04 告白
亀のような岩が目立つ岩場――そのまま「甲羅岩」と呼ばれているらしい――で改めて合流した凛花たちだが、空気は物々しかった。
はぁ……と溜め息。
その些細な息づかいに凛花と美晴は肩を強張らせる。
先ほどから二人の前には秀が仁王立ちになっていた。
気圧された二人は何となく正座になっている。
しかし痛い。岩場で正座は、正直、痛い。
じっとりとした目で二人を見比べた彼は、もう一度あからさまな溜め息をつき――盛大に雷を落としてくれた。
「美晴ちゃんも凛花ちゃんも! もー! バカ!!」
「バ……バカ!?」
言うに事欠いて「バカ」とは。
さすがに唖然として、凛花と美晴も面食らう。
海坊主、スネコスリ、そして巻き添えになってしまった人魚の少女もハラハラした面持ちだ。
ちなみに子供は海坊主に抱えられていた。途中で気を失ってしまったらしく、動かない。
小学生の低学年くらいだろうか。多少水は飲んでいたようだが、呼吸は安定している。命に別状はなさそうだ。
みんな無事で良かった、めでたしめでたし――とはならなかったのが、秀である。
彼はビシィ! と勢いよく凛花たちに指を向けた。
「無茶すんな! 勝手に暴走すんな! 危ないって分かってんだろ! バカ! もー! バカ!」
「な、何で秀さんにそんなこと言われなきゃならないんですか!」
「そーだよすぐるん! ボクたち人助けしたんだよ!」
二人は立ち上がりかけ――足が痺れて動けず、また戻る。
美晴は溺れている子供を助けたかった。
凛花も同じだ。
そして代わりに助けてくれた相手に、どうしてもお礼を言いたかった。
それを、なぜこうも頭ごなしに叱られなければならないのか。
「そもそもですよ! 何であのとき、私を止めたんですか」
美晴たちを助けに真っ先に飛び込もうとした凛花を止めたのは、秀だった。
人魚が助けてくれたから良かったものの、もし間に合わなければ、凛花は一生悔やんだに違いない。
文句を言いたいのは凛花の方だ。
だというのに、秀は怖い表情のまま――元から愛嬌が強く滲み出ている顔のためあまり迫力はないのだが――譲らない。
「危ないからに決まってんだろ」
「でも!」
「いくら何でも考えなしに突っ込んだら凛花ちゃんだって二の舞だろ。あの波の中、子供と美晴ちゃんを抱えて泳ぐなんて無謀もいいとこだっての」
「私なら泳ぎにも力にも自信があります」
「驕んな」
ピシャリと言い放たれ、凛花は口をつぐむ。
どうしたというのだろう。いつもの軽さなどどこにも見当たらない。軽さが迷子だ。
「あの場にはオレや海人さんだっていたんだ。そっちに任せるのがベターってもんでしょ」
「……海人さんはともかく、秀さんより私の方が泳ぎにも力にも自信あります」
「……いや、まあ……そこは否定しないケド」
「シュウさんしようぜ!?」
「オレだって悲しいケド弁えてんすよ!」
思わずツッコむ海人。返す秀もヤケ気味だ。何だか情けない。
しかし実際問題、ある程度一緒にいて、彼も凛花のパワフルさは実感しているようだった。
凛花は視線を落とした。口を尖らせる。
「やっぱり、私の方がいいじゃないですか……それなのに何でそこまで秀さんに言われなきゃならないんですか」
「言うよ」
きっぱりと言った秀は、真剣な表情だった。
「オレらは男で、君たちは女の子でしょ」
「そんなの……!」
「男女差別なんて時代遅れだよすぐるん!」
「でも事実だろ。ましてやオレは大人なんだよ。君らの監督責任があるワケ。二人に何かあったら、オレは親御さんに何て言えばいい?」
「……それは」
ずるい、と凛花は思う。
こんなところで子供扱いするだなんて。埋められない年齢の話を持ち出してくるだなんて。
普段は年齢差なんて感じさせないような振る舞いのくせに。
ムスっとした凛花の前に、彼はゆっくりと屈み込んだ。
「そんな面倒くさい建前抜きにしてもさ」
「……え」
「心配するだろ」
ずるかった。
――そんなことを、そんな弱った風に言うなんて、不意打ちだった。
それは美晴も同じだったらしい。
虚を突かれたらしい彼女は、一瞬言葉を飲み込んだ。
その後もすぐに言葉は押し出されないまま、彼女の表情が歪んでいく。
怒鳴られたときよりも端的に泣きそうなソレ。
