乙女心なんていらないのに
ネージュが土の城壁を四方に発動した瞬間、本部の壁面に展開されていた強大な防御魔法が消失したのがわかった。カーティスが魔力切れを装って防御魔法を消し去ることは、事前の打ち合わせで織り込み済みだ。
『いいかい、レニエ副団長。私が防御魔法を解いたら、本部にミカの風魔法が降り注ぐ。君は土の城壁に隠れて、大魔法を発動するんだ』
脳内に穏やかな低音が声が再生される。残念ながら相手はミカではなかったが、自主訓練によって強度を増した土壁は、ロードリックの光魔法すら凌ぐことができるようになっている。
いくつかの光球が土壁に突き刺さったのを感じたが、ネージュは身を隠しつつ呪文を唱えた。
「断層の戦慄き、地熱の嘶き、その衝撃は地獄の采配……大地鳴動!」
それは地震を呼び起こす大魔法だった。光球が本部の建物を貫通して煙を上げる中、地面が大きく震え始める。
真相を知らない者は建物が倒壊することによる振動だと思ったことだろう。ロードリックの魔法によって止めを刺された頑強な建物が、ついに崩れ去ろうとしているのだと。
しかし残念ながら、本部の建物は万が一に備えて堅牢な造りをしている。カーティスによれば一個人に倒壊させられるようでは、騎士団本部にはなり得ないのだそうだ。
避難誘導をしていた騎士たちが、ガタガタと揺れる本部を呆気に取られて見つめている。ハンネスとフレッドがここにいたら見破られたかもしれないが、彼らは怪我をした騎士を連れ、第四騎士団が救護所を構える訓練場に向かって不在だ。
揺れる地面に手を付き、ネージュは苦痛の息を吐いた。
魔力のコントロールが難しい。この間の雷雨の魔法は最大出力で良かったが、今それをやったら王宮ごと倒壊させてしまう。なるべく本部建物の範囲だけを大きく揺らさなくては。
——集中して。早く建物を、倒さなきゃ。
「よくやった、レニエ副団長」
不意に穏やかな声が頭上から降ってきた。その正体を確かめようと顔を上げたのと、ふわりと体が浮き上がったのは、殆ど同時だった。
ネージュはいつのまにかカーティスによって横抱きにされていた。どうやらこの騎士団長は得意な属性では無いはずの風魔法まで操れるらしく、高く空を飛んでいる。
それは突然の緊張を呼び込む状況に間違いはないのだが、ネージュはただ呆然と彼の持つ空色を見つめていた。何が起こったのか解らず、どうしたらいいのかも判断がつかなかった。
「ほら、見てごらん。もう本部が倒壊するところだ」
言われるままに視線を向けると、同じ高さにあった尖塔が建物の崩落と共に崩れ去るのを目の当たりにすることになった。瓦礫が飛び散り芝生の地面に大穴を開け、割れた窓ガラスが輝きながら落下していく。あのまま玄関の側にいたら崩壊に巻き込まれていただろう。
予定していた事とはいえ、慣れ親しんだ建物が消えて無くなる様は筆舌に尽くしがたい。ネージュは物寂しい気持ちを押し殺して、土煙を上げて沈み込む本部の最後の姿を見届けた。
やがてカーティスは地上へと降り立った。ネージュはすぐにその場に降ろされて、周囲の様子を警戒する。すると少し離れたところにロードリックとイシドロがいて、彼らは翼竜に飛び乗ったところだった。
「おや、もう帰るのかな」
カーティスが微笑んで問いを投げると、ロードリックは苦虫を噛み潰したような顔をした。
先程屋根の上で相対した時も思ったがやはり凄まじい圧迫感だ。中ボスたる黒豹騎士団長は、敵なのに光属性という主人公ばりの力を持ち、立ちはだかるもの全てを光の中に消し飛ばしてしまう。
「戦果としては十分だ。……アドラス、次は必ず粉微塵にしてやる」
ロードリックは凄んでいるが、おそらく魔力が底を尽きかけていることも理由としては大きいだろう。イシドロはまだ不満そうにしていたが、上司に首根っこを掴まれて渋々飛び去っていった。
途端に圧迫感から解放されて、ネージュはその場にへたり込んだ。何度も魔力を放出した体はすっかり力を失って、しばらくの間は動けそうにない。
