令和元年7月19日(金)「終業式」藤原みどり
1学期の終業式が滞りなく終わった。
長引く梅雨と同じように、どんよりとした重い情念が私の心を覆っている。
これまでの教師経験はわずかなものだが、この長く感じた1学期は忘れることのできないものになったと思う。
始まりは、ゴールデンウィークの日野さんのノートを巡る一件。
次に、学校どころか日本中に衝撃を与えた谷先生の起訴とその引き金になったキャンプでの盗撮事件。
もうひとつが、現在進行中の文化祭の改革とその中心となっているファッションショーの企画。
今年の特別長いゴールデンウィーク前に日野さんのノートのコピーが一部生徒に出回った。
元は4月に欠席の多かった日々木さんのために作られたノートだった。
そのあまりの出来の良さに、ノートのコピーの有無によってゴールデンウィーク明けの中間テストで大きな差が出ると小野田先生が危惧して、他の生徒たちにも見る機会を与えるように指導した。
これにより日野さんの学業の優秀さは他のクラスにまで広まった。
日野さんの提案により、職員室でノートをコピーすることが推奨され、私はそのサポートに追われることになった。
ただでさえ試験を作成するために忙しい時期で、余計な手間が増えて私は迷惑を被った。
キャンプの盗撮事件については、担任の小野田先生と校長、そして日野さんが事前に打ち合わせをして盗撮行為を現行犯で捕らえることに成功した。
警察の介入にまで及んだのは、それが単発の事件ではなく、合唱部顧問の谷先生の指示による悪質な一連の行為を糾弾するためだった。
そこで明かされたのは、他の盗撮行為のみならず売春の斡旋といった信じがたい犯罪だった。
谷先生は逮捕され、その責任問題は校長や小野田先生、田村先生にまで及んだ。
7月初旬には買春側の男性が逮捕起訴され、この事件が広く知られるようになり、マスコミが大挙押し寄せた。
学校側の冷静な対処により、現在は落ち着きを取り戻している。
生徒の動揺も心配されたが、日野さんを中心にクラスの女子が結束し、事件の当事者の生徒を孤立させずに乗り越えた。
私はあまり関与することがなく、この件については与えられた仕事をこなすだけで精一杯だったと言えるだろう。
私が関わる度合いが大きいのがファッションショーの企画だ。
これまで定番だった文化祭での合唱に不満を抱いた校長が生徒の自主性を発揮した企画を望み、それに応える形でファッションショーが提案された。
中学校の文化祭に相応しいものだとは思えないが、校長や小野田先生がゴーサインを出し、私はそのサポート役の任を与えられた。
文化祭実行委員会で今年度のクラスの催しに合唱が禁止され、有名私立大学との合同企画が行われるなど、10月末に行われる文化祭は例年とは大きく様変わりしたものになる。
当初ファッションショーに眉をひそめていた教師たちも、文化祭の激変に反対する余裕を失ってしまった。
本来、9月末の運動会後に着手する文化祭の準備が前倒しされ、早いクラスは既に動き始めている。
クラスの企画が合唱であれば準備の多くを音楽教師に任せられたのに、今年は生徒も教師も手探りの中で文化祭を迎えることになりそうだ。
このところ生徒会や文化祭実行委員会から新たな提案が次々と出て来ているので、その対応にも苦慮している。
教師も例年以上に情報を交換し、話し合いを重ねている。
校長による生徒の自主性を重んじる考えが芽吹いてきた証という評価もあるが、騒乱のきっかけが日野さんであることは疑いようのない事実だ。
「田村先生が元気ならここまで酷くはならなかったと思うのに……」
田村先生は教師の職場環境の改善に長く取り組んで来たベテランだ。
我が校でもっとも発言力のある教師だろう。
校長に対しても真っ向から意見が言える存在だった。
それが谷先生の逮捕以降、以前のような精気がなくなった。
今年度限りでの転任も決まっている。
同じ国語教師なので話す機会が多い。
それとなく不満を言うと、「他の学校の忙しさはこんなものじゃない」とたしなめられた。