何度も迷い、視線をさまよわせた彼女は、やがて肩を落とした。
「ごめんなさい……」
「うん」
「ボク、焦っちゃって……それにボクもみんなの役に立ちたくて、……何かしたくて」
「美晴ちゃんにはちゃんと助けられてるよ。だからこそ無茶はやめてな。美晴ちゃんがいなくなったらオレも凛花ちゃんもスゲー困るから。な?」
彼の手が優しく美晴の頭を往復する。
美晴はこっくりと頷いた。
続いて秀の目が凛花を捉える。
うぐ、と凛花は言葉に詰まった。
凛花はなぜか、美晴のように素直に頷くのは癪な気がしてしまう。
本音では、もう、彼に対するわだかまりはないのだけれど。
「凛花ちゃんも」
「……」
「凛花ちゃんに何かあったら、美晴ちゃんも嫌だよな?」
「嫌だよ! すっごく嫌だよ!」
「ほら」
「何ですかそれ……」
なぜかドヤ顔を向けられ、凛花は苦笑した。
ここで美晴を出してくるなんてますます卑怯だ。
しかし――少しばかり助かったのも事実だった。
彼女に対してなら、凛花も素直になれる。
「……以後、気をつけます」
「うし」
「……秀さんもたまには大人っぽいこと言うんですね」
「これでも少しばかし二人よりは長く生きているのだよ」
我ながら可愛くない返事だと凛花は思ったが、秀はそれで満足したらしい。
彼は途端に雰囲気をカラリとしたものに変えた。
立ち上がり、ハラハラと見守っていた三名へ顔を向ける。
それはもう清々しいほどに軽く。
「お騒がせしました! 長引かせちゃってサーセン!」
「い、いえいえなんだぜ」
「しゅー、もう大丈夫?」
「おー。あと、えーと……人魚さんっすよね? 今回は助けてくれてほんとありがとうございました! お名前お伺いしても?」
秀に笑顔を向けられた人魚が、ゆっくりと瞳を向ける。
見た目の年齢は凛花たちとそう変わらないだろうか。
秀の説教の間に尾を乾かした彼女は、スラリとした足になっており、人間と変わらない姿に見えた。
濡れていた髪も乾き、緩やかなウェーブを描いている。
薄紅色の珠が連なった珊瑚の髪飾りが可愛らしい。
ネックレスもお揃いだろうか。珠の淡い色合いが彼女の雰囲気を儚く見せる。
人魚のときは青みがかった髪や瞳などからまさに海の生き物のようにも思えたが、人間の姿だと一層神秘的な雰囲気が増すようだ。
じっと秀を見ていた彼女は、しばらくして、その小さな口を開いた。
「……」
「え?」
聞こえなかった。
口は確かに動いているのだが、小さすぎてよく聞こえない。
自然とみんなが彼女の動きに注目してしまう。
くい、と秀のパーカーの袖を引っ張った人魚が、彼に耳打ちする。
「……瑠璃っていいます……」
「瑠璃さん?」
「ええ」
やはり小さかった。ボソボソとしていて聞き取りづらい。
しかしそれでも、鈴を転がすようなと言いたくなるほど可愛らしい声であった。
「羨ましいんだぜ……」
ボソリと――それでも瑠璃の声よりは大きかった――海人が言う。
見れば、彼はひたすら人魚、瑠璃の姿を目で追っていた。
その眼差しはどこかうっとりと熱に浮かされている。
どうやら瑠璃に耳打ちされた秀を羨んでいるらしい。
「海人さん、瑠璃ちゃんが好きなの?」
「す、す、好きとか!」
美晴のあけすけな質問にボッと顔を赤くした海人。
まるで茹でタコだ。
「でも、正直めちゃくちゃ好みなんだぜ……」
「守ってあげたくなる感じするもんね」
「分かってくれるかマドモアゼェェェル」
美晴と海人が意気投合している間にも、秀と瑠璃の会話は進む。
「今回はほんっと助かりました。良ければなんかお礼させてください。あ、飴ちゃんいります?」
「……お礼……ですか」
「そそ。オレらにできることなら何でも。すぐ思いつかないなら別の日でもいいんで……問題なきゃ連絡先交換しときましょっか」
「あの」
少しだけ大きな声だった。
彼女は頬を染めて視線をさまよわせる。
白い肌にほんのりと色づく朱は、同性の凛花から見ても可愛らしい。
「……」
「何て?」
やはりよく聞こえない。
しかし彼女はそこでめげなかった。
意を決したらしい瑠璃が、再び秀の右袖を引っ張り、屈ませる。
「……私の」
「はい」
瑠璃は、声を張り上げた。
「恋人になってください!」
――……はい?




