123話 将棋の魔人
「負けました」
「え? あ、あの………?」
驚いた。今まで無言で将棋を指していたオジサンがいきなり頭を下げて言葉を発したのだ。イヤホンから指し手だけを言っていたお兄ちゃんの声が落ち着いたものになる。
『咲夜、相手が投了した。お前の勝ちだ』
「お兄ちゃん、このオジサン、今しゃべったよ! …………あり? でも頭下げたまんま?」
『棋士の条件反射だろうな。意識は無くとも、そういった局の作法のようなもんが体に染みついてんだろ』
「そっか、そういうことか。でも投了ってことは竜崎さん勝ったの? 将棋プロ最強の人に? 凄すぎる!」
『勝ったのは将棋AIだ。実際見てみるとスゴイ性能だな。名人相手に劣勢から逆転勝ちとは』
「将棋エーアイって? ネットの将棋有名人か何か?」
『【名人】と同じ恥ずかしい間違いしおって。要は将棋に特化したコンピューターだ。オレも知らん文明だったがな。オヤジが人間としか指さなかったせいだ』
ともかくこれで私は自由になった。立ち上がり、背中にメガデスを背負い腰に刀を差して戦闘準備完了。マイクに報告をいれて出発だ。
「それじゃ、これから将棋魔人を倒しに行ってくるね。サポートアドバイスがあったらお願い」
『あるぞ。これまで判明した特殊能力を考えると、将棋魔人はそうとう強い個体だ。正攻法で倒せるか難しい』
「大丈夫! 剣術スキル最強奥義のすべてを叩きこんでコナゴナにしてやるよ。巻き起こる破壊の嵐に、生き残れる者ただ一人として無し!」
『メガデスでそれをやったら、会館はどうなると思う?』
「跡形もなくコナゴナだね。………あっ!』
『そうだ。この将棋会館には百人近くの人質がいる。瓦礫の中に埋まったそいつらを掘り出すのは、さぞ骨だろうな』
ううっ。想像したら、ものスゴイ惨劇。まるで私の方が魔人みたいだ。
「じゃあ下の階に被害が及ばないよう戦うよ。幸い最上階だし」
『一太刀見舞って簡単に倒せそうにないと思ったら、将棋勝負を挑め』
「また将棋? 将棋のためだけに魔人になって、これだけのことをしたヤツだから当然強いんじゃない? 不利だと思うよ」
『たしかに数多の名将が【相手の得手を避け我が得手に誘いて攻めよ】ということを言葉を変えて言っている。だが………』
「はいっ。まず、なんちゃらエテの意味がわかりません。なんなの?」
『キサマ、それでも剣士を稼業にした冒険者か! 要は【相手の得意とする戦いは避け、自分の得意な戦場に引き込んで戦え】ということだ!』
「それならわかる。ラムスとクエストの作戦立てるときには常識だし。じゃあ、なおさら将棋はダメじゃん」
『【だが、こちらには最強将棋AIがある】と続くのだ! 話を空中分解させおって!』
最終対決まで将棋か。いつもとあまりに勝手が違いすぎて、判断に迷うなぁ。
「えーあい………ねぇ。よく知らないものに勝負の行方を委ねるのは嫌なんだけど。大事なときの道具は信頼しているものに頼りたいじゃない?」
『冒険者気質が身についているな。わかるぞ。だが安心するといい。なんといっても104勝無敗のAIの中のAIだ。将棋勝負は無敵テキテキ無敵んキィック~、胸は胸はドキドキ無敵んチェンジ~♬、だ。ガハハハ』
変な歌うたいはじめて死ぬほど不安。でも……
「まぁたしかに将棋最強の人を負かした文明だから信用するけどさ。ハァ、また将棋か。正直あの長考につき合わされるのは死ぬほどツラいんだけど」
『通常、棋戦は持ち時間五時間でやるからな。双方フルに使えば十時間。なるほど、オレもそんなものに付き合わされるのはゴメンだ』
