第六十五話
ヒマリさんとリーナさんは短刀で、フィリップさんはその大きな槍で、そしてレオナルドさんも新しい靴で、常人を遥かに凌駕する膂力を持つ中級悪魔たちを圧倒しています。
「あれ? 退魔師の僕より強いような……。あれがフィリアさんが開発されたという対悪魔武具か」
クラウスさんも助かったみたいですね。
良かった。皆さんが加勢に来てくださって……。
しかしながら、依然としてミアは意識を取り戻しませんし、エルザさんとマモンさんは苦戦を強いられています。
アスモデウスが憑依しているユリウスはドンドン魔力を増していて、途中までは戦いになっていたように見えていたのですが、今は一方的な蹂躙になってきています。
「状況は良くないみたいですね。フィリア」
「師匠、どうやらそうみたいです。私たちが想像していた以上にユリウスの魔力が強大で、エルザさんたちですら、太刀打ち出来なくなっています」
師匠のヒルデガルトが私とミアの側まで来てくれました。
状況を一瞥して彼女は私たちが窮地にあることを悟ったみたいです。
「僕とフィリアだけの空間を作りたいというのに。君たちは邪魔ばかりするんだね。ゴミみたいな人間共、実にうざったい」
「――っ!? 姐さん! 伏せたほうがいいですぜ!」
「アスモデウス……! 一体何を!?」
ユリウスは無表情で腕を天にかざすと、空から黒い光の矢が大量に降り注ぎました。
私の側を除いて、あたり一面に黒い矢は突き刺さり次々と爆発します。
王都全体を破壊し尽くそうとしているが如くのその無差別攻撃に私も師匠もあ然としてしまいました。
とにかく何としてでもこれ以上の被害を出さないようにしなくては――。
「んっ? 何だこれは? ふっふっふっふっ、フィリアよ、お前は僕を馬鹿にしているのか?」
私は光の鎖をユリウスに伸ばして動きを封じ込めようとしました。鎖はユリウスに巻き付いて、両手両足を拘束します。
魔法自体の効果は芳しくない。それならば私の魔力によって硬度を最大限に高めたこの光の鎖で物理的に動けなくさせてみようと試してみたのです。
「僕は拘束されるのはあまり好きじゃないんだ。やっぱり、好きな人っていうのは自由を奪って愛でるに限るからね」
「まさか、魔法も使わずに力だけで――」
パリンと高い音を奏でて、鎖は弾け飛びました。
ユリウスはその見た目からは考えられないほどの力強さで、どんな魔物にも傷一つ付けられたことがなかった私の光の鎖を引き千切ったのです。
「大聖女さんは下がってなさい!」
「旦那ァ! 惚れた女に拘束されるってのも悪くないですぜ!」
「ぬぅっ……! しつこい……!」
鎖が引き千切られたのとほぼ同時にエルザさんとマモンさんが立ち上がり、再びユリウスに斬りかかりました。
エルザさんのファルシオンはユリウスの右腕を再び切り落とし、彼は苦悶の表情を浮かべます。
やはり退魔師として訓練を積んできたプロフェッショナル。好機は見逃しません。
鎖を引き千切った一瞬のスキを見逃しませんでした。
「300年前に退魔師を根絶やしにしなかったのは僕のミスだな。フィアナ以外に興味がなくなってしまったのも悪いが。ここまで、僕の恋路を邪魔するとは思わなかったよ。仕方ない、ちょっとだけ本気を出してやろう」
「て、手が伸びた!? きゃっ!」
「こりゃあ、人間の身体を捨ててきてやがる! げほっ――!」
切り落とされた腕を即座に再生するだけでなく、爬虫類の舌のようにグイッと腕を伸ばすユリウス。
彼はそのまま、エルザさんの片足とマモンさんの首を掴んで、無造作に地面に叩きつけます。
あの二人ですら意識を失ってしまいました。
ミアの顔色は良くなっています。ここは私がユリウスと対峙して――。
「まぁ、待て。フィリアよ、僕は美しい君を傷付けたくないんだ。戦いなどして怪我をしたらどうする? 大人しく僕と共に来るんだ。ほら、僕に手を伸ばしたまえ。そうしたら、痛い目を見なくて済む」
私が周囲の“マナ”を吸収して“光のローブ”を身に纏うと、それを感知したユリウスは戦うのを止めるように促しました。
怪我をしないように気を遣っているみたいですが、この惨状を見て黙っているわけにはいきません。
それに彼に付いていくということは、更なる破滅を意味します。
