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令和3年3月24日(水)「モチベーションは自分で上げる」神瀬結

『目の前のひとつひとつの演武に集中するだけです』


 モニターには見慣れた男性記者が映っている。

 わたしが取材を受けるのはまれだが、姉の取材で何度も顔を合わせたことがある相手だ。


『画面越しでも自信がみなぎっているのが伝わって来ますね』と彼は微笑み、『監督は、いまの結さんが中学生時代の舞さんに勝るとも劣らないと仰っていましたよ』と言葉を続けた。


 わたしは表情を緩めることなく『姉にはまだ追いつけると思いませんが、周囲にお手本となる人たちがいるお蔭で成長できていると思います』と答えた。

 ここで調子に乗ると面白おかしく記事に書かれかねない。


 この春、中学選抜の空手大会が行われる。

 昨年は新型コロナウイルスの影響で中止になった大会だ。

 わたしにとって出場できる最初で最後の機会となる。

 一昨年の夏の全国大会(全中)の準優勝者であり、東京オリンピック代表内定の神瀬こうのせ舞の妹ということでこうして大会前から注目してもらっている。


「変なこと言ってなかった?」とわたしは取材が終わるとすぐに隣りで見ていた果鈴に尋ねる。


 原稿はあとで監督がチェックすると聞いているが、今日は同席していない。

 代わりに中等部空手部女子副主将の果鈴に側に付いていてもらった。


「結って取材慣れしているよね。あたしだったら頭の中が真っ白になっちゃうと思うもん」


「優勝したらインタビューされるよ。ちゃんと考えておかないと」と笑い掛けると、「優勝はさすがにね……」と果鈴は言葉を濁した。


 空手には形と組み手の2種目があり、わたしは形、果鈴は組み手の選手だ。

 彼女も大会に出場する。


「果鈴、強くなったんだからもっと自信持ちなよ」


十亜とあが出れないから選ばれただけだし……」


「いまの十亜相手なら十分に勝機あるって」と軽い口調で言ってみたが、果鈴は笑みを浮かべただけで何も答えなかった。


 この1年間大会が次々と中止になり、部員のモチベーションも大きく損なわれた。

 うちの部に在籍する組み手の選手は伸び悩んでいる印象が強い。

 そんな中でコツコツやって来た果鈴と、天才肌の十亜が実力で抜け出している。

 果鈴は十亜に苦手意識を抱いているようだが、わたしからは十亜を過大評価しているように見えた。


「いつものように埼玉だったら日野さんに見に来てもらえたのになあ」


 これ以上果鈴を追及することをやめ、わたしは愚痴を零す。

 今年の大会は首都圏での開催を避け、長野県で行われる。

 空手部からも出場する選手以外は応援に行けないことになった。


「そればっかりだね」と果鈴は呆れた顔をするが、「わたしが大会がなくてもまったくモチベーションが落ちないのは日野さんのお蔭だもの」と握り拳を固めて力説した。


「大会が終わったら神奈川まで遊びに行きたかったのに、4月の選考会まで禁止だって監督に言われたんだよ。酷いと思わない?」


「ジュニアの日本代表の選考会だもの。十亜ほどじゃないけど結も練習をサボることがあるから注意しておけって、あたしも監督から言われてるし……」


「果鈴も敵かー!」とわたしは大げさに叫ぶ。


 本当に何度か日野さんに会いに行っただけだ。

 練習のある日に。

 ちゃんと結果を出しているんだから大目に見てよと言いたいところだが、大きな大会がないので主張できないのが悔しい。

 それでも最近はインタビューにもあったように監督からの評価も上がっているし、自分でもかなり自信をつけている。


「そりゃあさ、ほかにも日野さんみたいに誰にも知られていない凄い人がいるかもしれないよ。でもさ、いまなら日野さん相手でも互角以上に戦えると思うもの」


 果鈴はわたしを眩しそうな目で見ている。

 わたしは「だからさ、春休み中に1度は会いに行きたいのよ」と言って、果鈴に練習を休ませてくれるように手を合わせてお願いする。


「うちの道場に問い合わせしてきた女子高生の空手家が日野さんと手合わせしたって聞いたし、それに何より日野さんのセーラー服姿って見たいじゃない!」


「大きな声が外まで届いているよ?」と部屋に入ってきたのは十亜だ。


「十亜こそまたサボりに来たんでしょ」とわたしは注意する。


 この部屋は映像のチェックなどができるモニター室だが、高等部の先輩がサボり目的で使っているところを目撃したことがある。

 今日は高等部の練習がないので、空いていると思ってサボりに来たのだろう。


「結たちは?」と十亜はわたしの質問に答えずに質問を返す。


