令和3年3月21日(日)「揺れる」黒松藤花
『ゆうべの地震、大丈夫やった?』
スマートフォンの画面の中で琥珀ちゃんが微笑みかけている。
わたしの横に座っている妹の希ははにかみながら頷いた。
『お姉ちゃんが側にいてくれるから安心できるんやね』
琥珀ちゃんの言葉に、希は一度わたしを見上げた。
それからわたしの左腕にしがみつく。
『昨夜は一緒に寝たの』とわたしが言うと、『優しいお姉ちゃんで良かったね』と彼女は希に優しく語り掛けた。
琥珀ちゃんは仲良くなってから週末に遊びに来るようになった。
そのたびに手土産を持ってきてくれるので、希もすっかり彼女に懐いている。
今日も「来ることができなくなったんだって」とわたしが言うと、がっかりしていた。
代わりにこうしてビデオチャットでお喋りすることになり、希は同席したいとせがんだ。
『予報ほど酷い雨やないんやけど、うちの親は心配性やから外出を許してくれへんかったんよ』
『仕方ないよ、この天気だし。もうすぐ春休みだから、また来てくれたら』
雨は朝から降り続き、風も出て来ている。
この中を友だちの家に行くと言えば保護者は心配するだろう。
わたしなんて妹が気になって休みの日は外出をほとんどしない。
病弱で体力もあまりない希をひとりで留守番させることはできないし、お父さんの貴重なお休みを希の世話だけで終わらせてしまうのは申し訳ないと思う。
琥珀ちゃんはそんなわたしの気持ちをおもんばかって、遊びに誘うのではなく家に来て希の相手までしてくれる。
『うちの親は災害にちょっと敏感すぎるんよ。藤花ちゃんやから話すけど、うちのお母さんは阪神淡路大震災で被災してて、その経験から災害グッズとかこれでもかってくらいあるんよ』
『そうなんだ……。でも、備えって大事じゃない?』
『そうやねえ。大地震はいつ来るか分からんし、最近は雨も半端ないくらい降ることあるしねえ。うちも必要なんは認めるんよ。ただ、やり過ぎなのが……』
琥珀ちゃんは苦笑しつつ、『でも、それくらい警戒してないとイザって時に役に立てへんのかもなあ』と呟いた。
わたしは『防災用のリュックは用意してあるけど、2月の時みたいに真夜中だったら判断が遅れるかも……』と不安を口にする。
あの時はお父さんがいたし、関東はそこまで大きな揺れではなかった。
お父さんが居なくてお祖母ちゃんが泊まりに来てくれた時に大きな地震が起きたら、わたしが避難所のことなどを指示しなきゃいけなくなるかもしれない。
いまのわたしに落ち着いてそういうことができるとは到底思えなかった。
『大丈夫や。藤花ちゃんはお姉ちゃんやもん。希ちゃんを守らなあかん思たら強くなれるって』
琥珀ちゃんに励ましてもらい、わたしは顔に浮かんでいた不安を隠す。
希に心配を掛けたくないという思いもあるが、琥珀ちゃんから学んだことを実践してみようと思ったからだ。
彼女はこう言っていた。
「なりたい自分をできるだけ具体的にイメージして、できるとこからそこに近づくようにするのがええと思うんよ。うちの場合、どんな苦しい時も笑顔で立ち向かう自分が理想やねん」
まだまだできてへんけどなと笑う彼女を見て凄いと思った。
わたしにもなりたい自分というものはある。
妹から頼られる姉。
琥珀ちゃんや朱雀ちゃんのように自分の考えを堂々と言える人。
そして、卒業した先輩のように困っている人に笑顔で手を差し伸べる人に。
わたしは自分が描く物語の主人公のような困難に立ち向かっていくヒーロー・ヒロインに憧れていても、決してそうはなれないと諦めていた。
漠然とした理想像はあっても、そのために努力をしているとは決して言えない。
妹の世話や勉強など目の前のやるべきことをするだけで、その先に踏み出そうとはしなかった。
たぶん、わたしは子どもだからそれでいいと考えていた。
誰かがきっと助けてくれる。
いまのままで良いと。
