令和3年3月20日(土)「お姫様」湯崎あみ
「本館の裏手に新しい建物ができたじゃない。そこに潜入できないかと思って正面から堂々と入ろうとしたら警備員に止められてしまったよ」
「当たり前ですよ、先輩」
つかさは呆れた顔でわたしを見る。
彼女はメガネのフレームを指先で持ち上げるように直してから「警備厳重ですよね、あそこ。あたしも裏口から入れないか見て回ったんですが、近くをウロチョロしただけでガードマンに注意されちゃいましたし」と発言した。
くせ毛の後輩はどこか猫っぽい雰囲気がある。
わたしも暇な時は校内をウロウロしているが、彼女はわたし以上に好奇心の赴くままフラフラしている印象だ。
「でもさー、子どもが入っていくところを見たんだよ。今朝」
わたしがそう言うと「子どもですか?」とつかさは興味を示した。
彼女は文芸部の後輩だが、関心がない話だと先輩のわたしに対してもつれない態度を取る。
たったふたりしかいない文芸部でそれは死活問題だ。
休みの日にわざわざ学校に来るのは彼女に会うためでもあるのだから……。
「朝は晴れ間があったから駐車場の付近をブラブラしていたの。すると、あの建物に車が横付けになって小学生くらいの女の子が入って行ったのよ」
完成間近に見える新築の建物について生徒に向けた説明がこれまでほとんどなかった。
昨年の秋頃から工事が始まったが、敷地の隅ということもあって興味を抱く生徒は少ないようだ。
外観が地味だから倉庫か何かと思っていたのだけれど……。
「女の子ですか! どんな服装でした? ひとりじゃないですよね? お供はいましたか?」
つかさは小説なら何でも読むタイプだ。
お気に入りは純愛小説だそうだが、まるで推理小説に出て来る探偵のように矢継ぎ早に質問を飛ばした。
「遠目だったしマスクや帽子を着けていたから顔は分かんないけど、見た目は上品そうだったな。お供は青年っぽいのが車のドアを開けてエスコートしていたよ」
「どこかのお嬢様ですかねー」
つかさは目をキラキラさせるが、この学校にはお嬢様なんて掃いて捨てるほど存在する。
わたしだって一応はお嬢様だ。
彼女は一般庶民らしいので、こういう言葉が出て来るのだろう。
「例の有名人なんじゃないですか?」とつかさはさらに身を乗り出した。
「どうだろ? でも、有名人って何なんだろうね。うちの学校には首相の娘なんてのもいるんだから、そこらの芸能人が入学しても驚かないと思うんだけど」
実は生徒の間にこの春有名人が入学するという噂が広まっている。
女の園だけにこういう噂が伝わるスピードはとんでもなく速い。
賭けまで行われていて有名女優の名前がいちばん人気とされているが、こんな鎌倉の片田舎にやって来るとは思えなかった。
「うーん」と腕を組んで考え込んでいたつかさが何かに気づいた顔になった。
「どこかの国のお姫様って線はどうですか?」
「あー」とわたしはピンと来るものがあった。
「そう言えば、朝に見た子ってもの凄く色が白かったかも」
頭身なんかも、ちょっと普通の日本人少女とは違うような気がしてきた。
よく知らないが北欧などの王女がこっそり……と言われたら納得してしまうかもしれない。
「きっと、それですよ!」とつかさは真犯人をズバリと指摘したような顔をしている。
「でも、このご時世で留学とかするかね」
「だから、秘密なんじゃないですか? 新しい建物もその子のためだと考えれば……」
確かにすべてが符合するような気になってくる。
有名人入学の噂もこの建物のことも学校側からまったくアナウンスがないが、これなら秘密にしている理由になるだろう。
「だけど、何でうちの高校に?」
「臨玲ですよ。おかしくはないですよ」とつかさは言うが、昔ならいざ知らず落ち目のいま本物のお姫様が入学してくるだろうか。
