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騎士団長閣下の秘めたる想い ③

 カーティスは今、第三騎士団の訓練の視察に訪れている。

 行われているのは魔法と剣技を同時に磨く一対一の模擬戦だ。夏の日差しの下での稽古は過酷を極め、既に何人もの男たちが倒れて運ばれている。体力気力そして魔力ともに試される技術的にも難しい特訓において、第三班班長のネージュは躍動していた。

 屈強なベテラン騎士ですら彼女には敵わない。目にも留まらぬ速さで繰り出される剣戟は躱せるものではなく、必死の攻撃も土の壁にことごとく阻まれる。また一人騎士が倒れ、感嘆の声が訓練場を包んだが、それは別の意味も含んでいた。

 ネージュが倒れた部下に駆け寄って、怪我の有無を確認している。咳き込む男の背をしなやかな手で摩り、その光景を見守る部下たちから羨望の眼差しを注がれていることに、本人ばかりが気付いていない。


 ——そんな事をしていたらわざと倒れる輩が現れるぞ。わからないのか?


 第三班班長殿は垂れ目がちの可愛らしい顔立ちをしていて、朗らかで親しみやすい雰囲気の持ち主だ。鍛えている以上は筋肉質なのだろうが、その輪郭は柔らかそうな曲線美を描いている。

 騎士団は男所帯であり、女性騎士は数えるほどしかいない。高潔であれと自らを律する者たちであっても男は男、寄り集まれば猥談が始まるものだが、その中でネージュの話題が出ているのを何度も小耳に挟んだことがある。

 かの若き女騎士は人柄もさっぱりとしていて皆に愛されており、そんな彼女に想いを寄せる者は少なくない。ただし本人はその手の話題に全く興味がないようで、無防備さは年々増すばかり。

 カーティスは溜息をついて立ち上がった。横顔に隣に座るバルトロメイの視線を感じるが、気にしている場合ではない。


「レニエ班長、私ともお手合わせ願おうか」


 声を上げながら一歩を踏み出すと、訓練場の空気が瞬時に張り詰めた。騎士団長御自らとはどんな風の吹き回しかと皆が唖然としているのを感じる。班長クラスでは騎士団長と手合わせをすることはないため、もちろんネージュにとっても初の機会だ。

 咳き込んでいた男は青ざめて、訓練場の隅に走り去っていった。何だ、やっぱり動けるんじゃないか。


「私は魔法を使わないが、君は何をしてもいい。訓練で疲労した分はこれで埋め合わせがつくかな」

「は。恐れ入ります、騎士団長閣下」


 驚愕に見張っていた琥珀の瞳を、ネージュはすぐに鋭くして見せた。

 いい表情だ。カーティスは少し笑って、成長を遂げたかつての少女を眺めた。

 自身の見た目は少々老け込んだくらいでさほど変わりが無かったが、ネージュはすっかり大人の女性へと変貌し、こうして剣を構えて相対するまでになった。

 若者の成長とはかくも眩しいものか。そんな感慨を抱いてしまえば、沁み入るような寂しさが胸中を満たす。

 壮年期を迎えた男の感傷にしてはやけに胸を突くそれを無視して、カーティスは剣を握る手に力を込めた。


 ——かかってこい。


 先手を取ったのはネージュだった。

 ブーツの爪先で地面を蹴り、細身の剣で突きを繰り出してくる。右利きの死角たる右脇を正確に射抜こうとする軌道に、カーティスは知らずのうちに口の端を吊り上げた。

 一切の遠慮が無いからこそ、格上への敬意に満ちた攻撃だ。入団時から考えても本当に強くなった。これは怪我をさせずに勝つにはいささか骨が折れるか。

 自身の剣の腹を添わせて突きの軌道を逸らし、何度かの剣戟を防いだのちに、下に力を逃してバランスを崩してやる。ネージュは呆気なくよろめいたようで、それは隙を見せる振りでしかなかった。