しかし、朱雀ちゃんや琥珀ちゃんは自分の力で前に進んでいこうとしている。
わたしに彼女のあとを追い掛けることはできるのか。
勉強はできても人前で話すことは苦手だし、運動は苦手でおもしろいことも言えない。
できない理由ならいくらでも思い浮かぶ。
それでも琥珀ちゃんはわたしと友だちになりたいと言ってくれた。
自分にはない良さがあると言ってくれた。
できることから始めようと思う。
妹の前で不安な顔は見せない。
すぐ人に頼ったりしない。
せめて親しい人にだけは思ったことを伝える努力をする。
琥珀ちゃんならできて当たり前のことだろうけど、わたしにとってはこれが第一歩だ。
『こういうのお節介や言う子も少なくないからあんまり言わへんのやけど、防災に関してはちょっと詳しいから頼ってくれてええんよ』
防災の知識が初めて役に立つかもと琥珀ちゃんは言うが、役に立たないで済むのが理想だろう。
彼女は乗り気だし、災害はいつ起こるか分からないので、これに関しては無条件に頼ることにした。
『緊急事態宣言も解除されるみたいやし、春休みに入ったらお花見がしたいね。希ちゃんも連れて。歩いて眺めるだけなら平気やろ』
希が防災の話に飽きてきたのを感じたのか琥珀ちゃんが話題を変えた。
妹は即座に顔をきらめかせて「お花見!」と声を上げる。
近所の公園くらいなら大丈夫だろうと思っていると、『これでも結構鍛えているんよ、希ちゃんが疲れたらおぶってあげるからね』と画面の向こうで彼女は力こぶを見せつけた。
『凄いね。わたしじゃもう無理』
『藤花ちゃんももう少し筋力つけた方がええかもね。その気になったら言うてな。手取り足取り教えてあげるさかい』
わたしは希ほどではないが身体が弱く運動が苦手だ。
学校での掃除の時など重いものを持つのが大変だった。
2年生になってからはこちらが言い出す前に周りが手伝ってくれるので助かっているが……。
『春休みのあとは……3年生だね』
不安を顔に出さないと決めていたのに、それは果たせなかった。
受験生になることへの不安はあまりない。
それよりも悩みの種とも言えるのがクラス替えだ。
この1年間はいままでに経験したことがないほど居心地が良いクラスだった。
中学生活最後の1年が同じようなクラスになるかどうかは分からない。
『クラス替え、楽しみやね』と言った琥珀ちゃんは『担任と顧問に強烈にプッシュしといたからな』と微笑む。
『担任の意に添う形で学級委員を務めたし、ダンス部でも副部長として頑張っているからご褒美が欲しいって、ことあるごとに言うてるから絶対同じクラスになれると思うんよ』
彼女は自信満々だ。
わたしは期待してダメだった時のことを考えてしまい、彼女ほど信じることができなかった。
この性格だけは簡単に変えられそうにない。
その時、「クラス替え……」という呟きが耳に届いた。
わたしの不安が感染したかのように希の声はか細く頼りなげだ。
だが、琥珀ちゃんに『クラス替えになったら新しいお友だちがいっぱいできるね』と声を掛けられると嬉しそうに「うん」と頷いた。
その表情を見てわたしの頭の中にピシッと罅が入る音が聞こえた。
わたしは琥珀ちゃんと楽しそうに話す希を呆然と見つめる。
足下が崩れていくような感覚を味わいながら、ただ呆然と……。
††††† 登場人物紹介 †††††
黒松藤花・・・中学2年生。妹には母親がいない寂しさを味わわせたくないという強い想いがある。一方で彼女自身がその寂しさを妹を構うことで埋めている面も。
島田琥珀・・・中学2年生。学級委員やダンス部の副部長を務める有能さを誇る。彼女自身は生まれも育ちも関東だが、両親が関西出身なこともあって関西弁を操る。
黒松希・・・小学2年生。2人目ができて女の子なら藤花と同じように生まれた季節の花の名前をつける予定だったが、東日本大震災があって「希望」から希と名付けられた。彼女を産んですぐに亡くなった母親の最後の望みだった。




