110話 日本リターンふたたび
とある日の朝方。目を覚ますと、そこに意外な人物がいた。
「いよう、お目覚め」
「あ、あれ? お兄ちゃん? どうしてこっちに?」
寝ていたベッドの傍らにお兄ちゃんこと野花岩長がいたのだ。
おかしい。お兄ちゃんはこっちの世界には来られないはずなのに。
「オレがそっちに行ったんじゃない。お前がこちらに来たんだ。ちゃんと目を覚まして周りを見てみろ」
「パシッ」と頬を叩きぐるり周りを見てみると、たしかにそこはパソコン機器だらけのお兄ちゃんの部屋。私が寝ているのもその部屋の簡易ベッドだ。
どうやら寝ていた間に日本に召喚されたらしい。
「ちょっと! なに勝手に呼んでいるのよ。私は今モンスター討伐隊の隊長やってて、毎日ハージマル大森林の魔界モンスター討伐で忙しいんだからね!」
無事、ゴーメッツから政権を取り戻したロミアちゃんと家臣団は態勢の立て直しに奔走。そして私はハージマル大森林に放たれている魔界から呼び出されたと思われるつよつよモンスター討伐に、新たに結成された討伐隊を率いて対峙に大忙しだ。
「平和だねぇ、向こうは。毎日楽しくモンスター討伐にいそしんでいるようで何よりだ」
「よし、ぶん殴る。住み家を追われたメフトクリフ村の人達の痛みを教えてあげる」
寝ながら抱えていた愛剣を高く振り上げた。
「やめろ! メガデスをおろせ! 悪かった。こっちじゃ魔族と組んだ野郎どもが厄介でつい、な。真琴も弟が人質になって情緒不安定。オレもいっぱいいっぱいだ」
急速に殺意が消えて振り上げたメガデスをおろした。
そういやこっちじゃ、ルルアーバも魔界貴族も倒したとはいえ、アイテム化したグレーターデーモンが世界中の危険人物の手に渡って大変なことになっているんだったよね。
こっち世界に魔物の脅威なんてもたらしたのは、私がルルアーバの罠にハメられたせいだし、責任とらなきゃね。
「真琴ちゃんの弟が人質? わかった、くわしく話を聞くよ。あ、でも、まさか長くなる? 向こうも大変で、私もいつまでもこっちに居られないんだけど」
「今日一日だけでいい。場所は東京将棋会館。その建物が多数の将棋指しのガキやら兄ちゃんやらスタッフなんかを閉じ込めて結界で封印されちまった。奨励会会員の真琴の弟もそれに巻き込まれたのだ」
「それは大変。でもお兄ちゃんと真琴ちゃんも、当然何とかしようとしたんでしょ? どうなったの」
。「結界はおそろしく強固でオレや真琴でも解くことが出来なかった。真琴なぞ大技連発してブッ倒れたというのに、結界はビクともせん。まったく信じられん」
「女教皇クラスの真琴ちゃんの術でも? そんなにスゴイの?」
お兄ちゃんは最上級の転移魔法のスペシャリスト。真琴ちゃんは最高位の白魔法師。その二人がそろって解けない結界があるなんて信じられない。
「ああ。こっち世界で魔法関係にオレがどうしようもない、というのは信じられんが事実だ。まさかルルアーバが生きているんじゃないだろうな」
それはない…………と思いたいけど、アイツに関しては何を起こしても不思議はないんだよね。
「その結界を壊して、それを起こしたヤツの正体を知るべきだね。そうか、つまり私を呼んだ用ってのは、メガデスでその結界を壊せってことだね」
「そうだ。中の有象無象がそこに閉じ込められてもう二日。中に食料はある程度あるだろうが、とてもこれ以上もつとは思えん」
「それはたしかに心配だね。わかった。すぐに行こう」
と、威勢よく言ったけど、そこでお腹が「グウッ」と鳴った。
そういや昨日は一日中森を歩きまわって疲れて、食べないで寝ちゃったんだっけ。
「その前になんか食べさせてくれない? 昨日食べないで寝ちゃって、お腹ペコペコなんだよ」
「おうっメシか。カップ麺のお湯なしでいいか?」
「いいわけないでしょ! なんなの、仕事を頼む相手にその雑な扱い!」
「ここはしばらく空けていたせいで食料はカップ麵しかないのだ。お湯をわかす時間も惜しいし、がまんしろ」
本気? 人にお湯をかけないカップ麺の元をバリバリ齧らせようとしてる?