 俯いた口元から呪文を唱える声が聞こえてくる。彼女の思惑に気付いた時には、轟音と共にカーティスの足元に亀裂が走っていた。

 地割れを起こす土の魔法だ。かなりの魔力を必要とする筈だが、まだここまでの余力を残していたのか。

 大きく裂けた亀裂に左足が飲み込まれた。第一線で戦ってきた反射神経が、寸でのところで右足に力を与えて、波打つようにして隆起する地面を間一髪で飛び去る。

 着地した場所にはネージュの魔法は及んでいなかった。しかし代わりに本人がいて、カーティスの剣を持つ手をめがけて一閃を放つ。

 カーティスは気迫の剣を正面から受け止めた。鍔迫り合いが始まって、決死の覚悟を浮かべた琥珀の瞳が眼前に迫る。ネージュは既に魔力も体力も使い果たして、額に玉の汗を浮かべていた。

 あれだけの魔法を使ったのだから当然だ。狙った一撃を防がれ、更には腕力勝負の鍔迫り合いに持ち込まれては、もう彼女に勝ち目はない。

 細い剣だった。それを握る手も、腕も、体も、何もかもが女性のそれでしかない。本来ならば騎士に守られているはずの存在は、どうしてこの過酷な道を選んでしまったのだろうか。

 合わせた剣が腕力の限界を迎えて震えていたので、カーティスはネージュの剣を体ごと後ろへと押した。

 これで彼女の首元に切っ先を突きつけて終わり。しかし、ここで予想外のことが起こった。

 軽い体重が男の力に抗いきれず、二歩三歩とよろめきながら後ろへと下がっていく。そして最後にブーツの踵が踏み込んだのは、自身が作り出した大地の亀裂だった。

 琥珀の瞳が驚愕に見開かれ、大きく開けた口から「わ…!?」と悲鳴が漏れる。もはや踏ん張る力を持たない体が背後へと傾ぎ始めたところで、カーティスは剣を放り投げて右手を伸ばしていた。

 間一髪というところで細い手首を掴むことに成功し、小さく息を吐く。

 尻餅をつく悲劇から救われたネージュは、しばしの間状況がつかめず唖然としていたようだった。やがて琥珀の瞳を揺らすと、弾かれたようにして掴まれていた手を引っこ抜く。


「ぶ、無様なところをお見せし、申し訳ございませんでした! お手合わせ頂き感謝致します!」


 猛然と頭を下げたネージュが次に顔を上げた時には、丸い頬が薔薇色に染まっていた。

 この反応は何だろうか。己のうっかりを恥じているのは間違いなさそうだが、それよりも輪をかけて動揺しているような。


 ——まさか。触ったのが良くなかった、のか?


 そう考えついてしまえば、もうそれが正しいとしか思えなくなった。もし彼女に「騎士団長って、娘の友達に遠慮なく触ってくるような人なんだ。気持ち悪」なんて思われたら、ちょっと生きていけない。

 カーティスは努めて穏やかに微笑んだ。この部下の信頼を失ったら、種類の違う苦しみに苛まれることを思い知ってしまったから。


「腕が立つので驚いた。期待しているよ、レニエ班長」


 感情を面の皮一枚下に封じ込めるのは得意だ。そう、カーティスはこの想いを表に出す気はない。

 血の滲むような努力を重ねてきたのをずっと見ていた。勤勉で朗らかで、困っている人がいたら絶対に捨て置けないネージュ。だからこそ危なっかしくて目が離せない。

 それでも。どれほど気になる存在だとしても、それを口にするわけにはいかないのだ。

 部下というだけで許されないのに、加えて彼女はシェリーの友人。婚期を逃し続けた中年男が人気者の若い女の子とどうこうなれるだなんて、甘い期待はこれっぽっちも抱いていない。

 いつからだったのだろう。まともな大人なら娘の友人相手に抱く筈のない類の感情だ。シェリーの友人関係を引っ掻き回すようなことができるはずもないのだから、消し去ろうと思えば簡単なはず。

 ネージュは一礼して走り去っていった。部下たちに労われて微笑む姿にちくりと胸が痛んだことには、気付かなかったふりをした。


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