02 呪いダウンロード中
「え、ヅラ?」
取り巻きの女の子から発せられた第一声は、随分と無慈悲なものだった。
その言葉を皮切りに、硬直していた大学生が我に返る。
「ち、ちげぇし……! 天然モノだし……!」
「いやさ、でも、そんなばっさりとかある?」
「見ろよこれ! ヅラだったら固まってんだろ! でもちゃんと一本一本抜け落ちて……うわあああ抜け落ちてる――! 俺の自慢のサラサラヘアーが! 風に飛ばされていくううう!」
自身で言ったことで現実を突きつけられたらしい。
大学生は絶叫と共に頭を抱え――その手触りに再び慄き喚いた。
「うそ、マジ?」
「怖いんだけど……」
「やっぱり呪いだよ……」
盛大に取り乱す大学生の姿は注目の的だ。
他の者にも焦りや怯えが見え隠れし始める。その感情は波に乗るように感染していく。
まずい。このままでは噂が広まるだけでなく、この場がパニックになりかねない。
と。
「ヒロシ?」
ふいに進み出たのは秀だった。
ぎちぎちとぎこちなく振り返った男子大学生――ヒロシが、途端に涙を滲ませる。
彼は涙目のまま秀に突進してきた。
「せ、せぇんぱぁぁぁい!」
「おーよしよし。つーか何やってんのお前マジで」
フットワークの軽い彼は、妖怪だけではなく、人間相手でもどこにでも知り合いがいるらしい。
飛びつかれて背中をさすってやっている姿はどうにも手慣れている。
「先輩来てたんすか!」
「ちょっとなー」
「俺まさかこんな……呪いなんてふざけてると思って……うわあああ先輩俺もうお嫁に行けねえー!」
「ヒロシは頭の形キレイだから大丈夫大丈夫」
そういう問題ではない気がする。
ちなみに一緒に来ていた女性たちは揃ってポカンとしていた。
あんなに粋がってノリノリだった男の豹変っぷりを見れば、仕方ないのかもしれないが。
「ていうか、それ……」
凛花は恐る恐る、ヒロシの方を指差した。
厳密にはヒロシが持っていたワイフォン――に繋がっている、イヤホンだ。
そこから、低音と高音が奇妙に混ざり合った奇妙な音が漏れ聞こえてくる。明るいのにどこか狂ったような、とっちらかった音。
凛花の位置からはもちろん、さらにヒロシと近い秀は言うまでもなくその音が耳に届いており――。
……。
…………。
……………………。
「「あ――っ!?」」
絶叫。
凛花は思わず耳を塞ぐ。
わたわたとワイフォンを操作し、電源を落としたヒロシは「あわわわ」と口走った。リアルにそんなことを言う人を凛花は初めて見た気がする。
「せ、先輩! 聴いた!? 聴いちゃいました!?」
「あ、あはー……そうな、うん、まあ、そうな? それが呪いの歌?」
「そっす……すんません、俺、そういうつもりじゃ!」
「まあ分かってっケド。聴いたもんは仕方ねーっすわ。お詫びにっちゃなんだケド、ちょっと色々教えてくんね?」
「俺にできることなら!」
子犬ばりに従順なヒロシに、秀が苦笑する。
背丈は秀とほとんど変わらないのでむしろ大型犬だろうか。
いずれにせよ随分と懐かれているらしい。
やや置いてけぼりを食らっていた凛花と美晴は顔を見合わせ、揃って肩をすくめた。
***
さすがに炎天下での長話は酷なものがある。
そんなわけでパラソルの下に場所を移した凛花たちは、ヒロシ、秀、凛花、美晴の順で輪になって腰を下ろした。スネコは近くで退屈そうに欠伸をしている。
ちなみに他の取り巻きには、ヒロシが説明しご退場いただいたようだ。
さらにちなみに、ヒロシには秀から帽子が贈呈された。頭を隠す用ということらしい。
普通のスポーツキャップのようだが、気に入っている先輩からの帽子ということでいくらか傷心は癒されたようだ。
「まず一点」
「うぃっす!」
秀の切り出しに、正座でビシリと答えるヒロシ。
対する秀は胡座である。気楽なものだ。
「呪いの歌がこの海岸から聞こえるってのはオレらも知ってんだケドさ、ヒロシのワイフォンにその曲が入ってんのは何で?」
「あ、これっすか? ダウンロードしたんですよ」
「ダウンロード?」
「はい。けっこーネット上で動画上がってて。フリー素材にされてるっつーか」
「マジか」
「今なら『呪いの歌』『海岸』とかで調べたらすぐ出てくるんじゃないですかね」
言われ、美晴がワイフォンを取り出す。
素早く該当のキーワードを打ち込んだ彼女は、表示された画面に「わあ」と声を上げた。
凛花も覗き込んだが、確かにズラリとそれらしき動画が並んでいる。氾濫していると言ってもいい。掲示板のスレッドも立っているようだ。
「おっふ、ひでぇなこりゃ」
「何でこんなに……これみんな、同じ人が?」
「違うんじゃねっすか。多分誰かがダウンロードして、またアップロードして、それをまたダウンロードして、って色んな人がしてるんすよ。俺もアップロードはしてねーけど、それでダウンロードしたんだし」
「何でそんなこと……」
「やってる人たちに深い意味はないんじゃねーかな。面白半分っつーか。まあ、一種の都市伝説みたいなもんでしょ」
