09話 とある登山遭難者の遭遇記録(後編)
その日、仮面の彼女はまた姿を現した。
荒れ狂う吹雪の中をものともせず、積もる雪は腰まであるというのに。
裸にマントという、常人なら即凍死のその姿でキャンプに来た。
そして、背中のとんでもない重量の大剣も変わらずそのままだ。いったい何に使うのだろう。
「来てくれたんですか。ちょうど助けが欲しかったところです」
「食料はもちそう? 多少だけど持ってきたよ」
「ありがとうございます。ですが問題は食料よりストーブの燃料なんです。それが夜を待たずに切れてしまいます。そうなれば今夜は越せない。全員凍死です」
「そうか。だが私は燃料など持っていない。それに関しては役に立てない」
「……そうですか。その恰好で吹雪の中で平気なのですから、あなたには必要ないのでしょうね」
「しかし限界は今夜か。今日はもちろん、明日も救助が来れるような天候にはない。今、思い切った何かをしなければいけないな。でなければ……」
今夜を境に、衰弱が限界を迎えた者から死んでいく。
おそらく、最初は生徒たちだろう。
「近くに避難小屋のようなものはない? これだけの難所の山。登山者の万一にも備えてあると思うけど」
「あります!」と山岳会の吉田さんは答えた。
「山頂から速月方面に少し下ったところに避難小屋があります。そこになら石油もあるかもしれません。私たちにはこの吹雪の中を行けませんが、あなたなら……」」
「いや、物資を持ってくるだけじゃ救助まで保たない。全員でそこに行こう。そこでなら、救助まで保たせられる」
「い、いや、たしかに避難小屋まではたいした距離ではありません。ですがこの吹雪の中、雪をかき分けて行くことは、我々には出来ません。体力が限界の者もおりますし」
「吹雪は私が何とかする。雪も私がかき分ける。すぐに全員を呼んできなさい」
吹雪を何とかする? 何を言っているんだ、この人は。
しかし、このままではどうしようもないのも事実。
ともかく全員に最低限の荷物で出発準備をさせた。
「テントはこのままでいいの?」
「もしダメだった場合、もう一度張る体力もありませんからね。必要のないものと一緒にここに置いていきます」
「そう。なら、行くよ。進行方向はこっちでいいんだね?」
「はい。ですが、この吹雪の中を進むのはとても……」
ビュオオオオオオウッ ゴオオオオウッ
天然の風防壁のあるこの場所だから、どうにか居られる。
そして一歩風防壁を出れば、そこは降り積もった新雪が腰まである。
雪かきと切り詰めた食事、それに寒さにやられて、われわれ全員体力はギリギリだ。
そんな体でこの吹雪の中を、雪をかき分けて歩くなんて自殺行為にも等しい。
シュラッ
え? 彼女は背中に背負っている得物を抜いた?
それはやはり大剣。まさかこの時代に、こんなに立派で本格的な古代武器を見るとは思わなかった。
「スキル【空烈刃】!」
ドゴオオオンッ
「うわああっ」「きゃああっ」「何事だ⁉」
彼女が大剣を振り下ろすと同時、なにかが爆発したような轟音がひびいた。
恐るおそる目を開けると、進行方向の暴風雪は嘘のように凪いでいた。
いや、それだけでなく、その先の腹まで降り積もった新雪でさえもキレイに吹き飛び、通りやすくなっている!
「これは……ここまでのことが出来るなんて!」
「さぁ進みなさい。避難小屋まで続けるよ」
ドッゴオオオオン バッゴオオオオン
彼女は本当に大剣で吹雪も積雪も吹き飛ばしていった。
絶望的な雪の牢獄の中、まるで奇跡のような光景を目の当たりにしながら確実に歩を進める。
そしてとうとう目的の避難小屋が見えてきた! 助かったんだ!
