とっておき
ミノタウロス。
それはこの大陸に伝わる半人半牛の怪物だ。神話にも登場している。牛の頭部に人間の体を持ち、凶暴で人間を喰らうと言われていた。
かつて本当に存在したのか。その真実はわからない。でも今、突然現れた人物はミノタウロスに見えてしまう。その理由は……。
闇の中から突然現れたその人物は、処刑人のように頭に頭巾……ではなく、角の生えた獣の頭蓋骨を被っていた。そして腰布を巻き、上半身は裸なのだ。ゆえにミノタウロスのように見えていたのだ。
(しかも手に持っているのは……棍棒だわ……)
その棍棒を持つ手は、前腕と上腕が同じぐらい太い。肩も大きく盛り上がり、胸板もぶ厚かった。
(ようは筋骨隆々。もしあの棍棒をまともにくらうことになったら……皮膚は裂け、肉片が飛び散り、骨は砕け、臓器が破壊される)
絶対に棍棒の一撃は受けられない。防御に徹し、攻撃するなら……。
咆哮にも近い雄叫びをあげると、ミノタウロスみたいな大男がこちらへ突進してくる。
(考えている時間もないわ!)
それにその姿を見ただけで、腰が抜けそうだった。さらに突進に合わせ、地面が揺れているようにも感じる。
(まさに牡牛のような重量級、ただ、動きは……遅い!)
ブンという風を切る音がして、棍棒が振り下ろされる。その軌道は目で捉えることができ、回避は可能だ。
(攻撃は回避できる。でも逃げてばかりで、持久戦にもつれ込んだら分が悪い。向こうのスタミナは底なしに思える。ジークの言う通り、私はそこまでの体力がない。動きが鈍ったところで一撃をくらえばジ・エンドになる)
ならば狙うはアキレス腱。動きを封じたい。
そこでナイフを太腿のホルスターから取り出し、敵の背後に回り込む。私からするとかなりの大男なので、ナイフを持つ腕の位置を調整すれば、足首を狙える。
(よし。いける!)
動き出そうとしたまさにその瞬間。
「うおおおおおっっっ」
獣のような咆哮は、ただそれだけで戦意を喪失させられそうになる。それに本能で恐怖を感じ、動きが鈍った結果……。
(歯が立たない!?)
攻撃はヒットしているのに、サーカスで見たゾウの皮膚のように、ナイフを弾かれたように感じる。
「……っ!」
ビュンと風圧を感じ、頭部ギリギリに棍棒が振り下ろされたことを悟り、冷水を浴びたような心地になる。だがそこで固まっている暇はない。棍棒を振り下ろし、振りあげる――その動きは連続で何度も繰り返されていた。しかもそこに疲れは感じられない。
ブン、ビュン、ブワンと振り下ろされる棍棒の勢いと速度。
(先程からずっと変わっていないわ!)
焦りを覚えそうになるが、それをなんとかこらえて考える。ナイフでの攻撃が通らないなら、打撃……。警棒でアキレス腱を何度も狙い、動きを封じるしかない。
(一度や二度の打撃では意味がないと思う。めげずに当てて行くしかない)
そして実際、一度目の攻撃ではまるで岩を叩いたかのような衝撃を受ける。つまり加えた打撃の分だけ、自分の腕が受けるダメージも半端なかった。
「うおおおおおっっっ」
ミノタウロスみたいな大男も、さすがに私が動きを封じるため、足首を狙っていることに気づいた。自身の背後に私が回り込まないよう、動きに変化をつけてきた。
(足首への攻撃ができないっ!)
そこですかさずブワンと棍棒が振り下ろされる。
「!」
なんとか避けることになった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
気づけば私は肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返している。
(悔しいけど、ジークが言うことは本当だった。私は……スタミナが全然足りていない。実戦では体力がとにかく必要なのは事実。もっと……ジークの言う通り……)
そこで視界がぼやけ、自分の瞳に涙が溢れていることに気づく。
ミノタウロスみたいな大男は、疲れ知らずで攻撃を続け、私はもはや回避一辺倒。攻撃ができていない。
もしジークが気絶しているフリをしていたのなら、今の状況を見て、黙っているわけがなかった。
「リエット、下がっていろ。こういうスタミナパワー系を倒すにはコツがある。僕の戦い方を見て、まずは学習だ」
(ジークの意識があれば、絶対に助けてくれる……)
地下牢の鍵は開いている。だが簡易ベッドに横たわったジークは……。
腕はだらんと床に向かい下がったまま。
その姿勢、顔の向きに変化はない。
(つまりジークは……)
「あっ……」
予想外の方向から棍棒が振り下ろされ、咄嗟の防御で警棒を使うことになった。
ものすごい衝撃で警棒が折れ、私の手はあんなに強く握っていたグリップを手放している。
カラン、カラン、カラン……。
折れた警棒とグリップが地面に落下し、乾いた音を立てる。
腕は痺れ、感覚が麻痺していた。
警棒はコルネ伯爵からギフトでもあった。私にとってのお守りでもある。そのギフトは無残にも破壊され、ジークは私を助けることはない。
兄に疎まれ、両親に見捨てられ、修道院に送りになっても。決して心が折れることはなかった。婚約式で爆弾を爆発させようとした悪党を前にしても、最後まで諦めなかったのに。
ビュンと振り下ろされた棍棒を避けたのは、私の意志というより生命維持を願う本能の動き。だがその動きは緩慢でキレはない。
「ジーク、無理です。今の私では勝てません」
――『諦めるのか? リエットらしくないな。ネクタリンを必死に奪おうと頑張っていた、あの時のリエットはどこへ行った? 僕が見出したリエットは、そんな弱虫だったか?』
「何を勝手なことを。こんな絶体絶命の状況なのに。ジーク、助けてくれないじゃないですか!」
――『リエットはこれまでも、自分の力でピンチを切り抜けてきた。リエットには、とっておきのあの一撃があるだろう?』
「とっておき……」
その時、振り下ろされた棍棒はもう目前だった。
だが体は信じられないほど、なめらかに動き、そして考える前に足が動いている。
狙うはあの一点。
ジークには一度もヒットせず、いつも寸前でかわされていた。だがミノタウロスみたいな大男は、まさかそんな場所を狙われるとは、想像だにしていない。
まさにノーガード。
「はあっ!」
私からの渾身の一撃を食らうと……。
ズドンと大きな音がして、大男の手から離れた棍棒が、地面に沈む。
「うおおおおおっっっ」
悶絶した大男は、私に攻撃された場所を両手で押さえ、膝から崩れ落ちた。
お読みいただき、ありがとうございます!
こんな場面でタイトルにもある「とっておき」がwww