あんまりな兄の言葉に急速にやる気が失せてきた。行くけどさ。
「お兄ちゃん。たしかに緊急事態はわかるけど、仕事を頼む相手にそれはなくない? 金持ちの傍若無人な無礼にも限度があるよ。妹として情けなくなってくる」
「うーむ。そう言われてよく考えてみれば、たしかに無礼すぎたような気もする。オレはなんて無礼者だったんだ! よしっ、現場に向かう前にハイソなレストランでも寄っていくか。咲夜、クローゼットのお嬢様ワンピースに着替えてこい。冬野菜と車エビのテリーヌとかを食わせてやる」
それ、コース料理の前菜! 時間が惜しいとか言っておきながら、食事に何時間かけるつもりだよ! 閉じ込められている人達は飢えで苦しんでるだろうに、豪華料理なんて楽しめないよ。
「極端に走らないでよ! 緊急事態だってのに、お嬢様ワンピでハイソなレストランなんかに行ってられないでしょ。途中コンビニでおにぎりとお菓子買ってくれればいいから」
「いいや、それではオレの中の気づかいが許せん。なにか短時間で咲夜に美味いメシを食わせる手段は…………」
あれ? もしかして私の”無礼”って言葉が刺さった? あらゆる人間にナチュラルに無礼を働いてきたこの兄が?
「そうだ、たしか今日は朝からウチの連中が収録やっているはずだったな。スタジオに寄っていくか」
「スタジオ? って、どこの? なんでゴハンを調達するのにそこ?」
「ああ、最近自前のスタジオを造ったんだ。魔物がらみの事件でかなり稼いでな。といってオレにあんまり金が集まりすぎると政府から痛くもないハラを探られる。なにか適当に投資しなきゃならなくなったんで、エロゲ専門の音響スタジオを造ったんだ」
「うわあ金持ちのセリフだ。でも投資先がエロゲ専門のスタジオって。あんまり儲からなさそうだね」
「やっぱこの業界が好きなんだよな。金がなくて四苦八苦している業界人や声優どもを山ほど見てきてるんでな。そいつらのために格安で使えるスタジオを造ってやったのだ。収支はむしろ赤字の方がいい。金を使うために造ったんだからな」
うわあ、お兄ちゃんのちょっとイイ話なんてじつにレアだ。仕事を頼む妹にお湯なしカップめんを食べさせようとするこの人にも人情なんてあったんだね。
「で、そこに行けばゴハンがあるんだね。備蓄の非常食とか?」
「いいや、今日はウチのアリサソフトの収録だからな。そこにいるイイ弁当を持っているヤツから三万で売らせる。エロゲ声優の女も来てるし、手作り弁当が食えるぞ」
ぐはあッ!!? そんな金持ちの圧力で強奪した手作りお弁当なんておいしくない!
無礼はぜんぜん改善してない。ちょっと見直したと思ったのに、やっぱり傍若無人の無礼者だよ。
でも久しぶりに日本のゴハンも食べたいし。無茶な押し通しなんかしない限りはお兄ちゃんに任せよう。
「んじゃ、行くか。あ、そうだ。外に出るにはコレがいるんだったな。咲夜、コイツを渡しておく。外出時、とくに店なり施設なりに入るときはつけておけよ」
お兄ちゃんがポイッと投げて寄越したのはマスクのパッケージだった。
「マスク? インフルエンザでもはやっているの?」
「インフルエンザじゃないが、かなり凶悪なウイルスだ。今どこの店も施設も基本的にマスク着用を義務づけられているし、条例で他人との一メートル内接触や集団で密になることも禁止されている。今の常識だから覚えておけよ」
「なななな、なんなのそのパンデミックみたいな常識! そんなスゴイ凶悪ウイルスなの!?」
「こいつの説明も必要だな。中国から発生したコロナウイルスと呼ばれるそれは、感染したら死亡率三十パーセントという恐ろしいものでな。全世界に爆発的に広がり、世界中のあらゆる都市がロックダウンする事態にまでなっているのだ」
「なんで…………そんなウイルスが突然? それも世界中に広まるなんて」
「そいつの脅威は致死率だけにとどまらない。それに感染して死亡したヤツラはゾンビや吸血鬼になって人を襲うのだ。これを聞けば、なんでそんなウイルスが発生したか予想つくんじゃないか?」
「…………もしかしてアイテム化した魔族のしわざ?」
「そうだ。大陸の渡ったそいつらは早速人間を魔界の住人に変えはじめた。海外の方は対策を考えている最中だが、また近いうちに呼ぶと思うからよろしくな」
ああ。私がルルアーバに騙されたばっかりに、こんな大変なことになってしまったなんて。たしかにこっち世界でおこった事態から見ればゴーメッツとの争いなんて平和なものだったよね。
お兄ちゃん。メガデスで殴ろうとしてゴメン。




