03 出会い頭は伝説級
美晴は凛花たちと離れ、一人海岸を駆け回っていた。
というのも、どこかにいる狐や天狗を呼ぶためだ。
海という状況のせいか二人はワイフォンを携帯していないようで、すぐには連絡が取れなかったのである。
そこで海岸探索は凛花たちに任せ、直に美晴が探すことを引き受けた。
「もしもし、こちら美晴です、ドーゾ!」
声を上げれば、ジジ……という小さなノイズの後、耳元から声が聞こえてくる。
『あーあー、テステス。感度問題なしです、ドーゾ!』
『こっちも大丈夫』
秀の楽しげな声、凛花の生真面目な声。
相反するトーンに美晴は笑みをこぼす。
耳にハメているのは、いわば小型無線機だ。
オモチャじみたものだが、美晴がいくらか手を加えている。
さらには防水加工だ。
せっかくなので凛花と秀に渡しておいたが――早速使い道があったのは嬉しい。
簡易な連絡にしか使えないが、防水面ではワイフォンより安心だろう。
『ごめんな、こんなこと頼んで』
「ううん! ボクは凛花ちゃんたちと違って妖怪とかよく分からないしね。それでも出来ることがあるなら嬉しいよ!」
『やべぇな、美晴ちゃんチョーいい子じゃん』
「えっへへー」
『でも美晴、あまり無理しないでね』
「凛花ちゃんもだよ!」
『……』
『凛花ちゃん、頷いても美晴ちゃんには見えねーから』
『う、うるさいですよ!』
向こう側のやり取りは賑やかだ。
きっと海坊主も加わってワイワイしているのだろう。
そう考えると、美晴も彼女たちと同じだったら良かったのにな、と思わずにはいられない。
――羨んだところで、どうにもならないことだけれど。
ぶんぶんと首を振った美晴は、改めて周りを見渡した。
海水浴に来ている人混みの中でも、あの狐と天狗は目立つ様相をしている。
見落とす可能性は低そうだが……。
「コンさんもテンさんも見当たらないよー。どの辺にいるのかな?」
『コン姉はともかく、テンさんはどっかの施設の中の方が可能性あるかもな』
『またネトゲですか』
『ライフワークなんすよ』
「施設かぁ……」
周りを見ながら、うーん、と美晴は首を傾げる。
元々、狐と天狗は今回の事件――事件と呼べるほどのものなのか定かではないが――について乗り気ではなかったと聞いている。
懇意にしている秀が乗り出したのでついてきたものの、事件そのものへの興味は薄いそうだ。
狐いわく「妖怪が何やってたってあたしらには関係ないしねェ」ということらしい。
人混みの中では姿を見つけられなかったので、美晴はそこから離れた場所へ探しに向かった。
もしかすると、狐は人に囲まれるのが嫌で離れた可能性がある。
何せあの美貌だ。放っておけばナンパされ放題なのかもしれない。
何より――。
(あの胸は手強いよ、凛花ちゃん……!)
よく分からないエールを友人にひっそりと送り、美晴は拳を固めた。
と、ふいに美晴の視界にちらついたものがあった。
海水浴をしている者だろうか。
沖の方で浮いては沈み、浮いては沈み――。
「……!」
とっさだった。
気づけば、美晴の足は駆け出していた。
*****
海坊主の海人を先頭にしながら、凛花と秀、スネコスリは海岸を歩いていた。
海人は真っ先に目的地に向かうのではなく、朗らかに周辺を案内してくれた。
特に彼がアルバイトをしているという海の家の付近では得意げだった。
「シュウさんたちは泊まりなんだぜ?」
「そっすね。近くに宿取ってるんで、そこで。どれくらいいるか決まってないんでとりあえず一泊しか取ってなかったんすケド」
「今は噂のせいで例年より人が減ってるし、空きは大丈夫かもしれないけど……長引くようなら俺のおやっさんに頼んでもいいんだぜ。きっと泊めてくれるんだぜ」
「マジすか! うっはー助かります」
「これくらいさせてほしいんだぜ」
「スネコも、いっしょ、へーき?」
「平気なんだぜ。おやっさんは犬も好きなんだぜ」
「つーかそのおやっさんにはスネコは見えないと思いますケド」
「それもそうなんだぜ」
どっと笑い声。
凛花には彼らのツボというものがよく分からない。
ともかく二人と一匹の会話は呑気なものだ。
先ほどはハゲ問題で動揺していたようだが、いつの間にか落ち着いたらしい。
緊張感というものが薄れている。
むぅ……と凛花は一人眉を寄せた。
『もしもし、こちら美晴です、ドーゾ!』
「「あ」」
耳元から元気な美晴の声が聞こえ、秀と凛花は同時に声を上げた。
「あーあー、テステス。感度問題なしです、ドーゾ!」
「こっちも大丈夫」
答えれば、向こうからクスクスと笑い声が聞こえてくる。
彼女には狐と天狗を探してもらっている。
見方によってはパシリにも等しい行為だというのに、嫌がらないどころか積極的に引き受けてくれた美晴には頭が上がらない。
一通り彼女とのやり取りを終えると、凛花はふぅと息をついた。