「取材」とわたしが答えると、「ご苦労なこった」と十亜は肩をすくめた。


「また監督にドヤされるよ。今度は全中に出るなって言われるかも」


 十亜は才能があるということで監督が目を掛けてきた。

 だが、このサボり癖だ。

 期待が大きい分、怒りも大きくなる。

 寒いからとサボっていた十亜に、監督がキレてとうとう春の大会の出場を認めないと言い出した。


「出ないのはいいんだけど、今度はオヤジに殴られるだけじゃ済まないかも」と十亜が顔を歪めた。


 彼女もわたしと同じく家族が空手関係者だ。

 本人は空手を続けたくなかったそうだが、なかば強引にこの中高一貫校に入学させられたらしい。


「飯抜きとか?」と尋ねると、「いや、飯を抜くと弱くなるからって、むしろ強引に詰め込まされるんじゃないかな」と十亜は嫌そうな顔をした。


「ツキノワグマからヒグマにレベルアップできるじゃん。やったね!」


 キャシーさんには比ぶべくもないが十亜も身体が大きくてゴツい。

 横幅や身体の厚みは相当なものだ。

 それでいて俊敏なので、指導者視点では誰もが惚れ込む逸材だった。


「この前さ、オヤジに空手を続けるのは中学までの約束だったよなって確認したんだよ。そしたら、オヤジは辞めたかったら辞めて良いぞって言ったんだよ」


 わたしは驚きを持って彼女の話を聞いた。

 果鈴も固唾を飲んで次の言葉を待っている。


「もう大喜びでテーブルを叩き割りそうになったんだけどさ。アイツ、何て言ったと思う? 空手を辞めたら家を出てひとりで生活しろ。金も自分ですべて稼げだってよ」


「……まあ、そうなるよね」


「高校出たら絶対空手辞める!」と吠える十亜に、「肉体労働ならいくらでもできそうだけど、十亜にバイトなんてできるの?」とわたしは疑問を投げつけた。


 サボり魔の十亜が、人の下についてあくせく働く光景が思い浮かばない。

 空手を続けて指導者を目指した方が性に合っているんじゃないか。

 もちろんそれだって簡単な道のりではないんだろうけど。


「石油王に見初められて、何不自由なく暮らすみたいなことってできないかな」


「鏡を見てから言おうよ。本物のクマの方が可愛げあるよ」


「よし、クマを倒してくる」


「空手家としては箔が付くね」


 こんな他愛ない会話を続けていると、果鈴が焦った顔でわたしを見た。

 彼女は弱々しい声で「これ、あたしたちもサボっていることになるんじゃ……」と呟く。

 そこに怒声が鳴り響いた。


「お前たち、そこで何をしている!」


 監督だ。

 わたしは咄嗟に「果鈴のことで十亜からアドバイスを受けていました」と嘘をつく。

 監督は厳しい視線を果鈴に送った。

 十亜もわたしもあまり信用されていない。

 3人から注目を浴びた果鈴は消え入るような声で「はい」と頷いた。


 腕組みをした監督は「続けろ」と指示を出す。

 十亜は何食わぬ顔で「さっきも言ったように、果鈴は試合になると緊張して動きが単調になるの。無意識に左に回る癖は直した方がいいんじゃないかな」とペラペラ話す。

 わたしも果鈴も驚かないように気をつけるので精一杯だ。


「さすがによく見てるね」とわたしが感心すると、十亜は「組み手って一種の会話だからね。相性が合う相手と戦うと惚れちゃうこともあるんじゃない」と冗談を飛ばす。


 わたしはその言葉に引っ掛かるものを覚えた。

 日野さんはこの前、自分が戦った組み手の試合のことを楽しそうに話していた。

 その時はへぇーと思っただけだったが……。


「監督! 来月上旬に休みをもらいます。大変なことが起きていたら大変ですから!」




††††† 登場人物紹介 †††††


神瀬こうのせ結・・・中学2年生。大学付属の中高一貫校に通う。各種スポーツの強豪校でもあり、彼女は現在中等部空手部主将を務めている。姉の舞は大学職員として大学に残り、オリンピックに備えている。なお、大会での優勝を条件に1日だけ休むことを監督に認めてもらった。


中島果鈴(かりん)・・・中学2年生。真面目な性格で、結や十亜と比べると小柄。中学入学直後はこのふたりも性格的に自分と変わりがなかったのにこの2年間で大きな変貌を遂げたと感じている。


錦戸十亜(とあ)・・・中学2年生。趣味は食事。空手の稽古は大嫌いだが身体を動かすことは好き。普通の中学生になりたかったが、気がついたらクマになっていた。


日野可恋・・・空手・形の選手で結の憧れの存在。4月から臨玲高校に進学する。臨玲高校の制服はセーラー服である。

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