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20 暗雲たれ

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『今日はお友達とハイキング♪ 緑に囲まれてマイナスイオンたーっぷり♪ はわわ癒されちゃう(・ω・*)ひゃ~っ』


コメント

『森林浴? 健康に良さそう!』

『むしろサッキーからマイナスイオンを感じるよ~!』

『アクティブなサッキーさんもめっちゃいいですね。これからも応援してます』

『自分もサッキーちゃんのツイートを見て外に出ようと思いました! 引きこもりやめます! サッキーちゃんのおかげです、ありがとうございます!』



*****



 電車を乗り継いでも一時間はかからないかもしれない。

 美晴の痕跡を追って凛花たちが辿り着いたのは、そんな案外遠くもない場所だった。

 道はしっかり整備されているとは言いがたい。

 時折飛び出る木の根が歩きにくさを助長させる。

 特に看板はなかったようだが、もしかすると私有林なのかもしれない。

 そんな雑な見当を頭の片隅でつけておきながら、凛花と口裂け女は奥に進んでいた。


 物干し竿から替えた薙刀を握り――やはりこの方がしっくり来る――凛花はちらと振り返る。


「大丈夫ですか?」


「あ、うん……大丈夫」


「息が切れてますけど」


「は、はは……普段は平坦な道だから……道路ってば最高ね」


 答える口裂け女の顔は青い。

 トラックに併走していた存在とは思えない状態だ。

 それにしても、マスクのせいで余計に息苦しいような気がするのだが。

 しかし口裂け女は気丈にも笑みを取り繕う。


「だ、大丈夫大丈夫、ダイエットにはもってこいだもの」


「痩せる必要はないと思いますけど」


「やめて! そういう慰めは信じないようにしてるの! 気休めなんていらないんだから!」


「秀さんもめちゃくちゃ褒めてたじゃないですか」


「あ、あうぅ!? だ、だってシュウ君は、ほら、だってやっぱりちょっと調子良さそうなところがありそうじゃない……!?」


「はあ。まあ。そうですね」


 青くなったり赤くなったり忙しい。

 ネットアイドルも大変なのかもしれない。

 そんなやり取りをしながらも、凛花は周囲に目を配っていた。

 もしかしたら、ここはもう産女の領域テリトリーかもしれないのだ。

 どこで見られているか分からない。


「そ、それより。位置情報だと大体この辺ね」


「臭いはどうです?」


「……こっちかな。あ、でも待って。そこに杭があるでしょ。多分結界みたいなものじゃないかな……このまま進んだら相手にバレるかも」


 指を差した口裂け女が表情を曇らせる。

 彼女の示した先には、確かに古びた杭が数本、地面に突き刺さっていた。

 ――人間が札や呪具を使用するのはイメージしやすいが、まさか妖怪がこのようなものを用いるとは。

 凛花の中で今時の妖怪像がまた塗り替えられそうだ。

 というか、彼らは自分よりきっと器用に違いない。

 複雑な気持ちだ。


「逆に言えば、やっぱりこの先にいるんですね」


「可能性は高いと思う」


「分かりました」


 言うなり、凛花は左足に重心を込めた。

 狙いを定め、一呼吸。

 薙ぐ。

 薙ぎ払われた杭はいともたやすく地面を転がっていく。


「あれ?」


 手応えはほとんどないも同然だった。こんなものだろうか。

 簡単に壊せるに越したことはないのだけれども。


「え、えええええ!?」


「まあいいや。行きましょう」


「あのね凛花ちゃん。この杭はただの杭じゃなくて妖力とかそれなりに……仮にも結界としての役割を……だから普通はもう少し苦戦するというか……えええええ?」


「はあ」


「反動とかない? 痛くない? 具合悪くない?」


「大丈夫です。先行きますよ」


「……何て子なの……」


 口裂け女はブツブツと言っていたようだが、凛花が本当に進むと慌ててついてきた。

 進んでいくと、一層獣道らしさが出てくる。

 草木を掻き分けながら凛花は慎重に足を進めた。

 とはいえ、徐々に気が逸ってくる。

 凛花には臭いなど分からないが、それでも――今まで対峙してきた妖怪の気というものなのだろうか。

 この先だということが、何となく知れてくる。

 確信に近づいてくる。


 そして。


 大きな枝を取り払い、開けた先に――一つの小屋を発見した。

 丸太でできたそれはひっそりと佇んでいる。

 大きさはそれなりだが、造りは簡素なものだ。

 窓と煙突は確認できるが、他に目立ったものはない。

 立地のせいか、打ち捨てられたかのような印象を与えてくる。


 凛花と口裂け女は顔を見合わせた。

 コクリ。先に口裂け女が頷く。

 それに呼応し、凛花は息を殺して小屋へ忍び寄る。

 とはいっても、地面の枝や葉が音を立ててしまうのは止められない。

 パキパキと微かな音が空間を小さく揺らす。


 窓まで辿り着くと、凛花は背伸びをして中を覗き込んだ。

 正直かなりギリギリである。

 今ほど身長を欲したことはないかもしれない。

 口裂け女が無言で応援してくるので――握り拳を上下に振りかざしている――ともかく身も心も振り絞って背筋を伸ばした。


(……いた!)


 凛花の希望が現実になる。

 美晴も――いる!


 中には少女たちが寝かされていた。

 簡素なベッドの上で、彼女たちは動かない。

 見たところ大きな怪我はないようだ。

 しかし――足りない?


(一、二、……三、……四人?)


