08話 とある雪山遭難者の遭遇記録(前編)
ゲストの遭難者さん視点で顛末を書きます。
僕は鹿島二郎。登山がガチ趣味の高校教師だ。
三月春分の日の連休を利用して登山有志の生徒三人とともに、冬の剣王ヶ岳に挑戦した。
小間戸尾根より入山し速月尾根で下山するルートをとったが、冬の剣王ヶ岳にしては天候は良く積雪は少なかった。
結果、予定よりもずっと早く小間戸尾根を登りきることが出来、登頂を果たした。
「鹿島先生。断崖絶壁とドカ雪で最難関と言われた剣王ヶ岳なのに、やけにあっさり頂上に着いちゃいましたね。私のレベルじゃ、ぜったい途中でエスケープルートで降りなきゃいけないと思っていました」
僕の生徒で登山女子の松島クンは笑って言った。
体力レベル的に不安のあった彼女だが、日本でも最難関のこの山を冬に登頂できたことが嬉しいのだろう。
「運が良かったよ。天候には恵まれたし、先行する登山家の方もいてトレースをつけてくれたお陰でこうも順調に進んだからね」
「でも拍子抜けッスね。剣王ヶ岳名物のドカ雪でも見ていきたかったッス。今からでも悪天候にならないッスかね」
「こらこら。そんなものが今こられたら、下山できずに立ち往生だ。この山は下山時にも事故は多い。みなも登山口の馬場志摩に着くまでは気を抜かないように」
「「「「はいっ」」」
だが一夜明け、下山にかかろうとしたその時、状況は変わった。
季節外れの猛烈な寒気がこの剣王ヶ岳をおそったのだ。
大陸で急速に高気圧が発達すると、それに押し出された低気圧が日本に襲来し、春先にまるで真冬のような寒さとなることがある。
そして真冬となった剣王ヶ岳は極寒の地獄だ。
立ち上がることすら困難な強風。降り始め積もり始めるドカ雪の前ぶれ。
それにより進むことは出来ず、天然の防風壁のある頂上真下より動けなくなってしまっていた。
状況が変わったのは、同じく頂上に居合わせた玖波沢山岳会の方々が新たな登山者を見たという話からだった。
「舞平高校のみなさん、出発します。下から登山してきた者がおりました。どうやら下の方は風も凪いできたと思われます。今のうちに降りてしまいましょう」
不安はあったが、プロ登山家の言う事。
山岳会の彼らについていかねば、未成年が三人もいる僕たちに帰る術はない。
頂上のテントをかたずけ、全員が出発した。
だが進めども、風が弱まっているどころか猛烈に吹きすさんでおり、身を低くしながら何とか進んでいく。
さらに雪までも塊のようなものになって、大降りに変わった。ドカ雪だ。
「おい、こっちの方向で正しかったか? こんな道、記憶にないんだが」
「だが歩きやすい。こんな道自然にできたわけでもないだろうし、下山ルートに続くはずだ」
「どっちにしろ高校生パーティーもいるし、雪をかき分けていくのは無理だ。この道を行くしかあるまい」
不安をあおる山岳会のみなさんの声。
だが今進んでいる道は他の場所よりずっと雪が少なく、生徒たちも、この道だからこそ何とか進めているのだ。
この道だから……
――—―ガラガラガラガラガラガラガガガアアアアッ
――—―!!!? な、なんだ?
突然、前方で落雷のような音が響きわたった。
と同時「うわあアアアッ」「ぎゃああああッ」と幾人もの悲鳴が聞こえてきた。
「な、何がおこったのです?」
「転落だ! 先頭の方たちが何人も崖から滑落してしまいました!」
「な、なんですって!」
崖下を見ると三十メートルはある断崖絶壁。落ちた人達は絶望的だろう。
頼みの玖波沢山岳会の五名もの消失。彼らはリーダーを含むベテラン勢だったそうで、しかも山岳会の食料は、みんな落ちていった方達が持っていたという。
いったいなぜ、こんな立派な迷い道などがあったのだろう?
