第六十六話
私は師匠を人質に取りながら宙に浮いている、アスモデウスに手を伸ばしました。
師匠は聖女としての務めを果たすために自分のことを見捨てろと言いますが、私にとってはミアと同じく大切な彼女を見捨てるなど到底出来ないのです。
「ふっふっふっ、それでいい。地上の結界は消えて魔物たちによるパレードが再開されるだろうが、気にするな。どちらにせよ、滅びの未来しかないのだからな」
彼は先程と同様に右手を伸ばして、私の手を握りました。
体温を感じさせないひんやりとした冷たい手。
悪魔の身体構造が人間とはまた別だということを物語っています。
ですが、その構造はマモンさんを観察して十分に把握するに至りました。
――そう、どうやって壊せば良いのかも。
「うがあああああああああああああッ!!」
私の手を握った瞬間にアスモデウスは悶苦しみ、師匠を手放します。
空中から落下した師匠ですが、普段から鍛錬を積んでいますので、無事に着地しました。
マモンさんの再生を何度か確認する内に悪魔は血液の他に体内に絶えず魔力を循環させている生体構造だということを理解していたのですが、その後に悪魔対策として考えていた自らの魔力を悪魔の体内に流し込み循環を一時的に止めるというやり方を試してみたのです。
アスモデウスは自らの身体を強大な魔力で守っていますが、直接触れてしまえば彼の体内に魔力を注入することは可能だとは思っていました。
マナを吸収する要領で彼の身体を守る魔力を少々拝借することが可能になりますから。
計算では魔力の循環が止まると生体としての活動が不可能になり、再生も出来なくなる上に、心臓が止まれば死に至るはずでしたが――。
「エルザ先輩! 起きてください! チャンスですよ!」
「……っさいわね。とっくに起きてるわよ。あの大聖女さん、あたしよりも悪魔の身体について詳しいんじゃないの?」
クラウスさんはエルザさんを起こして、アスモデウスにトドメを刺そうと促します。
体内に毒物を注入されたも同然のアスモデウスは何とか右腕から私の魔力が身体に回らないように必死で止めているみたいです。
そのため全身がスキだらけで、確かに彼を倒すにあたっては千載一遇のチャンスかもしれません。
「ぐああああああああああっ! フィリアーーーーーーーっ! なぜ、こんなことを! 僕は、僕は、こんなにお前のことを愛しているというのに! だからこそ、ここに迎えに来てやったのにーーーーーーーっ!」
「「――っ!?」」
エルザさんとクラウスさんが空中に舞い上がり、心臓を貫こうと武器を構えた瞬間――なんとアスモデウスは自らの右腕を手刀で切り落として再び周囲に黒い矢を放ちました。
今度は更に苛烈に、見境なしに――。
「自分の腕を切り裂いて更に元気になるなんて! 先輩! 引きましょう!」
「馬鹿なことを言わないでよ! 腕を即座に再生しないってことは出来ないってことなのよ。あの化物が片腕になるチャンスなんてもう来ないわ!」
エルザさんは強引に攻めることを選択しました。
恐らく再生しないのは私の魔力によって体内の魔力の循環が上手くいかなくなっているからでしょう。
そしてエルザさんの仰るとおり、彼が油断して私に自らの身体を触れさせるチャンスはもう来ないかもしれません。
「僕が片腕なら敵うと思ったのか!? ふざけるな! 貧弱な人間風情がァァァァァァ!」
「うわぁああああっ!」
「うっ……!」
しかしながら、それでもアスモデウスの力は強く、クラウスさんもエルザさんも、私たちの近くに吹き飛ばされてしまいました。
アスモデウスは興奮状態にあり、血走った目をこちらに向けて空中から突撃してきます。
左手を振り上げて狙っているのはエルザさん――!?
いけません。あの手刀は鋼鉄の剣などよりもずっと鋭くて殺傷能力があります。
エルザさんは地面に体を強く打ちつけて動けません。このままだと彼女が――。
「ふぃ、フィリア……? なぜ、お前がそこにいる?」
「だ、大聖女さん、どうして……?」
気付けば私はエルザさんを庇ってアスモデウスの手刀を脇腹に受けてしまいました。
大丈夫……、血は出ていますが急いでセント・ヒールを使えば治るはずです。
精神を集中させて、治癒魔法を……。
「ちっ、体に傷がついてしまったか。まぁいい、お前にはもっといい身体を用意しているんだ。そのフィアナの魂に相応しい。少し寝てもらうぞ」
アスモデウスの冷たい言葉と共に、首に鋭い痛みが走りました。
意識が……、遠のいて、しまいます――。




