彼女の改心
それはまさに典型的な“Go from riches to rags”(没落する)だった。
社交界ではよく耳にする言葉ではあるが、我が家とは無縁だと思っていた。
だが破滅は足音もなく近づき、既に私たちは薄氷の上にいる状態になっていたのだ。
我が家の工場がある近くで、テレンス公爵が新たな工場を稼働することになった。
その場所は、王都では北エリアと呼ばれ、工場地帯。毎週のようにどこかで新たな工場が稼働しているのでは!?というぐらい、活気のある場所だった。テレンス公爵がその場所で工場を稼働させることになったのは、何も我が家を没落させるためだったわけではない。たまたまだった。たまたまテレンス公爵もその場所で繊維工場を稼働させたに過ぎない。しかも新しく出来た工場。工員を雇いたい。だからこそ高めの給金を約束し、家族手当や工員専用の宿舎まで用意したのだ。
我が家の工場は祖父が建てた物で、そこで働く工員は祖父と契約書を交わしていた。家族手当なんてなければ、宿舎もない。給金も相場並みだった。とくに工員に対し、手厚く何かをしていたわけではない。そうなったら条件がいい工場へ移ったとしても……仕方のないことだった。
その結果、工員不足で我が家の工場が稼働できない時間が増え、操業すらできない日も出てくる。そうなると商会では販売する商品がなく、取引先との間で問題が生じてしまう。さらに原材料の仕入れでも、大量購入での割引が適用されなくなるなど、いろいろな弊害が起きてくる。
それでいて社交シーズンを迎え、我が家でも例年通りで舞踏会や晩餐会を催す必要があるし、参席する必要があるのだ。歳出は増え、借金はかさむが、貴族としてのプライドがある。「金を用立てて欲しい」と父親は、親族に頭を下げることができない。
そして私はあの日、両親のこの会話を聞いてしまう。
「……仕方ない。イヴの持参金として用意していた金を使う」
「あなた、それは……! それならば私が実家に出向き、父親に相談します!」
「それはダメだ! お義父さんに馬鹿にされる。君との結婚、お義父さんからは最後まで反対されたんだ。君は歴史の長い家門の子爵令嬢だった。僕のような武功でのし上がった一族とは違う。君のご先祖には王族の遠縁だっているのだろう? お義父さんを頼るなんてできない!」
「ですがイヴはどうなるのですか!? 持参金を渡せなかったら……」
「大丈夫だ。あの伯爵家の令息は、イヴにべた惚れなのだろう? 向こうから『ぜひに』と言ってきているんだ。しかも我が家からすると格下。持参金は必ず後で用意すると言えば、呑み込むはずだ」
これを聞いた時、私はどれほどショックだったか……。
だが既にルベール侯爵家は没落の危機に瀕していることは、私でも気づいている。
使用人の数だって半分に減っていた。
それが周囲にバレないよう、両親は必死。
使用人は使用人で、これまでの半分の人数で、給金は上がらず、仕事をこなさなければならない。以前のような余裕はなく、仕事内容も雑になっていく。
窓で蜘蛛の巣を見つけたり、廊下でネズミが走るのを目撃したり、庭の手入れが滞っているなんてことが、当たり前になりつつあった。
これからルベール侯爵家はどうなってしまうのか。
不安で、不安で仕方ない。
でも連日、舞踏会に参加し、また屋敷でも晩餐会を催し、不安であることを誰かに相談することもできない。婚約者となる伯爵令息にも相談できないまま、時間が流れて行く。
そして社交シーズンが終わる頃、父親から告げられる。
「婚約話が白紙撤回になった」
「え……!」
「我が家で用意する持参金が少し遅れると話したら、『貴族として、契約は何よりも大切なこと。遅れるなど認められません』と、あのくそじじぃが言ってきた! 格下の伯爵家のくせに、糞生意気な伯爵め!」
「あなた、何て言葉遣いなのですか!? イヴが怯えていますわ!」
「うるさい! お前は黙っていろ!」
父親が怒鳴り、母親が泣きだす。
以前の我が家で想像すらしていない悲惨な状況。
私は伯爵家のその令息に手紙を書いた。
しかし、彼から返事は来ない。
「お嬢様、仕方ありません。伯爵が反対されているのです。ご子息はお嬢様からの手紙を受け取ることも、書くことも禁じられているのでしょう」
そう慰めてくれた優しい侍女も、翌月には解雇され、そして――。
「イヴ。あのバカ息子との縁談話は流れた。気にする必要はない。もっといい男を父さんが見つけてやる」
だが父親が持って来たのは……。
「レグルス王太子殿下の婚約者になったコルネ伯爵が侍女を探しているそうだ。イヴの推薦状を提出しておいた。もし採用されたら、春から宮殿で働けるぞ。給金もいいし、宮殿で暮らせるんだ。支度金も出るし、宮廷料理人の作る絶品料理を毎日食べられるぞ!」
「えっ……侍女? お父様、私が侍女になるのですか!?」
当時の私が受けた衝撃は計り知れない。
侍女とは自分に仕える者であり、まさか自分が侍女になるなんて、これっぽちも想像していなかったのだから……。
この時、私の中で生まれた負の感情。それを私は全くのお門違いの八つ当たりで、テレンス嬢にぶつけてしまう。自分が彼女にしたことを後から思い出すと……穴があったら入りたいレベルではない。本当に、私は何てひどいことをしていたのかと思う。
テレンス嬢だけではなく、無関係のパティシエにまで迷惑をかけて。モンクレルテ嬢を怖がらせてしまった。何より、侍女に採用してくれたコルネ伯爵にも……申し訳ないことをしたと思う。
そこからは心を入れ替えた。
テレンス嬢の言う通りで、私はここで侍女をやっていくしかないのだ。
なんというか憑き物が落ちた私は、侍女の仕事が楽しくなっている。それに同僚であるテレンス嬢。彼女は私よりもっと悲惨で過酷な苦労を重ねているのだ。その上で、私の負の感情を受け止めてくれた。なんと言えばいいのか。まるで聖母のように浄化してくれたのだ。
私もテレンス嬢のようになりたい。
大切な主であるコルネ伯爵の役に立つ人間になりたい――そう願うようになった。
お読みいただき、ありがとうございます!
明日も夜更新です~