けれど作戦は成功したのだ。胸の内にじわじわと安堵が湧き上がってきて、ネージュは小さくため息をついた。
「良かった……」
本部の中はもちろん空。建物の倒壊により戦果を挙げたと勘違いさせ、敵を満足の上帰還させる。まさかここまで上手くいくとは思わなかったが、人的被害は怪我人のみで敵幹部たちの襲来を防ぎきったのだ。
「ネージュ! カーティス! 無事か!」
顔を上げれば、無残に荒れた庭をバルトロメイが駆けていた。あのイシドロと戦ったにもかかわらず、老騎士に疲労の色は見当たらない。
「ネージュ、肝が冷えたぞ。本当なら本部からもっと離れた場所から魔法を発動するはずだったろう」
「申し訳ありません。急がなくてはと、そればかりになってしまいまして」
ネージュの魔法が発動する前にロードリックの魔力が先に尽きてしまっては、都合の良すぎる地震が起きたことになってしまう。そうなっては誤魔化すのに苦労すること請け合いで、これ以上の面倒を避けるには絶対に外したくないポイントの一つだった。
「閣下、お礼を申し上げます。助けていただきありがとうございました」
地面に座り込んだままという無作法は脇に置いて、ネージュはぺこりと頭を下げた。
しかし返答はなかなか返ってこない。訝しみつつも顔を上げると、夕日を受けて赤みを帯びた空色の瞳が思案するように逸らされている。
「……やはり、こんな役目を担わせるべきじゃなかったな」
固く強張った声音に、ネージュは小さく息を飲んだ。
頼りないと思われてしまった。この方に憧れて、認められたくて頑張ってきたのに。これ程の魔力を手にしても役立たずで、よりにもよってこの方の手を煩わせてしまうなんて。
「も、申し訳、ありませ——」
震える謝罪の声は、カーティスの突然の行動によって遮られてしまった。
またしても先程と同じ姿勢で抱き上げられて、ネージュは目を白黒させた。いつのまにか髪紐はなくなっていて、肩までの髪が視界の端で踊る。
「第四騎士団の救護所へ行こう。相当の魔力疲労を起こしてる。気付いていないだけで怪我もしているかもしれない」
「えっ、あ、あの」
頬が燃えるように熱い。口は意味のない音しか紡いでくれず、ネージュは助けを求めてバルトロメイを見つめた。しかし会議の終わりと同じように苦笑をこぼした上官は、無情な台詞しか返してはくれなかった。
「この老体にお前を抱えるのは無理だ。ありがたく運んでもらいなさい」
——嘘だ、イシドロを封じ込める強者が女一人運べない筈がないよ!
え、どうしてですか。めんどくさかったの? 重そうだから嫌だったの? 確かに筋肉のせいで見た目よりだいぶ重いけど……って。
「か、閣下! おやめください、どうか降ろしてください!」
「歩けない者を降ろしたら置いていくことになるじゃないか。それは無理な相談だ」
カーティスは必死の抗議も意に返さずに歩き出してしまった。バルトロメイの妙に生温かい笑みに見送られ、ネージュはされるがままに運ばれていく。
絶対重い。多分重くてびっくりしてる。さっきも同じように抱えられたのに、あの時はよく冷静でいられたものだ。
「あの! ほんとうに、大丈夫です! 歩けます!」
「すっかり腰が抜けていた。もう無理をしなくていい」
「ですが、重いのでっ……!」
「重くないよ。遠慮はいらないから、少し休みなさい」
抗議の理由を失ったネージュは胸の前で手を組み、目を瞑って体を小さくした。そうでもしないと耐えられそうもなかった。
心臓が早鐘を打ってうるさい。赤くなった顔を見られたくないが、手で覆うなんて可愛いことをしたらその方がおかしい。これは怪我人を運んでくれているという、ただそれだけの状況なのだから。
結局、ネージュは抱き上げられたまま救護所まで運ばれてしまった。
周囲を見ないようにしていたので確かではないが、その場にいたヤンと怪我人の視線が痛かったような気がする。
……気がするだけだと、思いたい。