校長と協力して学校の事務の改善や部活動の負担軽減などをこれまで積み重ねてきたので、他校に比べるとかなり楽なのだそうだ。
私はこの学校以外での経験がないので何も言い返せなかった。
ホームルームでは小野田先生が長期休暇の注意事項を説明した後、教壇を降りた。
続いて、日野さんが教壇に立つ。
慣れて堂々としたものだ。
「文化祭の準備のスケジュールを記したプリントです。自分が所属するグループを確認し、そのスケジュールをチェックしてください。参加できない時は必ずグループリーダーに事前に伝達してください」
配られたプリントが私にも渡された。
スケジュール管理表としてよくできている。
男子女子のグループごとの進捗や予定、期日などが記載されている。
達成目標のチェックリストもあって、クラウドでも確認できるようにすると書かれている。
このまま一般企業でも使えそうな代物だが、日野さんのやることだからと思うと驚きもない。
だが、日野さんであっても実際にクラスの全員をやる気にさせられるかは疑わしい。
私も中学高校と学級委員などクラスの中心で活動してきた。
文化祭などのイベントでもリーダーとしてみんなを引っ張る立場だった。
積極的にやる子もいれば、距離を置く子や反発する子などいろいろだ。
やる気のない生徒をやる気にさせるのは実に難しい。
最初はいろいろと試行錯誤したものの、徐々にそういう人を相手にしなくなっていった。
今は教師としてそれが仕事だから頑張るが、正直何の見返りもなしにやり続けるのは苦痛だった。
この2年1組はかなりまとまりのあるクラスだけど、みながみなファッションショーを歓迎している訳ではない。
今だって熱心にプリントを見ている生徒もいれば、プリントに興味を示さない子もいる。
果たして彼ら彼女らを変えられるのかどうか。
日野さんになら私ができなかったことができるのかどうか、それを知りたかった。
「すでに伝えている通り、27日に東京で行われるファッションショーを見学します。参加には保護者の承諾が必要です。現在クラスの半数ほどの参加が確定していますが、できれば全員の参加を期待しています。参加が確定していない生徒に対しては、日曜日までに私かグループリーダーによる個別の面接を行います」
日野さんが話した見学会は私が総責任者となる。
他にも成人のサポートメンバーを用意すると日野さんからは聞いている。
若手や駆け出しのデザイナーによる手弁当のファッションショーで、主催者とは電話で話をした。
デザイナーというとチャラチャラしたイメージを持っていたが、彼女は非常にしっかりした真面目な人だった。
私より少し年上だが、私に対してもとても丁寧に話し、物腰が柔らかかった。
この見学会にひとつ不満があるとすれば、話を聞いた時点でもう断れない状況だったことだろう。
「それでは、みなさん、よい夏休みを。グループリーダーの方は確認のため残ってください」
すぐに教室を出る子は少なく、友だち同士お喋りをする姿が多い。
中でも日野さんの周りには人が集まり、文化祭の打ち合わせに多くの生徒が関心を寄せている。
それを憎らしいほど余裕を持って日野さんはさばいている。
「日野さんがいなくなったら何もできなくなるんじゃないの?」
あまりにも彼女に頼り過ぎているように見える。
「大丈夫です。可恋がここまで準備してくれたんです。後はわたしたちだけでもやり遂げてみせますよ」
私のほんの小さな呟き声を耳ざとく聞きつけた日々木さんが胸を張って答えてくれた。
††††† 登場人物紹介 †††††
藤原みどり・・・2年1組副担任。教師生活3年目の若手。国語担当。
小野田真由美・・・2年1組担任。50代のベテラン。理科担当。
田村恵子・・・2年の学年主任。50代のベテラン。国語担当。
谷ほのか・・・20代の元音楽教師。現在起訴されている。
日野可恋・・・2年1組の学級委員。藤原先生に知られていない暗躍も多数存在する。
日々木陽稲・・・2年1組。可恋の親友。「別にフラグじゃないよぉ」とのこと。




