111話 スタジオ前の横暴劇場
さて。というわけで私はお兄ちゃんの運転する車へ乗り込み、現場へ向かう。
事件発生場所の将棋会館へ向かう前に、お兄ちゃんの建てたという音響スタジオへと向かっているんだけど、やっぱりお腹すいたなぁ。
「それにしても真琴ちゃんの弟さんも、将棋するのにどうしてわざわざそんな場所に行ったんだか。将棋ならネット対戦すりゃいいいのに」
「『どうして』って、そりゃ奨励会員だからだろ。そこで指した対戦成績が昇級昇段に関わってくる…………って、おいこらド素人。まさか将棋会館をカード店の対戦コーナーみたいなもんだと思ってんじゃないだろうな?」
「違うの? 昔お父さんが行ってた将棋教室を豪華にしたような場所でしょ?」
「ぜんぜん違う! 『棋士』と呼ばれるブロの将棋指しの会場、もしくは奨励会員という棋士候補生が棋士になるべく昇級昇段をかけて対戦する場所だ!」
「え? 将棋にプロとかあんの? あれっておじさん達のカード対戦みたいなもんじゃないの?」
「全国千五百万の将棋ファンに呪われろ! テレビとかでも対戦やってるだろう。ま、あれを見てどんな攻防がなされているか分かるヤツは、そうはいないが」
それってテレビ中継の意味あんの?
ああ、そういや将棋教室にいたオジサンがナントカ八段がどうとか熱く語っているのを見たような気がする。私も昔将棋はけっこう好きだったんだけど、TVゲームの方にハマってやらなくなっちゃったんだよね。
「私はテレビなんてない場所で生活してんだよ。でも、ま、常識ない発言して悪かったよ。とにかく真琴ちゃんの弟さんは将来将棋のプロになるべくそこに通ってるんだね」
「さあ? そうとう狭き門だから棋士なんてなれるかどうか。それに魔族の脅威が深まったら、将棋のプロなんかで食えるか分からん。早いうちに脱落した方がいいかもしれんがな」
そうこう話しているうちに、車は目的地の音響スタジオにたどり着いた。
やれやれ。お腹すきすぎだから早くご飯をもらってきてほしい。正直コンビニに行ってくれた方が早くご飯にありつけたから、その方が良かったんだけどな。
「すごい………ここって渋谷でしょ。こんな一等地にこんな凄いスタジオなんて建てて本当に大丈夫なの?」
それは思っていた以上に豪華なスタジオだった。
白塗り三階建てのハウス形式の建物で、その建物自体は周りのビルに比べれば小さいものだけど、塀で囲まれた敷地が広い! そりゃ音響スタジオだから周りの道路はなるべく遠ざけた方がいいのはわかるけど、一等地の土地をこんなに買って大丈夫なのだろうか。
「渋谷が一等地だったのは昔だ。今はもうすごい勢いで地価が落ちている。ここらのクラブの悪たれどもが吸血鬼になって近隣住民を襲う事件が起きてな。一時渋谷はロックダウンされたのだ」
「それは………まあ、ご愁傷様で。その事件はどうなったの?」
「オレと真琴で解決した。その一件で、かなり警察自衛隊なんかに顔がきくようになってな。この手の事件には呼ばれるようになったというわけだ。ま、詳しい話が聞きたかったら後で話してやるよ。今はさっさとメシを調達して将棋会館に急ぐぞ」
音響スタジオの中か。ちょっと興味ある中身にドキドキ。
されど車がその門をくぐった時に、そこの警備員さんにとがめられた。
「ちょっと、君たち。勝手に入っちゃダメだよ。今アリサソフトさんの収録中なんだから」
あれ?
「お兄ちゃん、注意されたけど? ここのオーナーじゃないの?」
「む? うぐ崎のやつが雇った警備員だな。アリサソフトに格安で使わせるかわりに、ヤツに管理一切をまかせているのだが……オーナーであるこのオレを不審者あつかいとはナマイキな」
顔合わせくらいしなさいよ。自分の施設の管理人なんだから。
「うむ。君とは初対面だったな。オレはこのロックロングスタジオのオーナーの野花岩長だ。中の連中に少し用があるので入るぞ」
「ダメだって。スタジオのオーナー? とてもそんな方には見えないね。それに、そんな言葉でホイホイ入れてたら警備員はつとまらない。ここのオーナーだっていうなら、それを証明するものを見せてもらわないと」
ごもっとも。私だって、いきなりこんな事を言う男が現れたらヤバイ輩だと警戒してしまう。
それにいちおう高いスーツ着ているのに、チンピラに見えてしまうお兄ちゃんの風貌はどうにかならないものか。
「おい、オレはこのスタジオのオーナーだぞ! さらに中で収録しているアリサソフトの筆頭株主でもあらせられる! オーナー命令だ。今すぐオレたちを中に入れろ!」
お兄ちゃんは激昂しながら車から出て警備員さんに詰め寄る。
「お兄さん、虚言壁があるの? とてもそんな偉い人には見えないね。いいから、帰ってよ。僕も立場上不審者を入れるわけにはいかないんだから」
ああっ、お兄ちゃんの顔がなんかヤバイ雰囲気になってきている。
「次で最後だ。もしもう一度オレを不審者扱いして入れぬというなら、アリサソフトからオレの資金を引き揚げる。さぁ、返答してみろ」
携帯電話を手にした! 本気だ!
