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家出仙女は西側世界で無双する  作者: Ryoko


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30/31

30、女神降臨

 間一髪で動きを止める炎龍と、間近に見える炎龍の鋭い牙に改めて震え上がるカルキノス。

 だが、その視線はすぐに声の主の方に向けられ……。


「ヘラ様!?」


 慌てて人の姿に戻ると、カルキノスはその場に平伏する。

 気がつけば、戦場の兵も、冒険者も、バルドもアンドレもレイアも、タオを除く全ての者が、突如現れた一人の女性の前に平伏していた。

 女神ヘラ。

 西方世界オリンポスを統べる大神ゼウスの妻にして、カルキノスの(あるじ)でもある。

 ただ、そのようなことは知らずとも、ただそこにいるだけで無意識に平伏してしまう存在。

 そのような女神の出現に皆が恐れ慄くなか、タオだけが何やら落ち着かない様子でそわそわしている。


「これ、(わらべ)


 そんなタオにヘラが声をかけると、流石にタオも無視はできないと礼儀正しく挨拶をする。


「ヘラ様、ご無沙汰しております」


「うむ、久しいな。ほんに大きゅうなって……もう、ヘラおばちゃまとは呼んでくれんのか?」


「あっ、えぇと……」


「名は、タオだったかのう? 妾のことは以前のまま、ヘラおばちゃまで構わぬぞ」


 そう揶揄うヘラに、幼い頃のことを持ち出されて恥ずかしそうにするタオ。

 普段は決して見られないタオの様子に、心の中で皆が可愛いを爆発させるも、大女神の前で身悶えるわけにもいかず、じっと事の成り行きを見守ることにする。


「じゃあ、ヘラおばさまと呼ばせていただきます」


「うむ、それでよい。(わらべ)が変な気遣いなどするでないわ。西方(こちら)に来ているというに、妾の元に挨拶にも来んし……。

 大方、オリンポスに知られたら南華老仙(東方仙界)に居場所を知られるとでも考えたのであろうが。

 あの南華老仙(じじい)が本気で探そうと思えば、隠れ切れるものでもあるまい?

 なれば、そちの家出も黙認されておるということじゃ。細かいことなど気にせず、気楽に今の状況を楽しむが吉じゃ」


 そんなヘラの言葉に、密かに安堵するタオ。

 南華老仙(師匠)の連れ戻しも心配ではあるが、東方仙界に属するタオが勝手に西方世界で活動することについても、どこまで許されるのかと不安ではあったのだ。

 タオのしていることは、いわば縄張り荒らしとも言えることで、東方の神仙が西方の神々の世界を侵食しているとも取られかねない。

 それもあって、カティやバルドさんにも、ボクは神ではないって言い張ってたんだけど……。

 こうして西方世界の大神の一柱であるヘラ様……ヘラおばさまのお墨付きをもらえたなら、あまり神経質にならなくても大丈夫かな。


 そんなタオの様子を笑顔で確認したヘラは、ここで表情を改めると、


「さて、それでじゃ……今回は、うちの蟹が迷惑をかけたのう」


 そう言って、軽くだが頭を下げるヘラ。

 大女神ヘラが、たとえ天仙とはいえ、まだほんの小娘に過ぎないタオに頭を下げるなど普通はあり得ない。

 これにはタオもだが、事の推移を小さくなって窺っていたカルキノスも慌ててしまう。


「そんな! ヘラ様が頭を下げるなど!?」


 ついヘラ(あるじ)とタオとの会話に口を挟んでしまうも、


「黙って控えておれ!」


 ヘラから強い叱責の言葉が飛ぶ。


「そもそも、お前は盛大な勘違いをしておる」


 カルキノスの勘違い。それは、ヘラクレスとの戦いで、カルキノスがあっさりとヘラクレスに踏み潰されて殺されたと、皆が馬鹿にしているということ。

 確かに、あの戦いの直後には、そのことでカルキノスを揶揄う向きもあった。

 だが、それは事情を知らぬ神界の一部の者たちだけの話で、大半の者は実力的に勝てるはずもない相手に戦いを挑まなければならなかったカルキノスに同情はしても、その結果を馬鹿にするようなことはなかった。