「美晴ちゃんスゲーよなぁ」
通信機になっていたものを耳から外し、まじまじと眺めていた秀が笑う。
「これもだし、あの妖怪のデータベースも美晴ちゃんが集めて作ったんだろ? 意外っつーか」
「結構凝り性なんですよ、あの子」
美晴は「違法にならない程度に改造したよ!」なんてさらりと言っていた。
それがどの程度のものなのか、凛花には分からない。
機械もネットも、凛花にはさっぱり分からない分野だ。
凛花は壊す方が得意ときている。
ジジ……と、ノイズが強く混じる。
また彼女からの連絡が入ったらしい。
凛花は耳をそばだてた。
「美晴?」
『子供が……!』
「子供? どしたん?」
『子供が溺れてるっぽいよ!』
「!」
一斉に緊張が走った。
普段の明るい声とは打って変わった、切迫した声。
嫌でも焦燥に駆られてしまう。
「美晴ちゃん、どこだ!?」
『ギザギザの亀みたいな岩場の近く!』
言うなり、ノイズが一層大きくなった。
大量の雑音が凛花たちの耳に届く。
――助けに海に飛び込んだのか。
「美晴!?」
「海人さん! この辺で大きな岩場って!? ギザギザしてっとこある!? 亀みたいな!」
「え、ええ? ギザギザで亀……って言ったら、多分これから行こうとしてたとこなんだぜ」
「どっち!」
「こ、こっちなんだぜ」
凛花たちに急かされるようにして、海人が走り出す。
二人とスネコも慌ててその後を追った。
見えてきたのは、思ったよりも大きな岩だった。
言われてみれば甲羅にたくさんのトゲを生やした亀のようにも見える。
比較的小さな岩も転がっており、まるで産卵した印象を与えるようだった。
十分も経っていないと思うが、凛花には定かでない。
普段なら何てことのない距離だが、焦りのためか全力疾走のためか息が切れがちだ。
岩場まで行くのももどかしく、凛花はとっさに辺りを見回した。
「美晴! 美晴!? どこにいるの? ねえ!」
必死に呼びかけるが、無線機は雑音しか返さない。
彼女の声を、息づかいを探そうとするが、分からない。
耳が痛くなりそうな乱暴な音。
そこに混じる――微かな電子音?
「岩場の近く……、いた!」
「どこですか!」
「あそこだ」
秀が指差した先には――確かに人影があった。
遠目には岩場まで意外と近く見えるが、実際はそう簡単ではないのだろう。
男の子だろうか。小さな頭が浮き沈みを繰り返している。
そしてそこに、もう一つの頭が増えた。
「美晴……!」
子供の元へたどり着いた彼女は、手を差し出した。
子供がその手をつかむ。二人の距離がぐっと近づく。
その光景に凛花はホッと息を吐いた。
――しかし、次の瞬間、美晴もまた海へ沈んだ。
「美晴!?」
少しして二つの頭が浮く。
しかし、安定感が全くと言っていいほどない。
すぐにまた沈んでしまう。
凛花は駆け出した。
駆け出して――秀に腕をつかまれた。
「何するんですか!」
「凛花ちゃんだけじゃ無理だ!」
「離してください! このままだと美晴もあの子も……!」
「だからって!」
「お、オレたちも行くんだぜっ」
「ねえ、だれか、来た」
スネコスリの声に、三者三様、海へ目を向ける。
見ると――確かに、海の中から美晴たちへ近づく姿があった。
それは泳ぐというより滑るに近い速さで二人の元にたどり着く。
ソレは美晴たちを押しやる形で、凛花たちが目を瞠っている間に、どんどんと岩場の方に近づいていく。
「女の子……?」
美晴と子供を岩場に引き上げたのは、一人の少女のようだった。
少女は再び潜り、また別の岩場の方へ泳いでいく。離れていく。
潮の関係だろうか、その岩場は陸地と繋がらずぽっかりと海に浮いている。
「待って!」
秀の手を振り払い、凛花は今度こそ駆け出した。
「二人は美晴たちをお願いします!」
「凛花ちゃん!?」
制止も聞かずに海へ飛び込む。
見た目以上に波は速かった。
しかし気にも止めず、凛花は突き進む。ぐんぐんと波を掻き少女の姿を追う。
――凛花自身、なぜここまで必死に彼女を追おうとしたのか分からない。
だが、ともかく必死だった。
少女が向かった先の岩場に、遅れてたどり着く。
大きな岩はぽっかりと空洞ができていた。
そのせいだろうか、どこかひんやりとしている。一瞬だけでも季節を忘れそうだ。
「あの」
海から這い上がった凛花は、切れた息もそのままに声を掛けた。
奥にいた人影がビクリと震える。
「お礼、言いたくて……」
息を整えながら顔を上げると――不安そうな目とぶつかった。
小柄な身体。
濡れて艶を増した、青みがかった髪。
海の色を思わせる深い瞳の色は、憂いを帯びていて引き込まれそうになる。
しなやかな曲線の多い身体は、尾まで美しく――。
(……尾?)
きゅ、と少女が胸元のネックレスを握り込む。
凛花は呆然と呟いた。
「……人魚……?」




