06 旅館にて
広い和室、中央に木製の座卓。
窓からは外が見渡せ、眩しすぎない照明がそれなりに品の良さを醸し出している。
そんな部屋の一室で、カタカタと無機質なキーボード音が響いていた。
「……ふぅ」
狐と天狗も加えて計八名という大所帯の中に差し込む、色のある吐息。
「ひとまず分かったことだが」
ノートパソコンから顔を上げた大柄の男――天狗が、そう切り出した。
「呪いの歌が出回ったのはここ数週間のことのようだな。その前から柳藕海岸で聞こえていたという噂もあるが、動画が上がったのは最近だ。拡散スピードは結構なものだし放っておけばまだ広がるだろうな。それと削除されている動画も多くて、どの動画が初出かは分かりそうにない」
ふぅん、と狐が興味の薄い声を上げた。
彼女は左隣の秀にしなだれる。彼の反対隣にいる瑠璃が不安げに眉を寄せた。
一方、狐の所業には慣れているのか、秀はどちらかというと天狗の方に意識を持っていかれているようだ。
「呪いの種類は報告の中では様々だ」
そう言って天狗は一つ一つ指を折る。
例えば、小指をタンスの角に七回連続でぶつけた。
例えば、彼女が浮気をして別れた。
例えば、体調が崩れ不明熱が続いている。
例えば、会社が倒産した。
例えば、ハゲになった。
例えば――。
「正直なところ真偽は不明だな」
「呪いに関係なさそうなのもかなりありそうですもんね」
思わず苦笑する。
とりあえず、必ず髪が抜け落ちるわけではないらしい。
それが安心できるか否かは微妙なラインだ。
「歌は既存曲ではないそうだ。オリジナルだろう。中性的な声で男女の判別もつかないとされているが……」
凛花は曖昧に頷いた。
――凛花たちは意図せず耳に入ってしまっただけだ。
思い返してみても、声だったのかもよく分からない。
高さや曲調がちぐはぐで、不安感を煽られたのは確かなのだが。
「テンさん、削除申請は?」
「試みているが数が多すぎる。いたちごっこにしかならんだろう」
「デスヨネ」
あっさりと匙を投げた秀は、代わりとばかりにカラリと笑う。
「言われる前にやってるとかテンさんぐう有能」
「テン、ぐう? ゆうのう~」
「茶化すな」
天狗は苦笑した。
しかし満更でもなさそうだ。
「不定期だが、今も時々海辺で聞こえるという噂もある」
「歌の正体を突き止めようとした者は記憶を失ってしまう、なーんて眉唾な話もあるさね」
「う~ん、少なくともハゲた人はいたもんね」
「美晴……」
随分とあけすけである。
カラッとした物言いのためそこまで気にならないものの。
「あと、歌で引っかかったんだけどねェ」
目を細めた狐は、秀に寄りかかっていた身を正した。
彼女は意味深に瑠璃へ視線を向ける。
ニィ、と艶やかで形のいい唇をたわめ。
「この辺には人魚の伝承があるみたいじゃないのさ」
「人魚の……伝承?」
「んふふ。詳しくは知らないよ。でもご丁寧に色々話を振ってきてくれた男共がいたもんだからねェ。……ねえお嬢ちゃん、シュウ坊とデェトなんてしている場合なのかしらね。この辺じゃ人魚なんて存在は良く思われないってのに、バレるリスクを犯してまですることかい? ……まあ、あたしにはどうでもいい話でもあるけどねェ」
言いながら、狐はフラリと立ち上がった。
みんなの視線が彼女へ向く。
その視線に全くたじろがないのは、彼女が注目されることに慣れているからなのか。
「どこへ行くんですか?」
「お風呂」
「……このタイミングでですか」
「あたしがいて何か変わるかい? それに夜更かしは美容の敵さね。あたしはお風呂に入ってそのまま寝るよ。ああ、そうそう、部屋はそのままでいいって言ってたから各自適当に戻んなさいな」
「うぃー」
さくさくと情緒なく告げられる狐の言葉。
対する秀の返事も随分と気が抜けたものだ。
――「部屋はそのままでいい」というのは、本来、この大部屋は秀が借りた部屋ではないからだ。
元々借りていた部屋は男女別の二室、つまり二人部屋と三人部屋だった。
この部屋は狐が旅館の者にコンタクトを取り、「善意」と「厚意」で一時的に使わせてもらっているに過ぎない。
