彼女のときめき
フェリクスにいきなり抱きしめられ、私は驚き、本能的に彼を突き飛ばそうとしてしまう。
「スローン様」
この場に残っていてくれたクライン卿も止めに入ってくれる。さらに劇場のスタッフも「どうしましたか?」と駆け寄った。するとロビーにいる人も、何事かとこちらをジロジロ見る。
こうなるとロビーで話すという選択肢はなくなってしまう。皆、興味津々で耳をそば立てるはず。
「スローン様、申し訳ありません。その、驚いてしまって……」
「僕こそ、ごめん。つい再会出来たことが嬉しくて」
フェリクスが寂しそうな顔をするので、胸が痛む。ハグの文化もあるのだ。驚いたとはいえ、突き飛ばそうした自分に落ち込む。
「近くに朝まで営業しているカフェがある。そこに行こうか? そこなら落ち着いて話せるよ」
朝まで……?
(違うわ、朝まで話そうと言っているわけではない。それにクライン卿もいる。大丈夫よ)
「……分かりました。そちらへ行きましょう」
するとフェリクスは私に手を差し出す。その姿を改めて見て、違和感を覚える。
通常、オペラの観劇をする貴族は着飾るものだ。だが今のフェリクスはテールコートではなく、黒のジャケットにグレーのズボンで、まるで平民のようである。
(これは何というか、そもそもオペラを観るつもりではなく、急遽観劇した……とか?)
私の考えは顔に出てしまっていたようで、フェリクスは申し訳なさそうな表情で告げる。
「ごめん、イヴ。実は君の姿をたまたま見つけてしまい、何とか話したいと思い、急遽観覧したんだ。席もなくて、初めて天井桟敷席で平民に紛れて観劇したよ」
「そうだったのね……」
そこまでして私と話したかった。しかもさっきは感極まって私を抱きしめていた。
(ということはフェリクスは、私を嫌いになったわけではなかったの……?)
「行こうか、イヴ」
(それに今も私のことをイヴと呼んでくれている……!)
その事実に私の胸はどうしたって高鳴ってしまう。
(つまりフェリクスはまだ私のことが好きなんだわ!)
何というか不安が拭われると、安心してフェリクスのエスコートでカフェに向かうことができる。
「うわぁ、混雑しているね」
「そうね。劇場から近いから、観劇を終えた人たちが大挙して押し寄せているわ」
目指したカフェは大混雑していた。
「ちょっと離れるけど、パブリック・ハウスがある。そこへ行くのはどう?」
パブリック・ハウスはお酒がメインであるが、頼めば紅茶ぐらいは出してくれる。そこでフェリクスの提案に私は……。
「ええ、いいわ。そこへ向かいましょう」
目配せするとクライン卿も頷き、後をついてきてくれる。
「こっちだよ、イヴ」
歩きながら近況報告をすることになった。
つまりは今の私は宮殿勤めをしていることをフェリクスに話した。
「そうか。だからか。何度かイヴの屋敷の近くを通って、君に会えたらいいな……って思った。でも一度も会えなくて……」
「私が侍女になったって、社交界では噂になっていない?」
「そうだね。どうだろう? 実は僕、つい最近まで国外にいたんだ。父上の仕事の関係で」
それを聞いてビックリ。確かフェリクスはアカデミーに通っていたはずなのに!
「ああ、アカデミーか。あれは……大したことがなかったよ。それよりも父上に実践でいろいろ習うのが楽しい」
「そうだったのね……」
昔はアカデミーの勉強が楽しくてならない、志の高い仲間が出来て嬉しいと言っていたのに。
(でも多感な時期だから……。伯爵の仕事を手伝い、海外に滞在する。それもすごいことだわ!)
「スローン様、伯爵のお仕事のお手伝いって、どんなことなんですか?」
「そんな大したことじゃないよ」
「伯爵は確かワインの輸入を手掛けているのよね? 国産ワインでも十分に美味しいけれど、海外産のワインで美味しいのがあるのでしょう? まだ飲めないのに、もしかして買い付け?」
するとフェリクスが大きくため息をつく。
「僕のことより、父上の事業が気になるの?」
「!? そんなつもりはないわ」
「僕、あの後、いろいろ縁談話があったんだよ。でも断ったんだ。なぜだか分かる?」
これには「えっ」と驚き、「もしかして」と思ってしまう。
(私のことが忘れられなくて、縁談話を断っていたの……?)
心臓がトクトクと忙しなく鼓動している。
「……ここだよ」
「ここは……」
宿の一階がパブリック・ハウスという店だった。
「あっ、カウンター席が空いている! パブリック・ハウスは立ち飲みが基本。これはついている。入ろう」
「……ええ」
核心をつく話をしていたのに、あっさり終わってしまい、私は何だか不完全燃焼だった。だがフェリクスと私はカウンター席に座ることになる。クライン卿は店のスタンディング・エリアで待機してくれていた。
「紅茶二つ。えっ、食べ物? 本当はいらないけど……じゃあチーズと黒パンで」
お酒を出すお店では、定番メニューのチーズと黒パンの盛り合わせ。それと紅茶を頼むと、フェリクスは改めてその白水色の瞳で私を見た。
「ああ、イヴ。夢のようだよ、本当に。ずっと会いたかった」
そう言うと横並びで座り、カウンターの上に置いた私の手を、フェリクスがぎゅっと握った。
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