28話 ドルトラル帝国軍 寂寥の撤退行【ゼイアード視点】
大軍の運用には緊密な情報交換が欠かせない。
それ故、将軍クラスの人間には、特別な遠距離連絡用の魔導具使用のための魔法修得が義務付けられている。
だが彼らのほとんどは襲撃によって失われてしまったため、現在五万もの遠征師団は烏合の衆だ。
さらに帝国最凶の使役獣である魔蜘蛛が制御の状態になったため、遠征師団のほとんどをエサに残していかねばならなかった。
さて、エサになった農民兵の献身によって離脱できた、俺たち【ドルトラル帝国遠征軍最高指揮所護衛連隊】。
それは50名にも満たない木っ端部隊で、コソコソ隠れながらの逃避行。
敵には完全勝利したのに、まるで敗残兵そのものだ。
「馬鹿馬鹿しい事態になったものですなギュメイ参謀長殿。リーレット領攻略戦では、あれだけの完全勝利を成しえながら、まるで敗残兵のように本国へ戻らにゃならないとは」
護衛隊連隊長を任された俺ことゼイアード。
休憩中に、あまり愉快な話は出来ないであろうが、現在の最高指揮官となったギュメイ参謀長へ語りかけた。
普段は余裕あるインテリ参謀長閣下も、今は見る影もなくやつれている。
話したくはないが、話でもしなければ潰れちまうだろうし、これも役目のうち。
「馬鹿馬鹿しいですむか! ゼナス王国攻略のための軍団五万がそっくり消えてしまったんだぞ!」
「さて、精鋭の騎兵部隊だけでも何とか逃げ延びて欲しいですな。なにしろ主だった将軍方は剣豪サクヤにみな討ち取られてしまい、被害を減らしての撤退など望むべくもありませんでしたからな」
「徴用兵の農民四万五千は全滅か。これでは来年度からの生産はガタ落ちだ。大事の前にこれだけの大軍を失っての帰還など、皇帝陛下に何と申し開きをすればよいか」
天を仰いでのその言葉は苦渋に満ちていた。
今ごろギュメイ参謀長閣下の頭の中は、最悪な未来予想でいっぱいだろう。
「で、その責任者様はどうなされました。あの召喚獣を何とかしようとしない所から、お亡くなりになりましたか?」
「生きてはおられる。だが重体で意識が戻らん」
「そうですか。ま、皇都で責任をとられるまでご存命でなければ、参謀長閣下へお鉢がまわってしまいますからな。せいぜい長生きしてもらいやしょう」
「フン、他人事のような口ぶりだな。きさまこそ守護の役目である将軍方を多数死なせておきながら、生きている事をどう申し開きするつもりだ? 主のレイナス卿も、任せたアーシェラ令嬢を失っては、きさまを庇うまい」
痛い所を突かれ、ゼイアードは顔をしかめた。
あの時自分の中の獣が、あの場は『死地』だと告げた。
そう感じると、逃げること以外のことは何も考えられなくなり、本能のまま退散してしまった。
置いて逃げたら立場を失うというのに、アーシェラのことなどカケラも考えられなかった。
こういった所は、やはり自分は獣そのものだ。
「剣奴に逆戻りですかね。参謀長閣下も死罪は免れようと、元帥閣下の甘い決定を止めなかった責任は追及されるでしょうな。お互い先は暗そうですな」
「くっ! ザルバドネグザル殿は帝国軍髄一の実績を持つお方だ。それが『ゼナス王国攻略のための橋頭堡として必要』と言われれば、従わざるを得まい。それにまさか小娘どもが、巨大な帝国軍に噛みつくなど、誰が予想できる!?」
ああ、まったく参謀長閣下の言う通り。
護衛である自分もまさか、交渉すらまともに出来ない小娘が、あんな大それた事を考えていたなんて思いもせずつい引き入れてしまった…………いや、変だぞ?
「……妙だな」
「どうしたゼイアード?」
「いえ、気にかかることが。奴らの暗殺計画は、検閲とケンカ別れしようと、元帥閣下があくまで交渉することを見抜かなければ成り立たないものでした。こんな事態を見通すことなどできやすか?」
「ウム……こちらは損害なしの完全勝利。もし向こうが降伏しなければ、ただ踏み潰せばよいだけの事だったな。いったいなぜ連中は、元帥閣下が引き留めてまでも交渉しようとすることを見抜いたのだ?」
考えてみたが、『考えてもわからない』という事だけが分かった。
その答えにたどり着ける可能性があるのは、ザルバドネグザル元帥だけだろう。
「ま、それはここで考えてもわかることじゃありやせん。元帥閣下が目覚めた時の質問に加えておきましょう。とりあえず目下の問題は、司令として赴任に来るノーブレン皇子にどう説明するかです。参謀長閣下、お得意の弁舌でどうにか納得させてくださいや」
「『完全勝利いたしましたが、降伏受け入れでしくじって、軍団を全滅させてしまいました』と? どのような弁舌の達人も、激怒させないことは到底不可能であろうな。まぁやるがな」
やがて先ぶれに出した騎士から、ノーブレン皇子の部隊が近くに来ているとの報告があった。
すぐさま最高指揮所護衛連隊は休憩を終え、出発した。




