07 それぞれの想い
風呂上がり、少しのぼせてしまった肌を落ち着かせようと、凛花と美晴は旅館の外の石階段に腰を下ろしていた。
外といっても本当にすぐ傍で、敷地内と言ってもいい。
秀から聞いた情報だが、海が見渡せるため休憩スポットのようになっているようだ。
彼は相変わらずどうでもいい情報の仕入れっぷりがすごい。
美晴のワイフォンからは綺麗な歌声がひっそりと流れてきている。
ルリイロ――瑠璃が歌っているという動画を探し出したのだ。
「瑠璃ちゃん、上手だね」
「うん……」
確かに、上手い。
声が曲から少し浮いて聞こえてしまうのが勿体ないが――コメントでも「ミックスが残念」などと書かれている――素直に上手いと思う。
これで今は歌えないというのは、どういうことか。
ただ……。
(コメントは見てて楽しいものじゃないな……)
凛花は眉をひそめた。
「声は綺麗だけど」「ぶりっこ」「つまんない」「必死乙www」など、不快なコメントが多々見られる。
中には応援するコメント、不快なコメントに対して攻撃的にルリイロを擁護するコメントなども流れているが、全体的に漂うのは殺伐としたムードだ。
美晴も同じ気持ちなのか、彼女は曲を流したままワイフォンを伏せた。
パ、と空気を変えて笑いかけてくる。
「それにしても急展開だね、ダブルデート!」
「……美晴、面白がってるでしょ」
「そんなことないよー!」
キャラキャラと明るい声を上げる美晴だが、どうにもニヤけている。
凛花は深々と溜息をついた。
海坊主の提案である、ダブルデート。
人数の関係から、ほぼ自動的に凛花と海坊主の組み合わせが決まってしまった。
解せない気持ちは大いにある。あるけれど。
「まあ、二人きりになるのを避けるためには仕方ないのかもしれないけど……」
「二人きりになるの、心配?」
「そりゃ……」
「すぐるん意外と紳士だからきっと大丈夫だよー」
「……、……待って!? 違うよ!? 私は別に二人の行く末を気にしてるとかじゃなくて!」
「え? 違うの?」
きょとんと瞬く美晴に、凛花は慌てて手を振り回した。
違う。断じて違う。
ただ。
凛花は声のトーンを落とした。
「あのね、美晴。私は……海人さんのことも、瑠璃ちゃんのことも、……まだ信用できてない」
「……」
「美晴を助けてくれた瑠璃ちゃんには感謝してる。でも……」
――でも。彼らは、妖怪だ。
どうしてもその壁が付きまとう。きちんと見定めようとは思っているが、それと、出会ってすぐに信用できるかどうかは話が別だ。
「狐と天狗とスネコスリは……少なくとも秀さんの意に反するようなことはしないんだと思う。でもあの二人は分からないでしょ」
だから心配なのだ。
海人とも、瑠璃とも、二人きりというシチュエーションは避けたかった。
美晴は曖昧に首を傾げた。
同意でもないが、否定的でもなさそうな仕草だった。
「よお」
ふいに二人の前に人影が現れ、二人は揃って顔を上げた。
目の前には先ほどの女性、沙羅が立っている。
彼女の両手には袋いっぱいに詰められたスポーツドリンクだ。
「沙羅……さん?」
「さっきはすまなかったな。びっくりさせたろ」
「いえ、そんな」
「あはは、激しかったよね」
「カッとなるとすぐ手が出ちまう。海人もどうせ迷惑掛けてんだろ? あたしらのお詫びってことで適当に飲んでくれよ」
袋を凛花たちの前に置いた彼女は、ニッと楽しげな笑みを浮かべた。
サバサバしたその振る舞いは、思わず見惚れるほどだ。
イケメンである。上手く言えないが、イケメンである。
ふと気になって、凛花は彼女を隣へ促した。
「いいのかい?」と聞いた彼女はすんなりと腰を下ろす。
スラリとした長い脚がやはりカッコいい。
「沙羅さんにも少し聞きたいことがあって」
「へえ? あたしに分かることか?」
「うーん……。沙羅さんはこの辺に伝わってる人魚の伝承について知ってますか?」
沙羅は瞬いた。
考える素振りを見せた彼女は、軽く肩を上下にすくめる。
「悪いな。最近バイトを始めたばかりだから、この辺のことはよく知らないんだ」
「じゃあじゃあ、呪いの歌のことはどうかなっ」
「ああ……最近噂には聞くな。ただそれくらいだよ。あたしも聞いたことがあるわけじゃない」
思った以上に知らないことばかりらしい。
地元の人間なら何かしら情報を持っていそうだと思っての質問だったのだが――そもそも彼女は地元の人間でもないのかもしれない。
