食べたい一心
「わぁ~!」
「どうだ、上手そうだろう?」
「はいっ! 匂いだけでもう涎が止まりません! パイナップルのケーキが食べられるお店、てっきりスイーツの専門店かと思ったら! レストランだったのですね……!」
短剣を見事に命中させる。
それは最初、私はそう簡単にできないことだと思っていた。実際に練習をしていても、その難易度は絶望的だった。
だがジークから、見事命中させたら、パイナップルというフルーツで作った舶来品のスイーツを食べさせてもらえると言われた瞬間。俄然、私の中でやる気が沸いた。
男爵令嬢ではあるが、侍女をしている現在。
宮廷の料理人が作った食事やパティシエが手掛けたスイーツを食べられるが、舶来品を食べられるわけではなかった。しかもパイナップルなんて、宮殿勤めをしていない男爵令嬢だった時にも聞いたことがない!
(食べたい。食べてみたい! ジークによると甘酸っぱくて癖になる味わいだと言うのだから!)
その結果、私はパイナップルのケーキを食べたい一心で、短剣を命中させることに成功。そして不思議なことに、一度成功させるとコツが見えた。その後は命中率はグンと高まり……。
「今晩、予定を開けておけ。メイド長にも話をつけておく。殿下もコルネ伯爵もオペラの観劇がある。使用人の多くが今日の夜はお役面御免。リエット、パイナップルのケーキが食べられるぞ!」
朝の特訓でジークからそう言われた時。頭の中は「ついにパイナップルのケーキを食べられる! 万歳!」だった。でも冷静に考えれば、パティスリーなら夕方には店が閉まる。ゆえに向かう先がレストランであることは……想像がつく話だった。そこに思い至らない私は……。
(諜報部の人間なのに。まだまだダメね……)
異国のお酒とスパイスで味付けされた、初めての味わいがする豚バラ肉の甘辛煮込みをいただきながら、私は隊服ではなく、普通の濃紺のセットアップを着たジークに尋ねる。
「私、確かに強くなった実感はあります。俊敏に動けるようになったから、メイド仕事もてきぱき素早くこなせます。でも敵の情報を探るとか、諜報部の本来の役目を果たすに必要なスキルがまだまだな気がします」
「おっ、リエット。いいところに気づいたな」
ジークは、ほぐした白身魚の身が入った、ジンジャーの効いているリゾットを口に運びながら、嬉しそうな笑顔になる。
「僕はね、リエット。卵が先でも、鶏が先でも、どっちでも構わないと思っている。ただ今回、リエットは待ったなしでの最前線で動くことになった。宮殿ではない場所で、十分に訓練と座学を経て、現場へ配属される……なんて甘いものじゃない。いきなり戦場へ投げ込まれたに等しいわけだ。そして戦場ではいつ何時何が起きるか分からない。頭では理解していた。勝ち筋が分かっている。でも体が動かなかった……では死に至るのが戦場だ。よって今はとにかく強くなる方法を学んだが……」
そこでジークが私のおでこを指でツンと押す。
「リエットは僕が見立てた通り。筋がいい。それにここまで短期間で上達するのは……いい意味で裏切られた。実に素晴らしいことだ。よってそうだな。本格的なスタートは冬になってから、と思っていたが。座学に入ってもいいだろう。朝の特訓をしつつ、いくつかの本を渡すからそれに目を通し、あとは諜報部の人間としてどんなふうに動くか。先輩について学べばいい」
さりげない言葉の中に、私を褒める言葉が含まれていて、もう何だか嬉しくて仕方ない。
「それにリエットは想像以上に頑張り屋だし、努力できるタイプだ。しかし今は、こんなにハンサムな副長官と、美食なレストランに来ているんだ。存分に料理を味わうといい」
そう言ったジークが私の頭に手をのせ、髪をくしゅっと撫でる。
「分かりました! では遠慮なくいただきます!」
遠慮の塊のように残っていた揚げ春巻き、大根餅、茹で餃子を次々と頬張ると――。
「リエット、その大根餅、僕が最後に食べようと思っていたのに!」
「ケチケチ言わないでくださいよ、偉大なるジーク先輩! おかわり頼めばいいですよね!」
「む。リエット、おごりだと分かったらえげつないな。ここの店、ものすごく高いんだぞ! 食材も舶来品ばかりだから」
「でも先輩、高給取りなんですよね? 副長官なんですよね?」
「リエット~」
舌戦ではジークに勝てるので、私は思う存分、論破する。そしてあらかたの料理を食べ終えると――。
「はい。予約注文いただいたパイナップルのケーキ。当店で一番高いスイーツね。でも美味しいよ!」
パイナップルのケーキ。想像していたものと全然違う! ホールのタルトのケーキではなく、一口サイズで手で摘まめるものだった。
「外側の生地から中のフィリングまで、しっとり柔らか食感で、癖になるぞ」
「本当ですか!?」
「ああ、旨いぞ」
「いただきま」
そこでジークがパイナップルのケーキを持った私の手をぎゅっと掴む。「!?」と思い、その顔を見ると……。
ジークの赤銅色の瞳は、窓の外の一点をじっと見ている。
「……ついに動いたな」
「?」
「リエット。パイナップルのケーキはお預けだ」
「えっ」
「これから君が望んだ、諜報部に必要なスキルを実地で学ぶ」
「え、今から!?」
「そう。今から。しかもリエットの大先輩であり、副長官の僕から学べる。リエットはツイているな」
そう言いながら、ジークは私の手からパイナップルのケーキをとると、お皿に戻してしまう。
「いや、ツイていませんから! パイナップルのケーキ!」
「よし、行くぞ」
「よし、じゃないですよぉ、ジーク!」
もう未練たらたらで椅子から立ち上がることになる。
だがジークが追っている人物。
その人物と一緒にいるのは……。
(えっ、どういうこと……?)