どんな手を使ったのか凛花は見ていないが、あくまでも「善意」であり「厚意」なのだと狐は語った。
ちなみにその時、狐は大胆でシンプルな白いビキニを纏っていたことを申し添えておく。
――とんだ善意と厚意があったものだ。
「あの……」
言われ放題だった瑠璃が、恐る恐る秀の横から顔を覗かせる。
怒った様子はない。どちらかというと気圧されて怯えているかもしれない。
彼女は迷った末、遠慮がちに口を開いた。
「……もしかして、あなたはシュウさんの彼女……ですか?」
思いがけない質問だったのだろう。
狐の目が丸くなり、耳がピンと立つ。
その反応に瑠璃はますます身を竦ませた。
「だから、その……それで、そんなに」
「あはは!」
もごもごと俯いてしまった瑠璃に対し、狐は弾けた笑い声を上げた。
心底おかしそうな笑いだった。
「あたしがカノジョで、だからお嬢ちゃんに嫉妬してるってかい? んふふ、それも面白いねェ。でも違うし……、所詮くだらないママゴトさね。そんなものじゃ揺るがないから安心おしよ」
言葉そのものにはトゲが見え隠れしているが、言い方は本当にさっぱりしていた。謎の余裕である。
この狐は凛花たちに対しても大体こうだ。
面白くなさそうな態度を取ることもあるが、余裕は崩さない。
ヒラリと手を振って狐が消えると、海人がぼそりと呟いた。
「……あくまでも伝承で、全然当てになるものじゃないんだぜ」
「海人さん、知ってるんですか?」
「あまりいいものじゃないんだぜ」
それきり難しい顔で口を引き結んでしまう。
分かりやすい拒絶だった。
隣にいる瑠璃を気にしているのかもしれない。
――確かに彼女の前では話しにくいかもいれない。
「それってどこで分かるんですか? 図書館みたいな?」
「……一応、資料館はあるんだぜ」
渋々答えた海人に、凛花は苦笑しつつも瑠璃を見る。
「瑠璃……さん? 瑠璃、ちゃん?」
「どちらでも……」
「じゃあ瑠璃ちゃんだね! ね、凛花ちゃん」
「……瑠璃ちゃん。あなたはどんな伝承か知ってるの?」
凛花の質問に、瑠璃は心細そうに首を横に振った。
「私は、あんまり……。海辺にいることが多くて、こっちの方にはあまり来ないし……でも、よく思われていないということは長から少し聞いてて」
ぼそぼそと答えた瑠璃は、気まずげに視線を落とす。
ポン、とそんな彼女の頭を撫でた秀は、パッと笑みを取り繕った。
「そんじゃとりあえず、明日は近辺調査と、一応人魚の伝承を調べるっつーことで。あーでも、ネット側の動きも確認しときてぇな。これはテンさんに任せていい?」
「任された」
「じゃあ美晴ちゃんとテンさんチームでよろしく」
「ボクも? テンさんと?」
美晴がきょとんと瞬き、自身を指差す。
凛花も驚いて美晴と天狗を見比べた。
天狗に動じた様子はない。
「美晴ちゃんもけっこー機械とかネット強そうだし。凛花ちゃんよか適任だと思うんだわ」
「ど、どうせ私は弱いですよっ」
「まあまあ。適材適所ってな」
ケラケラと何でもないことのように笑われてしまえば、ムキになるのも恥ずかしい気がしてくる。
凛花は不服に唇を尖らせた。
……確かに美晴より全然慣れていないのは事実だけれど。
「で、残りなんだケド……オレと瑠璃さんは一緒に行動するとして……人魚の伝承についてはあえて瑠璃さんにも来てほしいんすよ。実際とはどう違うかって比較もできるだろうし?」
「あ、はい」
「ま、待ったなんだぜ!」
バン! と分かりやすくテーブルを叩いて海人が膝立ちになる。
瑠璃が驚いたように身を竦ませ、それに「ごめんなんだぜ!?」と慌てた彼は、ゴホンとわざとらしく咳払いをしてみせた。
落ち着こうとしているらしい。
「資料館はそれなりに広いし、二人だけじゃ大変だと思うんだぜ。それに、二人きりってのはやっぱり……」
「でもほら、デートですし」
「デっ……」
わざとなのか天然なのか。
さらりと海人にダメージを与える発言をした秀に、海人は戦慄く。
しかし海人はそこで黙る男でもなかった。
彼は逡巡の後、無駄に――そう本当に無駄に――大きな声で、提案を叫ぶ。
「だ、ダブルデートにするんだぜ!」




