第七十八話
アスモデウスの魔力は消失しました。
フィアナ様が四百年前にこの術を使ったときは悪魔本来の肉体が邪魔をして魂までを封印することが出来なかったみたいです。
しかし、今回は人間の身体を借りているに過ぎないので、直接魂に対して光の剣を刺してその魔力を完全に封じることが出来ました。
目の前には人間の姿を取り戻したユリウスが倒れています……。
「大聖女さんのこと、甘い人だと思っていたんだけど、意外と容赦ないのね。投獄中で極刑は免れないとはいえ、刺せないと思っていたわ」
エルザさんは私が命乞いを聞かずに光の剣を刺したことが意外だと言われました。
慈悲の心を持ちなさいと教えられて来ましたから、彼女が甘いと思われているのもその部分なのでしょう。そして、エルザさんの認識も間違ってはいません。
私が悩みもせずにユリウスを刺したのには理由があります。
「うぴゃあっ! 刺すな! 刺すな! 助けてくれーーー! ……んっ? あれ?」
「……あ、あいつ、生きていたの? まさか、まだアスモデウスは……」
ユリウスがムクっと起き上がって辺りをキョロキョロ見渡す姿を見て、エルザさんは驚いた声を出しました。
そして、ファルシオンをゆっくりと構えます。
こ、このままだと確実に彼に斬りかかりそうですね……。
「待ってください、エルザさん。彼はアスモデウスではありませんよ。先程の魔法はフィアナ様が開発された悪魔特有の邪気を祓う魔法ですから。人間の体には無害なんです」
私がアスモデウスの主張に耳を傾けなかった理由がこれです。
ユリウスの体には無害だと知っていたからこそ、剣をアスモデウスの魂に向けて突き刺すことが出来たのでした。
アスモデウスは自分がどのような術式によって倒されたのか理解していなかったみたいです。
「んっ? お、お前はフィリア! よ、よくもこの王子たる僕を剣で刺したな! そもそも、お前には情というものが欠けているんだ! 何が歴代最高の聖女だ! 笑わせるな!」
意外と元気そうなユリウスは起き上がり、私を確認すると文句を言いました。
大きな光の剣で刺されたのですから、怖い思いをしたのでしょう。
ものすごい剣幕でまくしたてています……。
「本当にアスモデウスじゃないのね? 邪気、ちゃんと祓った?」
「大丈夫です。彼は元々こういう方ですから」
「それが大丈夫じゃなかったからジルトニアはえらいことになったんでしょう?」
ユリウスの様子を見て懐かしく感じるのはパルナコルタでの生活に慣れたからでしょうか。
エルザさんの言うとおり、彼の性格についてもっと私が言及していれば何か変わったのかもしれません。
……いえ、それは思い上がりでしょう。私には誰かを変えるほどの力などありませんから。
ミアが居てくれたから、ジルトニアは窮地を脱した――それだけのことです。
「……本当は僕のことも殺したかったんだろ!? あのとき、殺ろうと思えば、僕ごと殺せたはずだ! 良い子ぶりやがって!」
ユリウスは急に私が彼を殺したがっていたと声を荒げます。
どうやらアスモデウスに憑依されていたときの記憶もある程度残っているみたいです。
しかし、だからといってそれは――。
「何を言っているのですか?」
「お前は僕を恨んでいるのだろう、と言っているんだ! 殺したいほどな! 知っているんだぞ!」
はて、私が彼を恨んでいる?
思ってもみないことを言われて、真剣に考えてみましたが、よく分かりません。
ユリウスを恨んでいるのはジルトニア王国の国民とか巻き込まれた方々だと思うのですが。
「私は恨んでいませんよ。パルナコルタ王国で沢山の大切な人が出来ましたから。もちろん、あなたには罪をきちんと償って欲しいと思っていますが」
「ぐぬっ……」
私が彼の疑問に答えると、ユリウスはムッとした顔をして俯きました。
結局のところ、なんと言えば正解だったのでしょう。
恨んでいると言えば気が済んだのでしょうか。
「あっはっはっはっ! ありがとうな、フィリア殿。俺の心配事が一つ無くなったよ」
「心配事ですか?」
そんな会話をしているとオスヴァルト殿下が上機嫌そうに笑いました。
ええーっと、オスヴァルト殿下の心配事って何でしょう。
解決したのでしたら何よりですけど。
「いや、何でもない。ありがとう。また、フィリア殿のおかげで大陸は救われた。……いや、今度は世界中の国が、かもな」
「そんな……、私こそオスヴァルト殿下に助けてもらえなかったら死んでいました。助けていただいてありがとうございます」
オスヴァルト殿下はポンと肩を叩いて、私を労ってくれました。
ですが、私はオスヴァルト殿下に助けていただいたことを感謝しています。
あのときの胸の高鳴りを私は生涯忘れないでしょう。
「そんなの当たり前だろ。俺はフィリア殿のことを誰よりも――」
「そろそろ帰るわよ。こんな辛気臭い場所で何やってるの? もっとムードを考えなさい」
「うっ……、エルザ殿。言われてみれば、そうだな。もっと雰囲気くらい考えなきゃ、な」
オスヴァルト殿下が私に何かを言おうとしたとき、エルザさんがそれを引き止めます。
すると殿下もそれに同意して頷きました。