 無茶な上司(ヘラ)の命に素直に従い、命を落としてしまった忠義者の蟹。

 それが世間一般(神々)の評価で、ヘラも無茶な命令をしたと反省したからこそ、なんの実績もないカルキノスに神格を与え、天空の星座の一つに据えることを決めたのだ。

 一部の下級神がやっかみで揶揄うことはあっても、それは酒の席でのたわいもない笑い話で、決してカルキノス自身の評価に繋がるようなものではない。

 さらに言えば、カルキノスの気にするヘラクレスとの戦いの詳細は、地上の人間たちの間には一切広まっていない。

 どのように殺されたかは語られず、ただヘラの命令でヒドラと共にヘラクレスと戦い、そこで命を落としたとだけ伝わっていた。

 神話に登場するほどの化け蟹、女神ヘラに讃えられるほどの忠義者、天空12星座の一座。

 それが、今の地上世界でのカルキノスの評価であり、決して揶揄いの対象になるような存在ではない……いや、なかったのだが……。


「蟹よ、今回の失態。逆恨みにより地上に混乱を招き、あまつさえ冥界の門を開き、悪霊やケルベロスまで地上に引き入れた行為。決して(ゆる)されることではない」


 そんなヘラの言葉に、震え上がるカルキノス。

 元はと言えば、全てが自分の勘違いだったのだ。

 地上の話も碌に確認せず、勝手に悪友どもの話のみを鵜呑みにして、皆が陰で自分を嘲っていると勘違いしていた。

 結果、地上に要らぬ災いを振り撒き、ヘラ様に頭まで下げさせた。

 このような愚かな蟹は、ここで消滅させられても文句は言えぬ。

 そう思い詰めるカルキノスだが……。


「お前には罰を与えねばならぬ。そもそもが勘違いで、実際には誰もお前を馬鹿にしたり揶揄ったりはしていなかったのだからな」


「はい……」


「だが、これからは違うぞよ」


「えっ?」


「お前のあの時の惨めな戦い? あれは、天空に蟹座が輝き続ける限り、永遠に人の世に語り継がれ、嘲られ続けることになろう」


 そうヘラが宣言した瞬間、世界中のヘラクレスの神話を知る者の認識が書き変わる。

 吟遊詩人の脳裏には、その存在すら碌に気付かれず、蟻のように踏まれて生き絶える蟹の姿が滑稽に思い浮かぶ。

 過去の神話を記した蟹に関する書物には、愚かにも英雄ヘラクレスに戦いを挑んだ蟹の末路が、詳細に記録される。

 先ほどまで、(ラモス)を存亡の危機に追い込んでいた大蟹の滑稽な死に様に、兵や冒険者の口から失笑が漏れる。

 その事実に、顔を羞恥で真っ赤にして肩を震わすカルキノス。


「これが今回のお前への罰じゃ。12星座を変えるとなると、世界への影響が大き過ぎるからのう。

 今回はこれで(ゆる)して遣わす。せいぜい、皆に笑われて反省せよ。

 あとは、そうじゃな、ここにいるヘラクレスの子孫の血が絶えるまで、そこの運河は責任を持ってお前が守護せよ。それが、この地の民に迷惑をかけたお前の罰じゃ」


 それだけ言うと、周囲をざっと見渡し、袖を一振りするヘラ。

 たったそれだけで、怪我人の傷は治り、地に伏していた兵が、冒険者が立ち上がる。


「では、タオ、またのう。今回の詫びにこの辺り(西方)の神々には(わらべ)のことは話しておいてやる故、せいぜい旅を楽しむのじゃな」


「ありがとうございます、ヘラおばさま! あと、この事は南華老仙(師匠)には秘密でお願いします」


「うむ、わかっておる。では、またのぅ」


(あの南華老仙(じじい)のこと、どうせ、今回のことも見ておるだろうがのぅ)



 こうして、領都(ラモス)最大の危機は、女神ヘラの降臨という数百年ぶりの大事によってその幕を閉じたのだった。



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