「ジーク、今、尾行している人物は何者なんですか!?」
「フェリクス・ヴァン・スローン、スローン伯爵の嫡男だ」
「スローン伯爵……。聞いたことがあります。少し前に交易業で財を成していたはずですよね?」
「ああ、そうだ。しかも格上の侯爵令嬢とフェリクスは、婚約すると噂されていた。実際婚約交渉は、水面下で行われていたんだ。そしてスローン伯爵は『我が家は侯爵家と姻戚関係となる。これから我が家の交易業はさらに発展する』と方々に言って周り、金を借りたらしい。婚約者の持参金で借りた金は帳消しにできると。ところがその婚約は破談で終わる。スローン伯爵は多額の借金を負うことになった」
多額の借金……。貴族が借金を負ったら、没落街道一直線になることが多い。平民だったら体裁を気にせず生きて行けるが、借金まみれでも、貴族は貴族であることを求められる。ない袖は振れないはずなのに、無理をして自分で自分の首を絞めてしまう。
「スローン伯爵は、どうにもこうにもならないところまで追い詰められ、危ない橋を渡ることになった」
「危ない橋、ですか?」
「そうだ」
「殿下とコルネ伯爵の婚約式の日。宮殿の北門を出てすぐのところで爆発が起きた。使われた爆弾。出所はどこだと思う?」
「爆弾は国で厳密に管理されていますよね? 爆弾を作る工場も国営しかありませんし、爆弾の流通から使用まで、すべてが国の管轄。しかも用途は鉱山の採掘、トンネル事業と限られています。そう簡単に爆弾は手に入りません。……出所を掴むのは……難しいですね」
私の答えを聞くとジークは「おっ。リエット。偉いぞ。だいぶ前に渡した本を読んでいたのか」と、白い歯を見せて朗らかに笑う。
「扱いを厳しく制限されている爆弾が使われた。それは我が国の爆弾ではない。どこの国かは、爆弾自体は爆発しちまったから、分析できない。すべては煤となり追跡不可能。だがな、我が国に他国の爆弾を交易品に紛れ込ませ、持ち込んだ人物がいる」
「えっ、まさか」
「そう、それがスローン伯爵だ。つまり殿下暗殺未遂事件に、スローン伯爵は他国の爆弾の運び屋という形で関わっている。そして伯爵自身は指揮をとり、実働部隊で動いたのが、あのフェリクスだ」
衝撃だった。目の前にいる青年が、まさかのレグルス王太子殿下を暗殺しようとした一人だったなんて。
「借金のため、仕方なく協力したとしても、裏切り行為であり、反逆罪なんだ。ただで済むはずがない。そして捜査の手が自らに迫っていると知ったスローン伯爵は、亡命と交換条件で、再び悪事に加担することになった」
「そんな……!」
「その悪事に関わる黒幕こそ、ルベール嬢のお腹を刺した少女を脅したスパイにつながる」
そこでジークは「ストップ」と手で私を制し、一軒のパブリック・ハウスの近くで足を止める。
「うーん。クライン卿か。相手をするには骨が折れるな。しかし事情を説明していたら、逃げられる」
「まさかフェリクスをこの場でやるつもり……なんですか!?」
「それはさすがにね。ただちょっと近くまでお付き合いいただこうかと思ったが……僕が近づけば、フェリクスに到達する前に、クライン卿が動くからな。クライン卿が動けば、フェリクスが何かに勘づき、逃げる可能性がある。仕方ない。今回はまだ泳がせておくか」
「だったら私が」
前に出ようとした私を、ジークが背後からふわりと抱き寄せる。
「まだ半人前のリエットを行かせるわけにはいかない」
「でも」
「今日、動かない場合のプランも考えてある。大丈夫だ。それよりも」
ジークがくるりと私を回転させるので、彼とものすごい至近距離で向き合うことになる。
「リエット。今の動きでクライン卿がこちらを見ている」
「!」
「こういう場合、諜報部の人間はどうやって相手の目を誤魔化しているか。リエットに実践で教えよう」
そう言うとジークが私の顎をくいっと持ち上げる。
「えっ」と思う間にも、彼の端正な顔が私に近づき――。
お読みいただきありがとうございます!
散りばめられていた伏線の回収が始まりましたよ~