「沙羅ちゃんは、何でバイトしてるの?」
「は?」
がっかりしたのも束の間。
美晴の突拍子のない質問に、凛花、そして沙羅が数度瞬いた。
「何でって……」
「これは女の勘なんだけど……」
ふふ、と意味深に笑った美晴は、ピンと人差し指を立て。
「沙羅ちゃん、海人さんのこと好きでしょ」
「……っ!?」
ボッ、と沙羅の顔が赤くなった。
何を言っているのだと諫めようとした凛花もぎょっとするほどで、凛花はポカンと口を開けてしまう。
対する美晴はドヤ顔だ。
「……え? だってあんなに険悪そうだったのに……沙羅さん、本当?」
「……な……な、なん」
「フフーン、凛花ちゃんは甘いね! 可愛さ余って憎さ百倍ってやつだよ」
それは何かが違う気がする。
「海人さんが好きで、だから一緒のバイトを始めたのに、海人さんはポッと出の瑠璃ちゃんにお熱。そりゃあ沙羅ちゃんも面白くないよね」
「……あんたは……」
得意げな美晴に戦慄いた彼女は、しかし、やがて力を失った。
額に手を当て、深く息をつく。
覗き見える耳が赤い。
「……恐ろしいな、女の勘ってやつは」
「本当なんだ……」
「凛花だっけ? あんたの反応が正しい気はするよ。自分でも思うけど、あたしは言うことやること可愛くないからな。あいつも全然気づきやしねーよ。それでもまあ、喧嘩友達みたいな感じで気安い関係にはなったんだけどな」
「どこが好きなの?」
「グイグイ来るなあんた……!」
顔をひきつらせた沙羅は、それでもだんまりはしなかった。
あーだの、うーだのと口の中で言葉を転がしながら視線を泳がせる。
美晴の期待に満ちた眼差しに苦笑し――彼女は表情を綻ばせた。
嬉しそうに、しかしどこか照れくさそうに。
「難しいな……。……まあ、でも、なんだ。あいつ、あんなちゃらんぽらんだけど……義理堅いっていうか、人情深いところ、あるんだよ」
そう言う彼女の表情は、確かに恋する乙女のようだった。
そして、凛花は気づく。
――彼女の首元にも、鱗のような痕が見えた。
*****
「ハーックション! だぜ」
「海人さん、風邪っすかー?」
「んん、そんなことないと思うんだぜ」
男子部屋にゴロリと寝転がりながら見上げれば、海人は鼻をこすったまま首を傾げている。
それにしても、と秀は部屋を見回した。
天狗と海坊主はどちらも大きいため、二人部屋の室内がとてつもなく狭苦しく見えてくる。
自分だって決して小さい部類ではないので――むしろ大きい方だと秀は主張したい――ますますだ。
「ああ~~……シュウさん羨ましいんだぜ……」
「まだ言ってるのか」
「だってあんな可愛い子と!」
「海人さんの好みなんです?」
「そうなんだぜ! オレは小さくてふわふわしてて思わず守ってあげたくなるような大和撫子が好きなんだぜ!」
カッと目を見開き、熱弁する海人。
秀は軽く身を起こし、先ほどまで自分の背に乗っていたスネコスリを引っ張り上げた。
「ここにオススメの子がいますよ旦那」
「女の子がいいんだぜ!?」
「すねこも、海人、おことわり」
「あれ!? オレもだけど心が痛いんだぜ!」
「こんなに可愛いのにー」
ぎゅうと抱きしめれば、もふんとした感触が手に伝わってくる。
盛大に癒されながら、秀は海人を見た。
ちなみに天狗はちらちらと会話に参加してくるものの、基本はネットゲームに夢中のようだ。
キーボードを叩く手つきが凄まじいことになっている。
「今更なんすケド。海人さんは何であそこでバイトしてるんすか?」
「そんな深い意味はないんだぜ。ただ……」
言いかけた海人が、秀の隣に座る。
彼はポリポリと鼻をかいた。
「オレ、少し前までくすぶってたんだぜ。理由があったわけじゃないんだぜ? でもなんか……パッとしないというか、面白くなくて。そんなオレを拾い上げてくれたのがおやっさんなんだぜ」
「おお……」
「おやっさんはオレにサーフィンを教えてくれたんだぜ。難しいけどやり甲斐がある。人間は面白いこと考えるもんだぜ」
ぐっと拳を握る海人。
言葉の端々から生き生きとした気持ちが伝わってくる。
そういう交流もあるのかと、秀も何やら感慨深くなった。
――自分は妖怪とも手当たり次第交流を行っているようなものだが、妖怪は妖怪なりに人間との接し方を考えているのだろう。
「だから今、楽しいんだぜ。それはおやっさんのおかげだから、何か恩返しがしたいんだぜ」
呪いの歌をどうにかしたいのもそのせいなのだと、海人は照れたように笑った。