「ここらでいいね。小屋で救助が来るまで待ってなさい。じゃあね」
避難小屋前まで来ると、彼女は大剣をふたたび背中に戻した。
そして元来た道を引き返そうとする。
「あ、待ってください。あなたもここで救助を待ちませんか?」
そんな言葉が出るも、
「しない。私の捜索も救助も山岳警備隊に要請しないで」
やはり素っ気ない返事。
だが、皆が思う疑問は僕が代表で聞くべきだろう。
「その……失礼なのかもしれませんが、救助の際聞かれるであろうから聞きます。あなたは何者なのです? その超人的な力や氷点下でもそんな恰好でいられる体はいったい?」
スラり。彼女は目にも止まらぬ抜きを放ち、剣身を僕の首元に当てた。
「きゃああっ」「わあああっ」と悲鳴があがる。
「人類よ。その問いには覚悟が必要だぞ。人には知らぬ方が良いことがある。いや、知ってはならぬ事がある。私の肉体の秘密、この剣王ヶ岳の真実。それにふれる者に安寧はない」
彼女はふたたび剣を背中に戻した。
「ではな。私のことは忘れろ。二度と禁忌の問いを口にしてはいけない」
そう言い残し、彼女はふたたび吹雪の中へ消えていった。
ともかく山岳警備隊に現在の状況を知らせねばならない。
小屋に入ると、山岳会の方たちは住居としての整備に入り、僕が救助隊への連絡をすることになった。
だが、救助隊本部に連絡をすると、そこは大層混乱していた。
『要救助者の方たちですか? そちらは無事なのですか⁉』
「え? ええ。体力は限界に近いですが、避難小屋への移動が成功しました。全員健在です。どうしました、ずいぶん慌てているようですが」
『失礼しました。たった今、大型雪崩が発生いたしました。そちらへ向かった救助隊員が千五百メートル地点まで進んでいたのですが、巻き込まれ行方不明。また馬場志摩に設置した救助隊本部も被害にあい、負傷者の介助や掘り起こし作業に全力であたっております』
「な、なんですって! この吹雪の中でそれを行っているのですか⁉」
『はい。容赦なく降り続く雪で救助活動は難航しております。残念ですが、そちらの救助活動は断念せざるを得ません。吹雪が弱まり次第ヘリを飛ばしますので、それまでお待ちください』
「大型雪崩? …………まさか!」
それには心当たりがある。ありすぎる!
彼女は大剣で雪と吹雪を吹き飛ばしていたが、考えてみればここは山頂。
当然あの衝撃は、山全体に積もった雪に大きく影響をあたえたはず。
雪崩の誘発となって!
それから四日後、吹雪も弱まった頃にヘリが来て救助された。
避難小屋の拠点とそこにあった物資のお陰で生き延び、全員が無事に帰還した。
だが、それからが大変だった。
救助後、しばらくして警察の取り調べがはじまった。
さらに村の旅館に急きょ設けられた共同記者会場へ連れていかれ、遭難に至った経緯の説明。
とりわけ、吹雪の中あらわれた謎の仮面大剣女性についての質問は大変だった。
その驚異的な身体能力、零下二十度もの環境で肌をさらしながら平然と行動していた肉体。
さらには出自への意味深な言葉により、質問と追及は鬼気迫るものだった。
『その女性の目的についての見解はありますか⁉ 幻覚を見た可能性は⁉』
『遭難者の誰かが彼女と何らかの関係があるのでは⁉』
『何らかのトリックをもちいた可能性は⁉ その剣はたしかに本物だったのですか⁉』
『剣王ヶ岳の真実とは⁉ その言葉について思い当たることは⁉』
『あなた方の救助をされた一方、大型雪崩の原因ともなったと思われます。それについて思うことは⁉』
その後、地元へ帰還すると僕は生徒を危険な目にあわせたことで懲戒処分を受け、自宅で謹慎する日々。
だがマスコミの関心はやまず、謹慎中にも関わらず取材の申し込みはひっきりなしだ。
ネットでもその話題一色で、さまざまな意見が飛び交い、連日話題トレンド一位だ。
大規模雪崩の原因、そして世間の関心の高さから、とうとう国まで動いた。
その女性を捜索するために自衛隊の出動がなされたという。
剣王ヶ岳の空には哨戒ヘリが飛び回り、雪中装備を身に着けた隊員たちが何人も麓に集っている姿が、テレビで映し出された。
だが、その女性の行方は見つからず、今だ正体不明。
僕も彼女に関わった者として、今後も苦労しそうだ。
だが、彼女の体形や雰囲気、どこかで見たようにも思える。ハッキリとは断言できないけど。
僕の生徒と年が変わらなく思えるせいだろうか。