たかだかご飯を調達するだけなのに、どこまで事態を大きくするするつもりだ!
警備員さんも、お兄ちゃんのただならぬ雰囲気にひるんで、携帯を出してどこかへ電話する。
「宇崎さん、ちょっと今スタジオ前で変なのにからまれて困ってるんですよ。自分はこのスタジオのオーナーで筆頭株主だとかわけのわからん事を喚いているチンピラっぽい男が居座ってましてね。面倒だから警察呼んでもいいでしょうか。
…………はい? 本物の可能性がある? いやしかしガラの悪いお兄さんで、とてもそんなエライ人には見えませんが………ええ、わかりました。かわります」
警備員のオジサンはおそるおそる携帯をお兄ちゃんに手渡すと、引ったくるようにそれを取ったお兄ちゃんは怒鳴りながら会話する。
「うぐ崎! キサマ、どういうつもりだ! こともあろうに、オレを自分のスタジオに入らせないゴロツキを雇うとは! あと少しでアリサソフトのオレの保有株すべてを叩き売るところだったぞ!」
この誠実そうな警備員さんをゴロツキって…………お兄ちゃんの方がゴロツキそのものなのに。
『お、おちついて、野花さん。三浦君は自分の仕事を果たしているだけです。そもそも今日スタジオに訪問する予定なんてありましたか? 自分は聞いてないんですが』
「なぜにオレがオレのスタジオに行くのにキサマの許可がいる! 急に赴かねばならない用事が出来たので来たのだ。文句あるか!」
『い、いえ、ですが今日の収録はプロ声優の方にまかせているんで、僕はそっちに居ないんです。ですから野花さんの相手をする方が………まぁいいです。それで野花さんの用事というのは? 連絡して出来るだけの手筈はととのえさせますが』
「メシだ。メシをよこせ!」
『は、はい? メシってお食事ですか? 捻った意味とかは無くて?』
「今朝、急な仕事で妹を現場に連れていかねばならなくなったが、腹ペコの妹にメシを用意してやれん。なので、ここに居る声優でイイ弁当を持っているヤツから三万で売ってもらいに来た。というわけでスタジオに入るぞ」
『そ、そんな理由でウチのスポンサーを降りるかどうかの話に…………ッ! と、とにかくそこで待っていてください。そんな理由でスタジオに入られたら百パーセント不審者ですよ。今から現場に連絡して希望者に弁当を届けさせます。なので保有株の売却は思い直しを』
ああ、もう恥ずかしいなぁ。
警備員のオジサンは、お兄ちゃんが携帯でアリサソフトの社長さんを怒鳴りつけているのを絶望したような青い顔で見ているし。
空きっ腹で座っているのもシンドイのに、なんでどうして身内の金持ち横暴劇場なんて臭いモン見せつけられなきゃならないんだよ。アリサソフトさんのお仕事の邪魔してまでお弁当欲しくないよ。
私は車を降り、お兄ちゃんのスーツを引っ張った。
「お兄ちゃん。現場に急がなきゃだし、今からでもコンビニに行こう。待っている間にも事態は悪化しているんだし」
「チッ、しかたねぇな。コンビニのあげ底弁当は見てるだけでムカつくが、やむを得んか。こうなれば後でうぐ崎シメてくれる。メインスポンサー様の怒り、思い知るがいい」
と、踵を返して車に戻ろうとしたんだけど。
「おおおおおお待ちください、スポンサー様、お嬢様!」
と、警備員さんが飛び出してきた。そしてもの凄いイキオイで頭をペコペコ上げ下げしだした。
「このまま帰しては、私がクビになってしまいます! 先ほどの無礼はこのとおりお詫びいたしますので、どうかお待ちを!」
嗚呼、これから囚われた人々を救いにいくヒーローになるってのに。
なんで真面目に働く庶民を虐げる横暴な金持ち権力者の身内とかになっているんだろう。
やっぱり最初からお兄ちゃんの横暴なんか止めてコンビニに行ってりゃよかったよ。




