08、ヒドラ
ヒドラ襲来。
その知らせが領主バルドの元に届いたのは数日前。
バルドが治める近隣の村が突如ヒドラに襲われ、壊滅状態だという。
バルドは兵を率いて討伐へと向かった。
ヒドラは神話にも登場する伝説級の魔物。
強い魔法耐性と厄介な再生力を持ち、おまけに猛毒まで吐くという。
本来なら、人の領域に現れるような魔物ではない。
そんな魔物が、突如近隣の村に現れた。
人為的なものであろうことは容易に想像がつく。
恐らくは、魔術の類いであろうが……。
だが、ワームやワイバーンならともかく、ヒドラを操るなど本当に人に可能なのか?
仮に可能だとして、どうやってここまで連れて来る?
噂では、伝説のヒドラの棲む領域は、領都ラモスの北方に広がる魔の森の更に奥深くと聞く。
魔の森までは、馬を飛ばしても数日はかかる。
何より、魔物の領域たる魔の森と人の領域との間には、巨大なアケロンの大河が横たわっている。
この大河を越えて魔物が人族領にやって来た話など、聞いたことがない。
なら、どうやって?
伝説の魔物を操り、アケロンの大河を越えさせ、ここまで連れてくる。
とても、人の力で可能とは思えんが……。
ともあれ、今は原因究明よりも早急な対応が求められる。
もし近隣の村が襲われたのが人為的なもので偶然でなければ、次にヒドラが襲うのは領都ラモス。
一刻の猶予もない。
そうして向かった領主率いる討伐軍だったが……。
書物にある通りヒドラに魔法攻撃は一切効かず、接近すれば情け容赦なく繰り出される首や尻尾による攻撃で、近づく兵は全て薙ぎ払われる。
おまけに、多少の傷など瞬時に回復してしまうため、弓矢も役には立たない。
伝承では、ヒドラを倒すには再生する前に全ての首を切り落とすしかないとあるが、そもそも並の兵では傷を負わせることすら難しい。
少なくとも、一撃であの太い首を切り落とせる力量がなければ、ヒドラの相手などできようはずもない。
『私が行くしかあるまい』
英雄ヘラクレスの血を引く(と伝えられてはいる)領主バルド以外に、まともな相手ができる者はいない。
実際、ヘラクレス云々の話を抜きにしても、バルドの武勇は近隣に知れ渡るほど。
バルド様なら、きっと……。
だが、結果は惨敗。
バルドに振り下ろされた尻尾をしっかりと受け止めたところまでは良かったものの、そこで思わぬ攻撃がくる。
ヒドラの口から吐き出された猛毒がバルドを襲う。
勿論、ヒドラの毒は警戒していた……最初のうちは。
だが、戦闘が始まってからずっと、ヒドラが毒を吐いたことは一度もなく、それ故に毒に対する警戒がすっかり緩んでいた。
そもそも、ヒドラなど伝説上の生き物で、戦闘はおろか、実際にヒドラを目にしたのも今回が初めてなのだ。
続く戦闘の中で、ヒドラが毒を吐くというのは眉唾かと、思考の隅に追いやった者も少なくなかった。
確かに、ヒドラは毒を吐かなかった。否、吐く必要がなかったのだ。
そんなヒドラに毒を吐き出させたのだから、バルドの武勇は確かに本物だったと言える。
だが、結果バルドは毒に倒れ、今も生死の境を彷徨っている。
恐らく助からないであろうというのが、大半の意見だ。
今はバルドの息子アンドレが領兵を率い、距離を保ちつつ弓や魔法で足止めを続けている状態だ。
ただ、それも長くは持たない。
とても領兵だけでは持ち堪えられず、冒険者ギルドにも協力要請が来ているのが今の現状、と。
「うん、大体の事情はわかった。ちょっと厄介な相手だけど、多分なんとかなるかな」
「えっ?」「はあ?」
困惑するレイア、ギルマスを他所に、タオは考える。
う〜ん、ヒドラかぁ……。
昔、オリンポスの使節団でやって来たヘラクレスおじさんが自慢してた奴だよねぇ。
9つの首は厄介だなぁ。
仙術を使えれば火龍で焼き払って終わりなんだけど、下界でそこまでの術は使えない。
自身の中で完結する術、自然の理を歪めない術ならいいけど、自然界には存在しない炎でできた龍なんて使って生き物を殺したりしたら、どれほどの仙功を削られるかわかったものじゃない。
そういえば、スサノオ様が8首の大蛇を酔わせて倒したって言ってたような……。
でも、お酒なんてすぐに用意できるかわからないし、第一勿体ないし……。
要は切り口を切ったそばから焼いてっちゃえばいいんだから……なら、なんとかなるかな。
「じゃあ、早速行こうか」
何やら2人が言ってたけど、とりあえず無視してヒドラのところに案内してもらう。
このまま放置して、またカテリーナのお父さんが毒に倒れるようなことになったら、何のために助けたのかわからなくなっちゃうからね。
カテリーナの記憶の代償は、カテリーナのお父さんを助けること。
ボクはやると決めたら徹底的にやる主義なんだ。
仕事に妥協はしない。
神話級の魔物にはちょっと緊張するけど、ヘラクレスおじさんだって人間の時に倒せたんだから、やってやれないことはないと思う。
よし、気合を入れてがんばろう!