「大破邪魔法陣を使っている私がこの国から動くわけにはいきません。あなたの誘いには絶対に乗らないということです」
「うーん。やる気満々ってわけか。困ったな……。僕はきれいなままの君を持って帰りたいんだけど。あー、そうだ。こういうのはどうだろう? 先代ジルトニア聖女ヒルデガルト……、フィリアの伯母か」
「し、師匠! 避けてください!」
「なっ……!?」
ユリウスはおもむろに師匠に向かって腕を伸ばしました。
そして、彼女の腕を掴むと自らの元に乱暴に引き寄せました。
な、何故、どうして師匠を急に――。
「フィリアには自分の意志で僕に屈服して付いてきて欲しいからね。人質を取らせてもらうよ。へぇ、随分と彼女にはしごかれたみたいだね。師匠だということは記憶にあったが」
ユリウスはヒルデガルトが私の師匠だったことは知っています。
ただ、彼女からどんな修行を受けたのかなどは一切話していません。
それなのに、何故、彼はまるで師匠がどんな修行を私に施したのか知っているような口ぶりになっているのでしょう。
「不思議そうな顔をしているな。僕は触れた人間の記憶を読み取ることが出来るんだ。へぇ、ヒルデガルトよ。君はフィリアに秘密にしていることがあるじゃないか。こんなに大事なことフィリアに黙っていて良いのかな?」
「――っ!? ユリウス! 止めなさい! 余計なことを言うことは許しません! うぐぐっ……!」
「うるさいな、ちょっと黙っていろよ」
師匠が私に隠し事を?
いえ、誰にだって言えないことはあるはずです。
そんなことよりも師匠を早く助けなくては。ユリウスが師匠の首を絞めているのは、私に対する脅しなのでしょう。
しかし、人質としての価値がある限り、殺すことはしないはずです。
「フィリア、母親の命が惜しいのなら僕に付いてこい。永遠に僕と共にいると誓え……!」
「――っ!?」
な、何を言っているのですか? こ、この人は。
し、師匠が、ヒルデガルトが私の母親のはずがないではありませんか。
だって、それなら私とミアは姉妹ではなく、父も母も……。
「この女、お前が両親だと思っている連中に娘を奪われているんだよ。家の存続の為にな……! 憐れだよなぁ。人間も悪魔に負けないくらい鬼畜なことをしているらしい。お前の妹は知っていたみたいだぞ」
アデナウアーの本家は聖女になる素質のある女性が生まれなければ養子を取るなどしていたことは知っていました。
ですが、私がそうだったなんて。いえ、奪われたというような言い回しをしたということはもっと無理矢理……。
信じていたことが全部崩れ去りそうになりました。
あらゆる動じない精神を培ったはずなのに、気付けば体が震えていました。
「フィリア! 私のことを見捨てなさい! あなたのことを私は捨てました! 娘を捨てた母親など本物の親ではありません! あなたは自分のこととこの国のことを考えれば良いのです!」
師匠は自らを見捨てるように私に指示を出しました。
このとき、私はユリウスの言葉が本当だったのだと確信します。師匠がわざわざ私が彼女に恨みを持つような言い回しをしたのですから。
ヒルデガルト・アデナウアーは間違いなく私の母親なのでしょう。
しかしながら、ユリウスの思惑と違い……彼女は人質としての機能を果たさないことを望んでいます。
師匠は「聖女ならば国のことを何よりも優先すること」といつも口にしていました。
そして、そんな彼女は自分よりもパルナコルタ王国を優先しろと言っているのです。
彼女を助けるために自ら危険を冒すのは、この国を守る聖女として失格だと師匠は言っているのでしょう。
『いいか! 人間ってのは、正しいとか、正しくないとか、そんなことを頭で考える前に! 心で判断しなきゃならない時もある!』
以前の私なら合理的でリスクの少ない道を選んでいたのかもしれません。
――ですが、今の私は何を成し遂げたいのかを優先したい!
師匠は、ヒルデガルトは、母親とか血の繋がりとか、そんなことを関係なしで私にとって大切な人です。
今日まで強く生きる力をくれたのは彼女なのですから。
「師匠、私は絶対にあなたを見捨てません!」
私は自分でも驚くくらいの大きな声を出して、ユリウス……、いえ、悪魔アスモデウスに手を差し出しました――。




