大切なもの
私には大切な方が二人いらっしゃる。
一人はルイーザ様。
私を目覚めさせ、父親との和解を進め、王都で会おうと約束してくださったのが、ルイーザ様だった。それまで死ぬまで修道院で過ごすと私は思っていた。だが王都に戻りたいと願い、ルイーザ様と一緒にいたいと一願発起することになる。
つまり私が修道院を出て、王都に戻れたのは、ルイーザ様のおかげだった。
そして私を宮殿付きのメイドに推薦してくれたのが、コルネ伯爵。そう、二人目の大切な方だ。
今、ルイーザ様とコルネ伯爵が目の届く場所にいるのは、宮殿付きのメイドになれたから。
コルネ伯爵には心から感謝しているし、伯爵の優しさに触れる度、温かい気持ちで満たされる。
ルイーザ様が大切にされているコルネ伯爵、だから私にとっても大切な方――であったが、最近では私自身が、コルネ伯爵をかけがえのない存在に感じていた。
というわけで、このお二人は私の中で文句なしの最優先事項の存在だった。
このお二人の次に、レグルス王太子殿下とスコット筆頭補佐官がいる。
殿下はコルネ伯爵の大切な方だ。
スコット筆頭補佐官はルイーザ様の大切なお方。
殿下に何かあればコルネ伯爵が悲しまれる。スコット筆頭補佐官が何か起きれば、ルイーザ様が泣いてしまう。
コルネ伯爵が悲しめば、ルイーザ様も元気がなくなってしまうのだ。ルイーザ様が泣いてしまうと、コルネ伯爵も沈んでしまう。
ゆえにレグルス王太子殿下とスコット筆頭補佐官。
この二人は、ルイーザ様とコルネ伯爵とはまた別格で、重視している存在だった。
この四人に気を配ればいい……そう思っていたのだけど……。
コルネ伯爵はみんなのことを気にしている。
殿下のことはもちろん、自身に仕える使用人……侍女のこともメイドのことも。宮廷医や厨房の料理人やパティシエ、鍛冶工房の職人のことまで気にしている。
さらにいえば、この国の国民がみんな幸せであってほしい――そう願っていることが伝わって来たのだ。
そうなると私は……。
自然と周囲の人々のことが気になってしまう。
その結果。
「こちら廊下で落ちているのを見つけました」
「オルリック嬢、ありがとうございます! どこに落としたのかと探していたんですよ」
バトラーが笑顔で私からカフスリンクスを受け取る。
「あ、メイド長。今年はブナの木の実が豊作というほどではないので、庭園のリスたちに餌を用意された方がよいかと。殿下とコルネ伯爵は庭園のリスを可愛がっているようなので」
廊下の先に見えたメイド長に忘れないうちに報告を行う。
「! オルリック嬢、あなた、よく見ているわ。それによく知っていたわねぇ! 確かに殿下は庭園にいる小動物を可愛がっていらっしゃる。特にリスを愛されていて……。そうかい。今年はブナの木が。野生だからね、通常なら餌はあげないんだけど、自生している食料が少ないなら話は別だよ。木の実を手配し、庭師に渡しておくわ」
メイド長との話が終わったと思ったら……。
「あ、オルリック嬢! あなたの言っていた通りでしたわ。五番の客室の蝶番、調子が悪いわね。よく気が付いてくれました。鍛冶職人に見ておくように頼んでくださらない?」
レタートレイを手にしたマルグリット夫人に言われた私は「かしこまりました」と応じ、彼女のそばにいるルベール嬢のことをじっと見てしまう。
(目は赤くないし、腫れた感じもなし。クマは以前より薄くなり、肌艶は悪くない。どうやらちゃんと眠れているようね)
ルベール嬢は、かつて婚約寸前までいった相手に利用され、コルネ伯爵を貶めようとする計画に巻き込まれた。好きだったのに、結ばれなかった相手。そんな相手からの甘言であれば、まんまと罠に落ちてしまいそうだが……。ルベール嬢は表向きは騙されたフリをして、フェリクスという下衆男が逮捕されるのに一役買っている。その際は、毅然とした態度だったが……。
しばらくは声を押し殺し、泣き寝していた日があったのだろう。よく目が腫れていたのだ。だが最近はそれもなくどちらかというと……。
「!」
「はい、隙あり!」
「……ジークっ!」
うっかりルベール嬢に気を取られ、背後にジークが来ていたことに気付けなかった。
(というかジークが本気になると、気配なんてなくなる。警戒していても、本気の時のジークの気配なんて掴めないのに、気を抜いてしまった……!)
「というか、離れてください! それに諜報部の副長官は、繰り返しになりますが、暇人なのですか!?」
背後から不覚にも抱きしめられるような形になり、私は悔しさで文句を口にしてしまう。だがジークは……。
「暇人なんかじゃないさ。殿下に命じられ、任務についていた。予定より早く帰還できたのは、僕が有能だから……いや、違うかな。リエットに早く会いたくて、頑張ったんだよ。褒めて欲しいな」
そんな歯の浮くような言葉を言いながら、ジークが私の首筋に鼻を寄せる。彼のバターブロンドの柔らかい髪が首筋に触れ……。
(くすぐったい!)
ここは思いっきりパンプスで足を踏みつけて……。
まさにそう思い、踵を持ち上げると。
「リエット、香水を変えた? 甘いこの香りは……金木犀だ」
そこでジークが私の首筋に、軽く自身の唇で触れた瞬間。
全身から力が抜けそうになる。
(な……!)
一瞬で力を奪われそうになった事実に驚愕しながら、私は素早く、足を動かす。
「うわっ、やめろ! この革靴、ようやく足に馴染んだばかりで、まだ新しいんだから!」
「というか、私の周囲30センチ以内に近づかないでください!」
「!? そんなの無理だろう? 僕とリエットの仲で。必要な距離だ。何を言っているんだ、リエット?」
「はあ!? 30センチは親密な関係の相手との距離。例えば恋人、夫婦、親子なんかの距離ですから! ジークと私には、不要な距離です!」
「何を言っているんだ、リエット。僕と君は……」
くるりと背を向け、私は鍛冶工房へ向け、歩き出した。
(時間を無駄には出来ないわ!)
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