そうしてレイアさんの馬に相乗りして1時間ほど。
やって来た村の跡地。
家々は全て薙ぎ倒され、村人の気配は全くない。
村には巨大な魔物が陣取り、その周囲を囲むように領兵が控えている。
「で、ヒドラはどこ?」
そう尋ねるボクに、皆が怪訝な目を向ける。
まぁ、わかるよ。ボクみたいなか弱そうな女の子が魔物退治に来たって言っても、そりゃ信用できないよね。
でも、お姉さんまで何故そんな目を向ける……って?
「はあ?」
本気で言ってるの!? いや、言ってないけど!
心の声を聞いただけだけど!
「ヒドラって……あのトカゲのこと?」
「なっ、トカゲって……。確かに爬虫類だと思うけど、そうじゃなくて! ええ、そうよ。あれがヒドラ。伝説に語られる神話時代の魔物よ」
どうやら、本当らしい。
いや、レイアお姉さん的には嘘は言っていないという意味でね。
でも、あれがヒドラって……。
3つ首のトカゲじゃん。
下界にもカテリーナのお父さんみたいに、ほんのちょっとだけ神々の血を引いている人はいるけど。
このトカゲもそんなようなもんか……。
きっと、ご先祖様はヒドラなんだろうね。
でも、今いるこいつは完全な劣化版だよ。
こうなると、カテリーナに渡した金丹もちょっと強過ぎたかも……。
実際、バルドは死にかけてたし、毒は全身に回っていたから、あれがヒドラの毒なら太上老君の金丹くらいじゃなきゃ中和できないって思ったけど……。
こいつ程度の毒なら金丹は絶対に過剰……。
大丈夫だよねぇ? 死んでないよね? 元気だったし、神々の血も一応引いてるみたいだし……。
ボクが帰った後に倒れてなきゃいいけど……。
もう一度、ちゃんと確認した方がいいかも。
「まったく、トカゲが余計な仕事を増やしてくれる!」
タオは腰の巾着から一振りの剣を取り出すと、ゆっくりとした足取りでヒドラの方に向かっていく。
「えっ? ちょっ、待って! タオちゃん!」
いつの間にかヒドラの方に歩き出したタオにレイアが気づいた時には、タオは既にヒドラの攻撃範囲に入っており……。
「危ない!!」
頭上から風を唸らせて振り下ろされるヒドラの尻尾がタオを捉える。
その巨大な尻尾が少女の体を無惨に叩き潰したと思われた瞬間。
少女によって無造作に振り下ろされた剣が、先程まで少女が立っていた場所にある尻尾をあっさりと切断した。
ギャゥアアアアアーーーー!!
ヒドラの叫び声が響く。
「えっ? なんで!?」
怒り狂って首を振り回すも、ヒドラの攻撃はタオに掠りもしない。
その動きは、禹歩。
北斗七星を象る仙人の歩法。
決して速い動きではない……そのはずなのに、うまく少女の動きを捉えられない。
レイアも、そして村を囲んでいた兵士も、誰もがその不思議な動きに釘付けになる。
確かに当てたはずの攻撃が一切当たらず、怒り心頭のヒドラがついに猛毒を吐くも……。
「风」
タオが小さく呟くと一陣の風がさっと吹き、ヒドラの毒を空の彼方へと吹き散らしてしまう。
ザンッ!! ジュッ!!
続いて放たれた剣の斬撃によって、ヒドラの首が地に落ちる。
そして……再生はしない。
何が起きたのか分からず、呆然とするヒドラ。
「あぁ、尻尾と違って首はすぐに再生すると思ったのか? 残念だけど、再生はしないよ。切ったと同時に、切断面を焼いてしまったからね」
そう言いながら、もう一本の首も切り落とすタオ。
「なかなかの切れ味だろう? 崑崙で火尖槍を見せてもらって研究したんだよ。ボクの自信作なんだ」
ついに首一本を残すのみとなったヒドラが必死に猛毒を吐き出すも、全ては風に攫われ消え去っていく。
「これで、終わり」
最後の首が落とされ、その巨体が倒れ伏すのを確認して、タオは自作の宝貝“火尖剣”を巾着にしまうと、軽い足取りでレイアのところに戻っていった。




