先が思いやられますわ
「九時の鐘が鳴ったら、迎えに来ます。一緒にコルネ伯爵のお部屋へ向かい、ご挨拶です。それが終わったら、侍女としてのお役目が開始となります。あと三十分ほどありますから、荷解きなど各自準備を整えてください」
マルグリット夫人はそう言うと、わたくし達を残し、部屋を出て行く。
「私はこのベッドを使わせていただくわ!」
ルベール侯爵令嬢が眺望がよく明るい窓際のベッドへ向かう。
わたくしはひとまず壁際にトランクを置くと、そこにあった籠を一つ手にとる。大きな籠は洗濯物を入れるためのもので、一人に一つ割り当てられていると一目で分かった。
「モンクレルテ嬢!」
「は、はいっ」
「行くわよ」
「えっ……?」
「えっ、ではないですわよ! 早くトランクを取りに行かないと!」
「あっ」
モンクレルテ子爵令嬢はどこかおっとりしており、わたくしが言うのはなんなのだけど、典型的な貴族令嬢だった。もし彼女がお茶会の席でこののんびりを披露するなら、問題はない。だが彼女は侍女になるのだ。こんなぼーっとしていては、侍女は務まらない。
「時間がないのですから、行きますわよ」
「! もしかしてテレンス嬢、一緒に……?」
「あのトランク、中身が入れ過ぎなんですよ。今から戻って詰め直すなんてしませんわ。溢れている分はひとまずこの籠に入れ、トランクの蓋を閉めてとにかく部屋まで持ち帰る! 籠とトランクを一人で持つのは無理でしょう?」
「あ……なるほど」
私は思ってしまう。コルネ嬢は何でモンクレルテ子爵令嬢を侍女に選んだのかと。
(でも今はあのトランクの回収ですわよ。階段の踊り場に蓋が開いて中身が散乱するトランクがあったら、みんな驚きますし、何よりも邪魔ですわ!)
公爵令嬢であれば、絶対にしない早歩きで、階段まで向かう。でも階段に着くと、後ろを振り返り、モンクレルテ子爵令嬢に告げる。
「今度はトランクではなく、あなたが階段から転がり落ちるかもしれないですわ。もう急がなくていいですから、ゆっくり下りなさい」
「! わ、分かりました!」
こうして踊り場に着くと、モンクレルテ子爵令嬢はトランクを閉めるために動き、わたくしは散乱している衣類などを拾う。そうして拾った物を籠に入れながら気が付く。
(靴を入れている巾着袋、化粧ポーチ、宝飾品を入れている箱……どれもくたびれているわね。中身がどうなっているかは分からないですけど……)
本来美しい刺繍やレースが使われるはずのハンカチも、木綿のごわごわしたものばかり。
宮殿勤めの侍女となれば、爵位付き令嬢として扱われるわけではない。それでも自身の身の回りの品は上質な物を揃えるはず。わたくしのような修道院出身者でなければ。
(もしやモンクレルテ子爵家は家計が苦しいのかしら……?)
貴族というのは体面を保つことにぬかりない。家では粗末な室内着でも、外に出る時は目一杯着飾る。モンクレルテ子爵家はそれなりに歴史のある一族だ。たとえ家計が火の車でも、人目につく物にはお金をかけるはず。侍女として宮殿勤めする娘には、いい物を持たせると思えるのだけど……。
(それさえできないぐらいひっ迫しているの……?)
モンクレルテ子爵と言えば、サクサクの生地にスライスしたアーモンドをたっぷりのせたクッキーを売る洋菓子店を経営しており、それは王室御用達でもある。子爵家ではあるが、その財力は伯爵家を超えると言われていた。確か三人姉妹で、男子がいないため、長女が婿をとり、次女は伯爵家の嫡男と婚約中のはず。彼女は三女で婚約はしていないようだけど……。
そこで気付く。
(なるほど。コルネ嬢と一緒の境遇なのね)
器量よしの三人娘なら、両親は三人を政治の駒として最大限に活用する。利害関係を考え、家門に役立つ相手に娘を嫁がせるのだ。モンクレルテ子爵家の場合、上の二人の娘は駒としての使えるものだった。でも三女のこの子は……。
(二人の姉にはお金をかけた。でも三女に回す余裕はない。これといった縁談相手も見つからず、厄介払いも兼ね、宮殿勤めを勧められた。コルネ嬢はモンクレルテ子爵令嬢の立場を鑑み、採用を決めたのではないかしら?)
そういう優しいところ。それがコルネ嬢らしさでもある。
(でも侍女が無能だと、主が名落ちすることになるわ。コルネ嬢、優しいところは認めるわよ。でも捨て犬を拾ったら、躾もしなくてはならなくてよ!)
「ふ、ふぇーん、閉まらないですぅ~」
モンクレルテ子爵令嬢は末っ子らしい愛らしさで泣き顔になるが、侍女にそれは求められていない。
「泣き言は不要ですわ! それよりもどうしたらいいのか考えるべきでしょう!」
「で、でも……」
「こっちの籠も、もう一杯よ。入らないわ。というか、本当によく閉じることができたわね!? 一体、昨晩、どうやってこのトランクを閉じたの?」
「それはですね」
彼女に仕えていた侍女は、かなりふくよかな体型だったようだ。閉まらないと思ったトランクの上に彼女が座ると……トランクは閉じた。そこで素早く鍵をかけたというのだ。
「なんて荒っぽい方法を……でもその方法で閉じたのなら、もう一度それをするしかないでしょう!」
「え、そんな! 私の体重では無理ですわ」
そう言ってモンクレルテ子爵令嬢が上目遣いでわたくしを見る。
(そういう甘えるような目をわたくしに向けないでいただきたいわ!)
「わたくしがのります! すぐに鍵をかけるのよ!」
「はい! 分かりました!」
モンクレルテ子爵令嬢が瞳を輝かせる。
わたくしは「先が思いやられますわ」と心の中でため息だった。
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