第三十五話
本日2度目の更新です。
「はぁ、はぁ……、もう少しですの。フィリア様のお役に立ってみせますわ……」
グレイスは屋敷の庭で魔力集束術の特訓をしています。
古代術式の基礎を修得している彼女は早くもあと一歩で成功というラインまできていました。
これなら夕方には完全に術式をマスター出来ると思います。
さて、私は私で大事な仕事をしませんと……。
「フィリア様、先ほどから何を熱心に記述されているのですか……?」
グレイスは私が紙に長々と文章を書いていることに気付き、声をかけてきました。
これは、彼女が実家に戻る際に必要になる書類です。
書いている内容はというと――。
「ずっとグレイスさんの修行を観察していましたので、古代術式の最適な修得方法をまとめているのですよ。お姉様方にはグレイスさんがお教えするので、そのときに役に立つと思いまして……」
そう、私が執筆しているのはグレイスがどうやって教えれば良いのかという効率化された修行方法です。
彼女の特訓を見て、躓きやすい点や勘違いしやすい点をまとめました。より早く術を覚えられるようになってもらうために……。
これを読んでもらえれば、恐らくグレイスよりも早く術を覚えることが出来るはずです。
「拝見してもよろしいでしょうか……?」
グレイスは私の書いた指南書を読みたいと言い出しました。
もちろん、グレイスにはこれを持って帰ってもらって、読みながら指導をして欲しいと思っていますので、私は彼女に書類を手渡します。
きちんと分かりやすく書けていますでしょうか……。
「えっと、フィリア様……以前にも誰かに術を教えたことがありますの?」
「いいえ。直接教えるのはグレイスさんが初めてです。本は何冊か書きましたが……」
「とっても理解しやすいですわぁ。さすがはフィリア様です!」
彼女は何故か興奮気味になりながら、指南書に目を通しています。
読みやすいのでしたら、良かったです。随分と上機嫌そうなのは気になりますけど……。
「これさえあれば、わたくしでも何とかなりそうです。フィリア様直筆の指南書……家宝にしますわ!」
「そんな大層なモノではありませんよ。でも大丈夫そうなので、安心しました」
私は彼女の様子を見て、何とかなりそうだと希望が見えてきました。
グレイスは指南書を読み込んで、再び特訓へと戻ります。
ひたむきに……、そして熱心に取り組んで下さってますね……。彼女には感謝しても感謝しきれません。
「例の魔力集束術とやらの訓練ですか?」
そんな中、屋敷に来られたのはライハルト殿下でした。
オスヴァルト殿下から、話を聞いておられるのか、魔力集束術についてご存知のようです。
「左様でございます。術の修得まであと一歩というところです」
私はライハルト殿下に進捗状況を伝えました。
彼はこの計画についてどうお考えなのでしょう。パルナコルタ騎士団の派遣にはあまり良いお顔をされていなかったと聞いておりますが……。
「最高の案だと私は思いましたよ。フィリアさん」
「お、お褒めに与り光栄です」
ライハルト殿下はニコリと笑みを向けながら、この計画を褒めて下さりました。
彼はグレイスの方に視線を向けながら言葉を続けます。
「こちらの犠牲はなく、他国に恩が売れるのです。パルナコルタ王国の繁栄を願う聖女として、これ以上の行動はありません」
なるほど、ライハルト殿下はあくまでも為政者の立場で称賛してくれているということですか。
ボルメルン王国の聖女であるグレイスに計画を手伝ってもらう以上、私も打算的に考えて計画を練りました。
ライハルト殿下の仰ったことはその核心部分です。
「グレイスさんを見ていると思い出します。先代の聖女もこうして、一生懸命に訓練していました。パルナコルタを守るために――」
懐かしそうに過去を語るライハルト殿下の顔は少年のようなあどけなさが見え隠れしていました。
このような表情もされるのですね……。ずっと、国のことを想われている隙の無い方だと思っていました。
「私はこの国をより豊かにする天命を持って生まれた人間です。聖女もまた、国の繁栄のために動く者……。フィリアさん、あなたはそれを誰よりも体現されておられる」
ふとした瞬間に、真剣な顔つきに戻られたライハルト殿下は私の方を向いて、そんな言葉をかけました。
体現出来ているか分かりませんが、そうあろうとは思っています。
「故郷を離れ……現状を受け入れる暇もなく……それでも聖女として動かれていたあなたには感服しているのです。――あの魔法陣の発動からはフィリアさんの覚悟が伝わりました」
「今の私はパルナコルタの聖女なのですから、この国のために動くのは当然かと存じます」
もちろん、故郷には未練はありましたし……妹のことも心配でした。
ただ、自分が何をするべきなのかを問うた時……やはり自らの義務を全うすることこそが自分の道だと思いましたので、大破邪魔法陣を発動させることを決心したのです。
「それは誰しもが出来ることではない。心の強いあなただからこそ、出来るのです。あの日、教会で決意を固めたあなたが術を使用した――私はそのときのフィリアさんの表情に惚れてしまいました」
「ライハルト殿下……?」
「もしかしたら、誤解を招いていると思いまして、はっきりとお伝えしようかと。私はフィリアさんだから婚姻を求めたのです。誰かの代わりだなんて……そんな邪な気持ちは抱いておりません。ただ、それだけを伝えたかった――」
ライハルト殿下ははっきりと先日に求婚された理由を述べました。
こんなにストレートに好意を伝えられたことはありませんでしたので、どうして良いのか分かりません。
彼の気持ちは嬉しい。それは間違いないのですが……。それでも、私は――。
「私は今、頭の整理が追いつかない状況にあります。殿下のお気持ちは非常に嬉しいですし、勿体ないお言葉だと理解できているのですが……」
「分かっていますよ。グレイスさんの頑張りがもたらす結果がハッキリするまで……あなたの心の平穏は戻らないでしょう。私は焦ってなどいませんから。ゆっくりと考えてください」
そんな言葉を残して、ライハルト殿下は屋敷を後にしました。
どうして私は気の利いたことも言えないのでしょう。他人の好意に驚いているだけなのでしょう……。心がかき乱されてしまいます。
まだまだ、修行が足りないということでしょうか――。
それから、数時間後――。夕焼けが見えるようになった頃……。
「フィリア様! ど、どうですか?」
緊張した面持ちで私の顔を覗き込むグレイス。
大丈夫です。安心してください……。
「完璧です。グレイスさん、ありがとうございます……」
「やりましたわ! アーノルド! わたくし、フィリア様に褒めて頂けました!」
「おめでとうございます。グレイス様。既に帰りの馬車は用意しております。少し慌ただしいですが、帰りは早い方が都合がよろしいでしょう」
アーノルドは直ぐにボルメルン王国に向かえるように準備を整えていました。
術を覚えたグレイスが直ぐに故郷に戻ることが出来るように……。
「当然です! フィリア様、このグレイス……必ずやもう一度ここに参上すると誓います。――信じて待っていてくださいまし」
「もちろん、信じています。グレイスさん、どうかお気を付けて……」
こうして、グレイスはこの屋敷から去っていきました。
彼女の成功がこの大陸の運命を左右する――。
しかし、あの太陽のように眩しい笑顔を見ると失敗する未来が浮かばなくなりました。
大丈夫……。彼女ならやり遂げてくれる。私はそれを確信していました――。