「十時間! やっぱり普通に倒そう。被害はちょっと将棋会館の五階部分が無くなるだけにとどめるよ。そうしよう!」
『そうだな、やむを得んか! 竜崎、降ってくるガレキの始末はまかせたぞ』
と、いきなり慌てた竜崎さんの声が割り込んだ。
『ち、ちょっと待ってください! なに兄妹でトンデモ会話してるんですか! 長考が嫌なら、持ち時間なしの早指し勝負を挑めばいいんですよ。AIの計算速度なら、むしろその方が有利でしょう』
というわけで将棋勝負になった場合、早指しでいくことに決まった。また、将棋魔人と対峙したときには、連絡の応答はしないこと。指示にはYESの場合はマイクを二回、NOの場合は三回たたくことなどが決められた。
基本的な作戦も決まり、いよいよ将棋魔人の居る最上階を目指して歩みはじめる。
薄暗い五階への階段を上っていくと、結界のあった場所はキレイに開かれており子供たちも消えていた。油断せず気配を探りながらゆっくり上ってゆく。
そして五階【香雲の間】。その扉の向こうには魔人の気配。
しかし魔人とは思えないほど静かで大人しい気配だ。
ガラッ
扉を開け中を見ると、そこに羽織袴姿の仮面をつけた男が座っていた。その仮面こそまさに悪魔の仮面! 魔人と化した一人の棋士のなれの果てだ。
――「フッ、どうやってか大多賀名人に勝利したようだな。君が将棋が強くなれば面白いと思ったが。やはり無粋な方法でやり合わねばならんか」
「まぁ……ねっ!」
メガデスは使わず腰の刀で居合切り。人の目ではとらえることの出来ないほどのスピードのはずだけど、将棋魔人はその場からキレイに消え失せた。
背後から気配がし、飛び退って見ると、そこには魔人が変わらぬ姿勢で座っていた。
「この将棋会館で私を倒すのは無理だよ。将棋に人生をかけている者たちの情熱が、私に無限の力を与えてくれているのでね」
なるほど。やはりこの将棋会館をコナゴナにするか、もう一つの方法で決着をつけるしかないみたいだね。
そして前者を選択した場合、この会館内に居る多数の人たちの命をも奪わなくてはならない。となると選択肢は一つだけ。
ガチャガチャ
メガデスと刀を放り捨て、その場に正座する。
「将棋にて決着をつけましょう。永井さん、一局お相手願いします」
「ほほう? 言っておくが、もはや私は名人を相手にしようと百戦やっても百回勝てるだけの棋力を身につけているぞ。それでも?」
「ええ。ただ私はあまり気の長い方ではないので。ゆえに持ち時間ナシ、一手二分以内の早指し勝負を所望します」
「かまわん。私は早指しの方が得意だ。長く対局に耐えられなかった体ゆえに、自然とそうなった」
「ならば勝負の仕方はそれで良いですね。そして賭けるものですが」
「ああ、負けたなら私の命をやろう。ただし当然君が負けたなら――」
「私の命を差し上げます。約束厳守の制約、今も生きていますね?」
「フフッ、それも承知で微塵の動揺もなしか。君の腕前はまだわからんが、その度胸だけは買おう」
部屋の隅に置いてあった四つ足の将棋盤が「スウッ」と浮き上がり、魔人の前まで来て音もなく置かれた。
正直、将棋AIとやらを頼りに自分の命を賭けるのは不安でしかない。しかし将棋魔人の命を賭けさせるには、私の命を賭けるしかないのだ。命懸けなんていつもの仕事。やってやるさ。
駒を並べ先手後手の順も決まり、魔人討伐の局がはじまる。
「では、お嬢さん。お願いいたします」
奇妙な光景だ。魔人が私に頭を下げている。
されどその姿は何かに命を懸ける者の気品があった。ただの敵と割り切れない何かがあった。
「お願いします」
私も自然と礼の言葉が口からこぼれ、敬意を込めて頭を下げた。




