18、壺中天
「あの、タオちゃん。タオちゃんが稽古をつけてくれるのはとってもうれしいんだけど……。
できれば、野営準備を先にさせてもらってもいいかしら?
日が沈んでからだと、色々と大変になっちゃうのよ。
まずは野営用のテントを張って、薪集めもあるし、できれば食材も確保したいのよ。
暗くなると料理もし辛いから、早めに下準備は済ませたいしね」
今日はここで野営をすると言った途端、突然今から修行を始めると言い出したタオに、やはり野営は初めてかと野営の心得について話し出すレイアだが……。
「あぁ、それは大丈夫だよ。今日はボクの家に泊まればいいから」
そう言って、腰の巾着から両手で抱えられるくらいの大きさの青磁の壺を取り出すタオ。
見るからに高価な壺だが、それを気にする様子はない。
白地に青で描かれた東方世界の風光明媚な自然の景観は、今にも吸い込まれそうな美しさを放っている。
「さぁ、行くよ」
西方世界ではまず見かけない芸術品に、思わず見惚れていた二人の耳に、タオが両手を打ち鳴らす音が響くと……。
「えっ! ここはどこ!?」
「なっ! 先程までいた森ではない!?」
そこは、先程までいた街道沿いの森とは似ても似つかぬ別世界。
大気は清浄な気に満ち、空には瑞雲がたなびく。
森の木々は竹林へと変わり、小川のせせらぎが心地よく耳朶をくすぐる。
竹林を背にひっそりと佇むのは、西方では珍しい木で造られた建物。
大きくもなく、小さくもなく、まるでこの景色に溶け込むかのようにそこにある屋敷を指差し、
「今日はあそこに泊まるから」
そう笑って宣言するタオ。
突然様変わりした景色に、知らぬ間に現れた屋敷……。
「「…………」」
レイア、アンドレの二人は暫し、呆然としていた。
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「……タオ殿、ここは……もしや、神界でしょうか?」
「そんなわけないでしょ。神界っていうのは神様が住む場所なんだから、そんな簡単には行けないよ」
「でも、ここ、ふつうの場所じゃないわよね。強いて言うならダンジョンに少しだけ似ている気もするけど……。
私の知ってるダンジョンはもっと空気が重くて……ここは、なんていうか、もっと空気がきれいっていうか……」
「うん、レイアお姉さんはやっぱり鋭いね。当たらずとも遠からず、かな。
ここはね、壺中天って言って、さっき見せた壺の中の世界なんだ。
現実世界から切り離された異界っていう意味では、レイアお姉さんの言うダンジョンと同じかもね。
でも、ここには悪意のある魔物もいないし、誰も勝手に入ってこれない。
だから、安心してもらって大丈夫だよ」
そう言いながら2人を屋敷へと案内するタオと、混乱しながらも黙ってついて行くレイアにアンドレ。
そうして3人が屋敷までやって来ると、門のところには東方風の衣を纏った美しい女性が一人。
「おかえりなさいませ、主様」
そう言って、タオに向かって恭しく頭を下げる。
「ただいま、素貞。しばらく、お世話になるよ」
「はい。それで、そちらのお二人は?」
「ちょっと出先で知り合った友達っていうか……しばらく、ここで修行させようと思ってるから、よろしく頼むよ。
それで、え〜と……」
「(主様のご事情は存じております。こちらにおられることは仙界には伏せておきますので、どうかご安心を)」
「ありがとう! 素貞、よろしく頼むよ!」
そう言って嬉しそうに笑うタオと、それを微笑ましげに見つめる美女。
そんな二人を黙って見ていたレイアとアンドレはというと……。
(やっぱり、タオちゃんっていいとこのお嬢様なのね。それにしても、ここが本当にあの壺の中なら、タオちゃんってダンジョンを個人所有しているのと同じよね? 本当に、いったい何者なんだろう?)
(父上やカティから聞いてはいたが……流石にこれは、信じざるを得ないか。ただ強いだけ、霊薬を持っていただけでは説明がつかない。この異界を統べる主……正真正銘の女神様で間違いあるまい)
タオの評価を何十段も引き上げていた。
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「小青はいないの?」
「はい、あの子には壺の外での見張りを申し付けておきました。大丈夫だとは思いますが、街道のそばですし、不届き者が出ぬとも限りませんので」
「あぁ、そうか、悪いね。壺には隠蔽の仙術がかけてあるから大丈夫だとは思うけど、たまたま通った人や魔物が偶然触っちゃうかもしれないしね。小青が見ていてくれるなら安心だ」
「そう言っていただけたら、妹も喜びます」
そんな話をしながら、レイアとアンドレに屋敷の中を一通り案内するタオと素貞。
屋敷の中は、外観に反して意外に広く、アンドレ、レイア各々に個室もあてがわれた。
野営であれば、レイア殿の寝顔を拝見する機会もあったのだが……というアンドレの心の声は、しっかりとタオの耳には届いていたが、敢えてそれを指摘するようなことはしない。
そんなもの、街の通りで聞こえてくる声に比べれば、どうと言うこともないかわいいものだから……。
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「ここ、本当にすごいわね。部屋も素敵だけど、なんたってあの露天風呂は最高よ! なんだか、身体が軽くなった気がするもの。
それに、このお料理! 東方の料理なんて初めて食べたけど、ほんとうに美味しいわ」
部屋の案内が終わるとお風呂に案内され、風呂から上がると美味しい料理が用意されている。
まさに、至れり尽くせりのおもてなし。
ギルド長の名代で出席した冒険者ギルド本部の会議で泊まった宿だって、ここと比べれば月とスッポンだ。
もう、ずっとここに住みたい!
思わず、タオちゃんにお願いしたくなる快適さだ。
そして、それは、領主の息子であるアンドレにも言えることで……。
ここは本当に落ち着くな。
我が家の料理人もそれなりの腕だと自負していたが、ここの料理はレベルが違う。
屋敷に華美なところは見られないが、なんとも言えない品格のようなものを感じる。
こういった場所を見せられると、領主だなんだと言われても、所詮は人の範疇でのことと実感させられる。
これでは、ラモスの屋敷がひどくみすぼらしく感じてしまうな。
そんな2人を見ながら、タオは考える。
お風呂と食事で体内の気もだいぶ活発に動き出したし、そろそろ頃合いかな。
これ以上のんびりさせちゃうと、ここから出られなくなっちゃいそうだし……。
「では、食事も済んだことだし、早速修行を始めようか!」
おもむろに、タオはそう宣言した。