 被害者は美晴を入れると七人のはず。

 しかし凛花の視界には少女は四人しかいない。

 違う部屋にいるのだろうか。

 ともかくここから解放してやらねばならない。

 差し当たって障害となる産女はどこだろうか。

 中にいるのか、外にいるのか――。


「凛花ちゃん!」


「!」


 口裂け女の声に反射的に振り返る。

 そこには、いつからいたのか、産女の姿。


「いつの間に……!」


 赤子を抱え、俯いた彼女はゆらりとこちらに一歩近づいてくる。

 生気の感じられない瞳に、凛花は歯を食いしばった。

 ――今度こそ負けない。


「みんなを返してもらいますっ!」


 短く叫び、地を蹴り――直後、背後から腕を掴まれた。



******



 空気が湿っていた。

 ここのところずっと天気が安定していない。

 日中は部活動の生徒たちの活気があるが、それもすっかり日が暮れた今では物足りない。

 反動なのだろうか、かえって鬱々とした気持ちになるくらいだった。

 靴を履き替え、何気なく見た窓の向こうは人も少なく、その憂鬱さを増幅させる。


(江中については変わりなし、か……)


 武中信幸は雑な手つきでワイシャツの襟元を緩めた。

 いつも明るくて元気な教え子の笑顔が脳裏をよぎる。

 警察にある程度の事情は説明したし、何か情報があれば武山にも連絡がほしいと伝えてあるが、捜査に進展はない。

 武山も色々と話を聞かれたが、ついぞ――産女のことはマトモに話せなかった。

 そもそも、あれは夢だったのではないかと武山も思っている。

 幽霊だか妖怪だかよく分からないが、そんなものに襲われただなんて――妄想以外の何物でもない。


(咲坂は今日も休みだったな)


 武山は眉間を揉みほぐしながら息をついた。

 彼女は唯一、武山の妄想を立証してくれる存在だ。

 しかし、事件があって以来、彼女ともマトモに顔を合わせられていない。

 本来ならば部活で毎日のように会っているはずだったというのに。


(あいつはあいつで江中を探してるんだろうが……)


 彼女は運動神経も良く、成績も良い。

 何より非常に真面目で頑張り屋だ。

 しかし、どこか不器用な教え子だった。

 何事も「過ぎる」傾向があるが、今もきっと、友人を探して一生懸命なのだろう。

 そんな彼女たちに自分がしてやれることなど何も浮かばない。

 何とも情けない話だった。


(嫌な世の中だ)


 中身のない結論を、武山は胸中で握り潰した。

 湿った空気を振り切るように外に出る。

 そうして。


「タケやん」


 校門前に立っている、一人の少女に、目を奪われた。


「……江中……?」


 制服姿の少女――江中美晴は、武山が脳裏に思い描いたものと変わらぬ笑みを浮かべた。

 ぶんぶんと手を振って駆け寄ってくる。

 じゃれつくようにくるりと武山の周りを巡ると、へへ、と照れ笑いを向けてきた。


「お前、どうして」


「えへへー。帰ってきちゃった!」


「いや、帰ってきたってお前。大丈夫だったのか? 怪我は? 犯人は? いや待て、とりあえず警察……いやその前に親御さんに……というかどうやって」


 疑問が次から次へと溢れて止まらない。

 だというのに、能天気に笑う彼女は武山の手を取った。

 先へ進もうと引っ張ってくる。

 武山もされるがままに歩き出す。

 夢でも見ているのだろうか。

 そんな馬鹿みたいな気持ちが武山の思考を鈍らせる。


「タケやんは心配性だなぁ」


「馬鹿。当たり前だろ。あんな風に消えたら誰だって心配する」


「凛花ちゃんがね、ボクを助けてくれたんだよ。だから大丈夫だったんだ」


「咲坂が?」


「うん、さすがだよね!」


「咲坂ならやりかねないが……その咲坂はどうした? 一緒じゃないのか?」


「凛花ちゃん、頑張ったから疲れちゃったんだよ。だからちょっと休んでるの」


 事もなげに答えられ、武山はつられるように頷いた。

 特に意味のある頷きではなかった。

 カクカクと振動に任せて頷いているだけで、まるで機械人形にでもなった気分だ。

 それくらい今の武山には思考が追いついていない。


「詳しい話は後で聞く。まずは親御さんに連絡しよう。いや、もうしたのか? どうなんだ江中」


「タケやん、せっかちだね」


「江中が能天気なんだ。……というか、どこに行くつもりだ? 家、こっちじゃないだろう?」


 彼女を先日家まで送ったことがあるので――産女のせいで送り届けることはできなかったわけだが――方向は分かっている。

 しかし、彼女はてんで見当違いな方へ進んでいく。

 ただでさえ人通りが少なそうな道の上、時間も時間だけに、周囲には誰も見当たらない。

 天気も悪いせいで視界が暗い。

 電灯も間隔がやたらと遠く――何故だろう、武山は背筋が寒くなった気がした。


「江中?」


 彼女は答えない。

 軽く俯いている彼女の表情は、背の高い武山からは窺い知れない。

 何故か彼女が足を止めたので、先へ進んだ武山は後ろを振り返った。


「江中」


「天気、悪いねェ」


「あ……? ああ、そうだな……?」


「雨が降ったら嫌だねェ」


 美晴は、微笑んだ。

 少なくとも口角は上げているようだった。


「雨が降ったら、また人がいなくなっちゃうかもしれないもんねェ」


「江中……?」


「ねえタケやん。次はボクを狙うのかな。今なら誰もいないよ? チャンスだね? どうする? どうしよっか? 怖いなァー怖い怖い! 怖ァい! 怖いよー!」


 ケタケタと美晴が笑う。

 笑う。

 武山は一歩後退(あとずさ)った。

 美晴は笑う。


「お前は……誰だ?」


 武山の問いに、やはり美晴は笑った。

 ニィと笑って、口の端を上げて、上げて、笑って、そうして、彼女は目の前でぐにゃりと溶けた。

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