「とにかくこの道はハズレです。崖で行き止まりの危険地帯。引き返して正常なルートを探すしかありません」
グラリ。山岳会員のこの言葉に、絶望で立ち眩んでしまった。
「そんな……ここまで来るのにも生徒たちは無理を押して来ています。また新たにルートを探して降りていくなんて、とても……」
――—「そうだ、下山は不可能だ。山頂に引き返せ」
白い強風の中、煽られずしっかり立った人物がいた。
だが、その姿は異形。
「な……なんだ、アンタは⁉」
それはスペースサーガの映画に出てくるキャラクターの仮面を被った女だった。
背中には、彼女の背丈ほどもある巨大な大剣を背負い。
体を包むものは長いマントのみ。その下は、なんと裸であったのだ!
ほぼ裸で全身にこの極寒の暴風雪を受けながら、平然と立つ彼女に、我々は絶望すら忘れて見入ってしまった。
「私のことは詮索無用。それより、これからの君たちのことだ。この暴風雪で下山など不可能なこと。おとなしく山頂で救助を待つがいい」
「それが出来ればしている! 無線も食料も石油も、さっき落ちた仲間がみんな持っていたんだ! 救助要請も出来なけりゃ、生き延びることもできない。それを喪失した以上、無理にでも下山しなけりゃ死ぬだけだ!」
「そうか。では、それを取ってこよう。君、これを預かっていてくれ」
彼女は背中の大剣をはずし、それを僕に押しつけた。
「な、なにっ? うわっ! 重ッ⁉」
預けられた大剣は、あまりに重く、危険を感じてそれを手放した。
これは本物の鉄の塊なのか?
こんなものを平然と背負う彼女はいったい?
「……ああ、それは重いんだったな。すまない、忘れてた。では、それは、そのままにしてくれ」
「あっ! ちょ、ちょっと君!」
彼女は、自ら崖から飛び降りた。
ザザッ
「な、なんだ⁉」
しばらくすると、彼女は滑落した人のリュックを抱えて飛び上がってきた。
(なんだ、この跳躍力は⁉)
それを数度繰り返し、落ちた装備をすべて地上に上げた。
「あの……小間沢さんたちは?」
「落ちた君達の仲間は死んでいた。遺体を引き上げるのは、今は無駄だ」
そうして彼女は「ではな」と素っ気なく言い、吹雪の中、消えていった。
(…………彼女はいったい?)
誰もがその疑問をもった。
そのあまりに超人的な身体能力。ここに居る意味。大剣なんて武器を背負っている理由。
されど、今の僕たちは、それどころでないのも事実。
「頂上へ戻りましょう。この装備があれば救助が来るまで耐えられます。彼女の言う通り救助を待つほかありません」
山頂に戻った僕たちは、さっそく本格的なビバーク開始。
テントをふたたび張り、無線で救助要請。
やはりというか、救助隊もヘリも吹雪で出動できないそうだ。
毎日降雪量はどんどん増してくる。
何度も外に出て、テントが埋もれないよう雪かきをした。
夜中すら降雪量は変わらず、吹雪の中、雪かきだ。
悲しいことだが、山岳会の人達が五人も亡くなって、その分の食料をこちらにまわしてもらえた。
それで四日間どうにか耐えて過ごしたが、その時点になっても天候は回復せず、変わらずの暴風雪だ。
切り詰めた食事。吹雪の厳寒。たえ間ない雪かきの労働。
僕たちは先の見えないビバークの中、どんどん衰弱していった。
「ストーブをつけられませんか。女子の生徒の体調が悪く震えがとまりません。このままでは死んでしまいます」
「だが、つければ今夜はストーブなしだ。真夜中の厳寒に耐えられるか?」
「…………」
食料よりも、ストーブの燃料があやうくなってきた。
そしてどうするにしても、ストーブの熱は今夜が最後。明日以降はない。
いまだ救助隊が来られないほど、吹雪は荒れ狂っているというのに。
そんなときだ。大剣を背負った彼女はふたたび姿を現した。
今回で冬山を終わらせるつもりだったのに、続いてしまった。
書かなきゃなんない事が多くなりすぎた。




