を持て余して、うろうろと視線を彷徨わせた。
ちら、とカーティスと目を合わせる。相も変わらず空色の瞳は明らかな懇願の色を纏っていて、一瞬しか直視できなかった。
今更のように先程告げられた言葉の数々が頭の隅々にまで浸透していく。それらはネージュにとって喜びしかもたらさないものだったが、一つだけ悲しくなるような言葉に気付いて眉を下げる。
こうして混乱の極地に至ったネージュは、ぽろりとその悲しみを口に出してしまっていた。
「忘れないと、駄目ですか……? 奥さんになってと言っていただいて、とても嬉しかったのですが」
言ってからとんでもない事を口にしたことに気が付いた。緊張で声も体も震え始めたが、それでも撤回するわけにはいかなかった。
何故ならその気持ちは嘘偽りのない本心だから。今ここで伝えると決めていたのだから。
「わ、私は、閣下のことが好きなんです。ずっと……ずっと、好きでした」
ネージュは俯いたまま言い切ったので、カーティスが席を立ったことを知らずにいた。
ようやく言えたという達成感を得る間もなかった。いつの間にか隣に座った彼に引き寄せられて、何が何だか分からないうちに、ネージュは温かい腕の中にいた。
男の人に抱きしめられたことなんてない。ここは職場なのにその事実にすら思い至らなかった。心臓が痛いほどに鳴り響いているし、息までしにくくなってくる。
けれどカーティスの胸からも同じくらい早い心音が聞こえる。ああ彼も同じなんだと知るだけで、また胸の奥がぎゅっと痛くなる。
「ははっ……幸せすぎるな、これは。どうしようか」
「あの、閣下……!?」
「こんなに格好悪いプロポーズも中々ないと思うのだけど。本当にいいの?」
いいのか、だなんて。
焦ってくれたのだ。いつもあんなに冷静なこの方が。その事実がこんなにも嬉しいのだから、答えは最初から決まっている。
情けない顔を見られたくなくて、ネージュは広い胸に額をくっつけた。
「閣下は、ずっと格好良いですよ。昔からずっと、私の憧れの騎士様です」
思えば、ゲームを遊んでいた時からそうだった。
日本での記憶を取り戻してから、あえて考えないようにしていたことがある。攻略キャラ達も皆それぞれ好きだったけれど、一番の推しはカーティスだったこと。
今ならシェリーが父親を攻略するなんてあり得ないとわかるが、当時は彼のルートが無いのを酷く残念に思ったものだ。続編で攻略させてくれるなら言い値で買うとすら考えていたほどに。
今となっては笑い話だ。一生誰にも告げることのない、ネージュだけの秘密。
それでも堪えきれずに小さく笑みを溢すと、頭上から低いため息が聞こえてきた。
「……可愛い。ああ、駄目だな。努力するから出来うる限り早く結婚しよう」
低い声の囁きに、ネージュは小さく肩を震わせた。
どうしたらいいのか全然分からなかった。何せ経験値ゼロなのだ。ここまで幸せ過ぎると、そろそろ現実なのか疑わしくなってくる。
それなのに名残惜しげに体を離して覗き込んでくる顔が、信じられないほどに甘い。
「名前。名前で呼んでも、いいかな」
「ふえ……? は、はい!」
まともな返事すらできないってどういうこと。
ネージュは叫んで蹲りたい程だったがそれは我慢して、勿論大丈夫だと伝えるために何度も頷いた。もう騎士ではなくなるのだから苗字に役職をつけて呼ぶのもおかしな話だ。
「ネージュ」
ただそれだけのことだと思おうとしたのに。そんなに幸せそうに笑って名前を呼ばれたら、息が止まりそうになってしまう。
腰に回された腕に力が込められた。頬どころか全身が熱くて、汗をかいてはいないかと他人事のように心配になった。
「……ネージュ。私のことも名前で呼んで欲しい」
無理ですと咄嗟に叫びそうになったので、ネージュは慌てて口を閉ざす。
無理だ、絶対に無理。そんなことをしたら心臓が爆発する。今でも既に気絶寸前なのだから、ここは一旦待って頂きたい。
「駄目かな。君に名前で呼んでもらえる人たちが、ずっと羨ましかったんだ」
それなのにカーティスは寂しそうに笑ってそんなことを言う。咄嗟に駄目ではないと答えてしまったネージュは、強烈な既視感に襲われた。
そう確か、シェリーともこんなやりとりをした覚えがある。
「なら、いいだろう? ……さあ、呼んでみて」
この親子、似てる。血が繋がらなくとも受け継がれし、人たらしの才能。
そうは言っても嫌ではなく、ただ恥ずかしいというだけのことなのだ。彼を悲しませるくらいなら心臓が爆発したほうがいい。
ネージュは観念して、せめてと空色の視線から目を逸らした。全身が小刻みに震えていたが、それでも胸の前で両手を握り合わせて何とか声を絞り出す。
「……カ、カーティス、さ、んっ?」
その途端に端正な顔が近づいてきて、唇を奪われてしまった。
目を閉じるべきだと思いつくことすらできずに、薄く開いた空色とその周囲を縁取るダークブロンドをひたすらに見つめる。唇に触れる柔らかな熱を感じ取ったあたりで、ネージュはついに限界を迎えた。
——あ、もうだめ。
今度こそ頭が白く塗りつぶされていく。死ぬかもと思ったのが、この時の最後の記憶になった。
後から聞いたところによると、しばらくの間目を開けたまま固まっていたようで、いくら声をかけても何の反応も返ってこなかったらしい。