よく分からない締めくくりをした秀は、考え込むように頭を掻いた。
「ヒロシ、これ初めて聴いたのいつ?」
「俺っすか? 俺は……三日くらい前だったかな。その後も何回かダチと聴いて話題にしてましたけど」
「それまでは何ともなかったんだよな?」
「ええ、まあ……鳥の糞に当たったくらいっすかね。でも三日に一度は当たるんで多分それは関係ないっす」
(それはそれですごい頻度だ……)
元から運がかなり悪い人間なのではないだろうか。
実は髪の毛も何かの拍子にうっかり抜け落ちたのかもしれない。
いや、それにしてはあり得ない抜け落ち方ではあったが。
「聴いてから効果が発動するまでが三日くらい、ってことなんかな……うーん。あとヒロシ、もう一個だけ」
「はい」
「首の痣。どしたん?」
「痣?」
ちょい、と秀が自身の首を指して言う。
見れば、ヒロシの首には確かに赤黒い痣が――まるで首輪のように浮かんでいた。
細かな痕は、どこか規則的だ。
まるで。
(――鱗、みたいな)
「……? え? そんなんありました? 俺どっかぶつけたかな」
「痛みとかはねーんだ?」
「あ、はい」
「んんん? すぐるんどこ? ボクにはよく見えないけど。凛花ちゃんには見える?」
「えっ? ……美晴、見えない? 首のところにぐるっと」
「首でしょ? 別に変なとこはないけどなぁ」
秀と凛花は顔を見合わせた。
美晴が嘘をつく理由はない。しかし、実際に見ているものが食い違っている。
二人と美晴、さらに言うならヒロシも含めて違うことがあるとするなら――それは、妖怪が見えるかどうかだ。
「凛花ちゃん、ちょっとごめん」
断りを入れ、凛花の首元を覗き込んだ秀は目を細めた。
「小さいケド後ろにあるな……。凛花ちゃん、オレは?」
「やっぱり後ろにあります、ね」
ヒロシと同じものが秀の首の後ろにも見える。
ただ、首を一周しているヒロシと違い、秀のはほんの短い痣だった。
全体のサイズは五百円玉ほどだろうか。
しかし細かな鱗を彷彿とさせるその痣は、見ていて気持ちのいいものではない。
隣の美晴を覗き込むと、彼女にもまた同じような場所に痣が見える。
秀の言う通り凛花自身にもあるのだろう。
触れてみるが、感触としてはよく分からない。痛みもない。
ふー……と落ち着いた表情で秀が息を吐く。
そして。
「あっはっはヤベェな! 呪いにかかってんなオレたち! 早速全滅フラグとかマジ笑えなさすぎて笑えんだケドやべーどうしようあはははうわ待ってこのままじゃオレも禿フラグじゃんどうすんのこれ……」
「躁鬱病ですかあなた」
テンションをジェットコースター並みに上げて落とした彼に、凛花は溜め息をついた。
確かにあの衝撃映像を見てしまった後なのでショックは大きい。
しかし柳藕海岸に来た時点で、遅かれ早かれ通った道かもしれないのだ。
うなだれた彼の背を手の平で軽く叩いてやる。
「三日。あるんでしょう。それまでに何とか糸口を探しましょう」
「やだ、凛花ちゃん男前……」
「それに秀さんも、きっと頭の形キレイだから大丈夫ですよ」
「……ごめんなヒロシ。オレ、めちゃくちゃ雑な慰め方してたってスゲー身にしみた……」
「先輩はいつも雑ですよ」
「てへぺろ」
後輩のもっともな意見をやはり雑に流した彼は、よいしょと立ち上がった。
立ったついでに羽織っていたパーカーのポケットから飴を取り出し、おもむろにヒロシに握らせる。
「お疲れちゃん。サンキューな色々。とりあえず飴ちゃん食ってゆっくり寝ておくんなまし」
「はあ……先輩、これ溶けてます」
「暑いからなー」
やはりどこまでも雑だった。
******
ヒロシと別れたところで、ぬっと大きな陰が自分たちを覆った。
凛花たちの前に立った秀が、振り返って「あ」と声を上げる。
「海人さんじゃん」
「お待たせしたんだぜ」
凛花たちも秀の横から顔を出せば、なるほど、サーフボードを抱えた海人が笑顔を向けている。
改めて見るとなかなかの筋肉だった。
サーフボードも様になっている。可愛らしいポップなタコの柄なのが気になるものの。
「遅かったですね。……サーフィン、やるんですか?」
「すまないんだぜ。バイト終わって、いい波が来てたからちょっと我慢できなくて。サーフィンは趣味なんだぜ」
「呑気な……」
趣味に文句をつける気はないが、もう少しくらい依頼人としての自覚を持っていただきたい。
渋面になった凛花の背後から、美晴が凛花の両肩を軽くつかむ。
ひょっこり顔を見せる彼女は、無邪気に首を傾げた。
「ねえねえ。海人さんも呪いにかかったの?」
「? 何でなんだぜ?」
「だって髪の毛……」
「これはスキンヘッドなんだぜ! 元からなんだぜ!」
ショックを受けた海人は――大人げないと思ったのか、一呼吸置いてからわざとらしくゴホンと咳込んだ。
彼はくい、と後ろに広がる海を指差す。
「早速呪いの歌が聞こえるって場所を案内するんだぜ」
不穏な響きだというのに、彼はやはり、ニッカと笑い。
「ようこそ、柳藕海岸へ」