また、何かを言いかけて止めています。凄く気になるのですが、エルザさんの言うとおりこの狭間の世界からは早く帰った方が良いですよね。
ミアや師匠も心配して待っているのですから。
「あれ? いつの間にか人数が減っていませんか?」
「マモンさんが〜、世界中から連れ去られた人たちを送りに行っているんですよ〜」
「それはまた、大変なことをされているのですね」
リーナによればマモンさんが“神隠し事件”の被害者の人たちを元に居た国へと送り返しているのだとか。
まさか、世界中の国々を行き来出来るなんて思ってもみませんでした。
移動手段がテレポートとは楽ですね……。
「ヒマリ殿の故郷のムラサメ王国の出身者もいましたなぁ!」
「私は故郷を捨てた身であるが故。ムラサメは既に私の故郷ではあらず」
パルナコルタ王国の遥か北東の海を超えた先にあるムラサメ王国はヒマリさんの生まれた国です。
しかしながら彼女は訳あってこちらに来ました。ムラサメ王国の話はヒマリさんにとってタブーだと感じていましたので、ほとんど話題にしていなかったのですが、フィリップさんとの会話を聴くと本当にしない方が良いみたいです。
「はぁ、はぁ、こっちの王子で最後だ……。お前はジルトニアの牢獄で良かったよな?」
息を切らせながらマモンはユリウスに声をかけました。
本当にこんな短時間に沢山の人を送るなんて凄いです。
その分、疲労もかなり蓄積していそうですが。
「す、好きにしろ。化物……」
「ったく、キレイなお姉ちゃんの悪態は大好物だけどよぉ。こういうクソガキの生意気はちょっと甚振りたい気分になるんだよなぁ」
「ひ、ひぃっ! ぼ、ぼ、僕は王子だぞ!」
ユリウスはマモンさんに睨まれて、腰を抜かしてしまいました。
そして、白目をむいて気絶してしまいます。
よほど、マモンさんが怖かったのでしょう。なぜ悪態をついたのか謎ですが。
「さっさと行きなさい。馬鹿やってないで!」
「へいへい、悪魔使いの荒い姐さんだなぁ」
マモンさんは面倒くさそうに返事をしましたが、ユリウスの服を掴んでそのまま黒いゲートに彼と一緒に入っていきました。
これでユリウスはジルトニアの牢獄に帰ったということになるのでしょう。向こうでは大騒ぎになりそうな気もしますけど。
「クラウス殿のサタナキアは手伝わなくて良いのですかな?」
「レオナルドさん、僕のサタナキアとマモンでは魔力の量が桁違いなんですよ。無茶言わないで下さい。言ったでしょう? 五人運ぶのが限度だって」
肩をすくめながらクラウスさんはマモンさんと自らの使い魔の魔力差について説明をしました。
マモンさんもかなり悪魔の中では上位の存在なんですよね。
アスモデウスが規格外なだけで……。
「さぁ、今度はあたしたちが帰る番よ」
「はい。マモンさん、お疲れのところ申し訳ありません」
「良いってことよ。美人の頼みだったら地獄の果てにだって連れてってやるぜ」
「バカ、誰が喜ぶのよ」
いつもどおりのエルザさんとマモンさんのかけ合いを聞き終わったと思えば一瞬でした。
私たちは全員がパルナコルタ王宮へと戻ってきたのです。
無事に大地を踏みしめる喜びに私たちは歓喜しました。
「帰ってきたんだな」
「こうしてみると感慨深いですね。しかし、アスモデウスが残した爪痕は大きいです」
半壊した王宮が目に入り、私はすぐに現実に引き戻されました。
みんな無事に帰って来れたことは喜ばしいですが――。
「壊れたものは直せば良い、だろ? それは俺と兄上で指揮を取って何とかする。フィリア殿はそれを応援していてくれ」
「応援よりもお手伝いがしたいです。それが性分ですから」
これから王都の復興に忙しくなるでしょう。
私は出来うる限りのお手伝いをさせてもらいたいです。
見ているだけなんて、ストレスが溜まりそうですから。
「フィリア姉さん! 良かったー。本当に、良かった! 無事だったんだね!」
「皆さんに助けられたので。ミアにも心配かけて、ごめんなさい」
「うん! 皆さん、姉を連れて帰ってきてくれてありがとうございます!」
ミアが私に駆け寄って無事を喜んでくれました。
そして、助けに来てくれたみんなに頭を下げます。
この子には随分と心配をかけたみたいです。涙を流している彼女を見ると、胸が熱くなりました。
「ところで師匠はどこに?」
「お義母様は、ええーっと。どこかに行っちゃったみたい……。フィリア姉さんの魔力を感じた瞬間くらいに……」
師匠は近くにはいないみたいです。
色々と話したいことがあったのですが……。
私の本当の母親が師匠であることだけでなく、もっと沢山のことを。
「そう悲しそうな顔をするな。ヒルデガルト殿も何の挨拶も無しにジルトニアには帰らないさ。あの人はそんな無責任なタイプじゃない。心を整理させているだけだよ」
「そうですね。師匠のことを信じます」
オスヴァルト殿下は優しく声をかけてくれました。
どうやら、私が何を望んでいたのか伝わってしまったみたいです。
師匠、まずはゆっくりと話しましょう。リーナさんから美味しい紅茶の淹れ方を学びましたから、お茶でも飲みながらゆっくりと――。




