120話 声優猛る! 茜の役目【岩長視点】
パチリ
「7四銀、詰みです。これで五勝」
「7四銀だ、咲夜」
本当に竜崎は強いな。ストレートで奨励会の子供五人に勝っちまいやがった。
「さて、これで咲夜さんは上に行ける権利を得たわけですが。四階に行く前に途中三階の事務室をざっと調べてほしいと伝えてくれますか。そこは全対局の間を見れる場所ですから、そこに元凶が居る可能性もあります」
「たしかに考えられるな。おい咲夜。四階に行く前に三階事務室を調べろ」
『え? なんで? 三階に対局室はないよ』
「寝ぼけるな。お前がそこにいるのは、そこに巣食っている魔人を倒すためだ。その調査に途中階も調べるのは当然だろう」
『ううっ、ダメだよ。早く四階に行って、もっと強い人と指さないと……』
ダメだこりゃ。
建物の中は濃密な将棋への執念の魔力が渦巻いている。咲夜はすっかりそれに当てられてこのザマか。
「やはりまだ洗脳は解けていませんでしたか。これでは先へ行かせても、役に立ちそうにありませんね」
「そのためにアイツを連れて来た。おい、湯雪」
オレは背後の湯雪に声をかけると「は、ひゃい!?」と噛んで返事をした。
「出番だ。これで咲夜に呼びかけろ」
「え? ええと、あたしがでふか?」
湯雪は渡したマイクをおずおず受け取ったが、困ったようにキョドって声を出せない。
「ったく声優だろう。この場で声が出ないとは……そうか、いっそ仕事にした方がいいかもしれんな」
オレは立ち上がり湯雪を真正面にみつめる。
「湯雪茜、これはいつもの仕事だ。ちゃんと後で報酬も支払う。オレの言葉通りの台詞をマイクに入れろ。リテイクなしの一発どり。感情もしっかりこめろよ」
「仕事………は、はい! いつでもどうぞ」
さっきとはうって変わって、しゃべり方がハキハキする。獲物を狙うかのような目をして、オレの言葉を一字一句聞き逃すまいとする。良い顔をしている。『新人声優』などとしゃらくさい自己紹介をしていたが、芸歴は長そうだ。
さて。咲夜が喜びそうな台詞は…………うむ、これだな。
「咲夜、しっかりしなさい。将棋があなたの本当にやりたいことなの」
すかさず湯雪はマイクに向かって熱演する。声もアニメ声になって迫真だ。
「咲夜! しっかりしなさい。将棋があなたの本当にやりたいことなの!?」
『あ、茜ちゃん? 茜ちゃんなの? いったいどうして…………』
くっ、咲夜にラヴコールまがいの激励を言うのは、思ったよりもキツイ。オレの声で女言葉も気持ち悪いし、まるでエロゲのシナリオ屋だ。あいつらは、シナリオ構成の場でヒロインの台詞はおろか喘ぎ声までやるのだ。気色悪いオヤジ声で。
それでもこの苦行に集中せんとな。オレの声は精神力でカットだ。
「本当になんでよ! 咲夜、あなたは昔はそんなヤツじゃなかった」
『え? 昔って? 今日あったばかりのような気が……』
「あなたはいつもカッコ良くてかわいくて素敵だった。憧れてた。大好きだった。愛してた!」
『え? ええええ!?』
「思い出して! 出会った頃のことを。あたしたちの育んだ思い出を!!」
『お、思い出す………うううっ、頭が………!』
「そうよ、思い出して! 昔のあなたを。あたしが愛したあなたを!!」
『ああああああ! 頭が、頭があああっ!!』
「がんばれ咲夜! 負けないで。思い出すのよ、昔のあなたを! みんなのためにひたすら剣をふるって戦ったあなたを!!」
『ああああああ! そうだ、私は! 私はあああああ!!』
よし、もういいだろう。
オレは「終了だ」といい、再びマイクを湯雪から受け取る。
「咲夜、目は覚めたか。お前のやるべき事は何だ?」
