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必要だとわかっていても ②

 瞬く間に週末がやってきた。既にお馴染みになった山の中、ネージュは森の中にひっそりと閉ざされた岩場の前にいた。

 すぐ後ろではカーティスが見守っている。時間的猶予も無くなってきた今、この魔法に失敗するわけにはいかない。

 一言一句間違えないように神経を張り巡らせて呪文を唱えていく。これは土に属する物質を全て砂に変える恐ろしい極大魔法だ。間違えて木を砂に変えるようなことがあればマスターしたとは言えないが、どうなるか。

 呪文を唱え終えたネージュは、岩だけが綺麗に砂へと転じてサラサラと崩れ始めたのを、呆然としたまま眺めることになった。

 できた。できて、しまった。

 岩に絡んでいた蔦が支えををなくして絡まりながら落下していく。木々が揺れて鳥たちが一斉に飛び立つ中、砂が雪崩を起こして足元まで流れ込んできた。

 退避しなきゃ。ぼんやりとした頭でそう考えついた時には、ネージュはカーティスによって後方に引き寄せられていた。


「危ない。少し下がって」


 カーティスは腹に巻きつけていた腕をすぐに離した。ほんの僅かな時間でも急接近したことに、今更のように緊張に襲われてしまう。

 それでもネージュにとっては心配をかけた不甲斐なさと、極大魔法を習得してしまった動揺の方が大きかった。


「ありがとうございます。ぼんやりとしてしまい、申し訳ございませんでした」

「極大魔法が成功したのは初めてだったからね。何か変なところはない?」

「それは、大丈夫です。……あの、閣下。極大魔法を習得できたのは良かったのですが、魔獣のことがどうしても気になって」


 そう、この極大魔法は住民の避難に多いに役立てる予定なのだ。

 土属性の幹部はネージュしかいない。だからこの任務はネージュが担うしかないのだが、そのせいで魔獣を迎え撃つ役目をカーティスに押し付けることになるのが、どうしようもなく不安だった。


「やはり魔獣の撃退にご一緒させていただくわけには参りませんか。私、足手まといにはなりません。必ずお役に立ちますから」


 ネージュは必死の思いで言い募った。

 真ルートの終盤で魔獣がもたらした破壊が頭にこびりついている。カーティスはマクシミリアンと相対していたから、魔獣と戦えば結果はわからないとはいえ、あれは個人の力でどうにかできる代物なのだろうか。

 しかし焦りを隠すことすらできないネージュと違って、カーティスは優しい苦笑を浮かべるばかりだ。


「……心配してくれるのかい」

「当たり前です! もし閣下に万が一のことがあれば、私は……!」


 ——私は、何を言うつもりなんだろう。


 愚かなことを告げようとした己に気付いて口を噤んだ。ただの部下が何を言ったところで、カーティスの心が動かされることはない。

 ネージュとて頭ではわかっているのだ。住民の避難は最も大切な任務の一つであり、疎かにするわけにはいかないのだと。

 しかし悲痛な想いを知ってか知らずか、カーティスの反応は拍子抜けするようなものだった。


「よしよし」


 何故か満面の笑みで頭を撫でられてしまい、ネージュはまともに面食らった。


「……あの、何故私は頭を撫でられているのでしょうか?」

「いやあ、嬉しいなと思ってね。君は本当に優しい子だ」


 違う、優しいわけじゃない。ネージュはただ好きな人に死んでほしくないだけだ。騎士としての本分も忘れ、公平さのかけらもないことを口走ろうとした愚かな女。


「大丈夫だよ。魔獣とやらがどれほどの力を持つかは知らないが、君が恐れる事態は絶対に起こさないと誓おう」


 温かな手のひらが離れていく。名残惜しいと思ってしまい、この期に及んでそんなことを思う自分に眉をしかめた。

 誰も死なせずにこの復讐劇を終えること。ネージュが夢見た未来を口にする彼こそが、最も危険な役目を担っている。

 その現実に押しつぶされそうで、ネージュは唇を噛み締めて俯いた。


「確かに私は誰も死なせたくないと申しました。しかし敵にまでその考えを及ばせては、この戦いを無傷で終えることは難しいでしょう。これ以上私の妄言に付き合う必要など、ないのです……」


 それはずっと考えていたことだった。

 バルトロメイとカーティスに知られてしまったせいで、彼らに多大なる負担を強いている。反逆者は死刑という法律に則れば、戦場で相対した黒豹騎士団員に手心を加える必要などない。それなのに二人は「神に言われたから」という妄想じみた証言だけで、ネージュの望みを叶えようとしてくれている。

 そのせいで二人に何かあれば。そう考えただけで足がすくみそうだった。


「違うよ、レニエ副団長。私は、私がそうしたいからそうしているんだ」


 いつにも増して穏やかな声が聞こえてきて、ネージュはのろのろと顔を上げた。

 カーティスの笑みはやはり優しい。しかし見慣れたその笑顔に、今は感じたことのない何かが宿っているような気がした。


「君が誰も死なせたくないと言ってくれて嬉しかった。私は口が裂けても言うわけにはいかなかったから」


 カーティスはきっと、女王の誕生会でマクシミリアンと相対したあの瞬間に覚悟を決めていたのだろう。

 友を殺めねばならないこと。そしてそれを果たすことができるのは自分だけなのだと。

 その覚悟を覆させたのはネージュなのだ。桁外れの魔力と未来の記憶を持つ妙な部下の存在は、果たして彼にとって幸いとなるのだろうか。


「君に感謝している。マクシミリアンの復讐を止めることは、恩返しになるのかな」


 ネージュは力なく首を横る。小さな声で恩返しなんてと呟いたが、聞き取ってもらえたかは分からない。もっと伝えたいことがあったのに、胸が詰まって言葉が出てこなかった。


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