『お兄ちゃん……うん、思い出した。ここに巣食っている魔人を倒すんだよね』
「よし、完全に洗脳は解けたな。では、その一歩として三階事務室を調べるのだ」
『わかった……でもお兄ちゃん。茜ちゃんのことだけは、どうしても思い出せないんだ。私あの娘とどんな関係だったっけ?』
「それは後でゆっくり考えろ。今はとにかく行け」
タネを明かせば、じつは湯雪にはあらかじめスキル【演技力】をアップさせていたのだ。この娘を咲夜に抱かせたのも、スキルを付与することが出来るようにするため。その結果、将棋魔境の洗脳すら打ち破る演技力を得たというわけだ。
竜崎もこの結果には大いに感心した。
「すごいですね。その娘を連れていたのは、咲夜さんの洗脳対策のため、ということですか」
「うむ。いい仕事をしてくれた」
「ですがそうすると、岩長くんは咲夜さんが洗脳されることを見越していた、ということになりますが?」
勘の良いコイツは嫌いだ。
竜崎の言う通り、オレはこのあたりまでスキル【未来視】で知っていた。もっとも、本当にこのあたりまでだ。このスキルで視た未来は変えられないので、自分の参加する戦闘などに使うにはリスクが大きすぎる。
「そいつは詮索するな。それより咲夜の報告に集中しろ」
そろそろ夕暮れ。将棋を五局も指したら、さすがにこんな時間にもなるか。決戦は深夜になるかもしれんな。やがて咲夜から到着の報告が上がる。
『事務室に来たよ。ざっと見回したけど誰もいない』
「そうか。気になるようなものもないか?」
『そうだね………将棋の棋譜が何枚もあるんだけど、妙に気になるのが一枚』
「なんだ、どんなのだ?」
『なんというか、すごく執念のようなものを感じるというか。この棋譜一枚にすごく気配が宿っているんだよ。モノに宿った残留思念をこんなに感じたのははじめてだ』
「ふうむ、その棋譜はどの時期に行われた局だ」
『ええと、日付は去年六月で【王位挑決】って対局らしいよ』
「王位挑戦者決定戦だな。王位は将棋のタイトルの一つだ。誰と誰の対局だ」
『ええっと、永井昌輝六段と…………』
――「永井さん!?」
ふいに竜崎が大声を発した。
「なんだ、どうした竜崎」
「いえ、知り合いの名前が出たもので。………そうか、繋がる。繋がってしまった! 八神くん、すぐに永井さんの療養先に連絡を! 彼の在宅の確認を!」
八神が使い走りに出た後、あらためて竜崎にそいつが何者なのかを聞いた。
「さきほど『たまに強い人と指している』と言いましたね。その相手が棋士永井昌輝六段なんです。八神くんが高校からの友達だった縁で知り合いましてね」
「ほう、どんなヤツだ。顔から見て元凶がそいつだと睨んだようだが?」
「大変才能のある棋士で、通常ならとっくにタイトルの一つや二つとっていてもおかしくない人でした。ですが……悪性腫瘍を患っているんです。そのため長い対局には耐えられず無冠のままでした」
「ふうむ。しかし王位の挑決には出ているが?」
「はい。決死の覚悟でタイトルをとりに出たんです。そして昨年六月に行われた王位挑戦者決定戦。中盤まで有利に局を進めてきましたが、終盤にかかる頃、突然致命的な失着をしたんです。病で意識が朦朧としてミスったのだとか」
「ほほう。まぁ良かったではないか。それでタイトル戦を抜けて療養に入れたのだろう?」
「ええ、他人から見ればそうでしょうね。ですがタイトルに命を懸けて挑んだ永井さんにとっては………」
なるほど、繋がる。棋譜に宿った執念というのも状況が一致する。
やがて八神から連絡の結果が報告された。永井昌輝六段は療養先から姿を消しており、現在行方知れず。つまり、そういうことだろう。