「それに、ほら、総理大臣の娘もいますし」
政治のことなんて全然分からないので、つかさが断言するとそういうものかと思ってしまう。
わたしは「臨玲の人気回復策の一環かな」と自分で自分を納得させた。
「まあ、お姫様が入学したところで学校生活に影響はないよね」
「そんなことはないです! 先輩」
そんな風に力説するつかさの喉を撫でてあげたいという気持ちが突然湧き上がる。
マスクと胸元との間にわずかに見える喉元が艶めかしい。
白くきめ細やかな肌に手を伸ばしたくなってくる。
夢中になるものを見つけた時の彼女は楽しさのオーラに包まれ輝いて見える。
愛おしくて心がかき乱されるが、それをジッと堪える。
「これは恋の予感ですよ!」
「ここ、女子高だよ?」
「先輩がさっき言ったエスコートした人との!」
つかさは瞳を潤ませている。
ここでわたしが彼女の顎を持ち上げ、「君の瞳に乾杯」なんて気障なセリフを吐いたらどんな反応を示すだろうか。
この春卒業したあの人ならサラリとやってのけただろう……。
わたしが妄想に耽っている間、つかさも別の妄想に浸っていた。
やっぱり許されませんよね、身分違いの恋……ああ、なんて悲しい恋でしょうなどとぶつぶつ呟いている。
遂にはドンと席を立った。
「あたしも見たいです。行って来ます!」
「今日は暖かいけど、ジッとしていたら冷えるよ」と言っても止まりそうにない。
読みかけの文庫本を手に持って部室を出ようとする彼女を呼び止め、「わたしも一緒に行くよ」と声を掛けた。
鞄に本や肩掛けなどを急いで詰め込んでつかさのあとを追う。
もう少ししたらお昼だ。
急がないとお姫様たちが帰ってしまうかもとつかさは焦っているようだ。
早足の後輩と例の建物のところまで来た頃には少し息が切れていた。
顔はうっすら汗ばんでいる。
寒さ対策どころか団扇で扇ぎたいほどだ。
ただ気をつけないと汗が冷えて風邪を引いてしまうかもしれない。
「その辺りでいいんじゃない?」とわたしは座るのに適した段差を指差した。
一段高いところに桜が等間隔に植えられている。
縁は大きな石が敷いてあるので、そこにタオルをかぶせて腰掛ける。
「遠くないですか?」とつかさは言うが、「あまり近いと不審者扱いされるよ」とわたしは苦笑した。
「そうですよね。お姫様ですし」とつかさは本気でお姫様だと信じているようだ。
陽差しが出ていなくて良かったと思うほどの気温だ。
風はなく、外で過ごすには最適な暖かさに感じられた。
「お昼どうしよう。ここで食べても良さそうだけど」
ピクニック気分でつかさとふたりで食事をするのは楽しそうだ。
ただ、それなら購買に寄ってから来ればよかったと後悔する。
「あたしが買って来ます!」と腰を下ろしたばかりのつかさが立ち上がる。
一緒に行くと言い掛けたわたしに「見張っていてください」と彼女は元気に駆け出して行った。
文学少女っぽい外見に反して彼女は意外と活動的だ。
わたしがつかさとの食事を楽しみにして待っていると、朝と同じように例の建物のところに車が停まった。
思わず立ち上がる。
中から少女とお供が出て来たからだ。
つかさが行った方向に一度視線を送るが戻って来る気配はない。
改めてふたりを観察する。
女の子は本当に日本人には見えなかった。
つばの広い帽子をかぶっていても分かるボリュームのある髪は黒くはなく、赤みのある金髪という感じだった。
ふたりが車に乗り込むとすぐに発進する。
呼び止める勇気はなかった。
乗用車の後ろ姿が見えなくなったタイミングで逆方向からつかさが戻って来た。
「ごめん、つかさ」
キョトンとする彼女に事のあらましを説明する。
つかさは目をまん丸くしていた。
ごめんと言って抱きつきたい感情をグッと抑え、わたしはひたすら詫びる。
「仕方がないですよ」と気を取り直したつかさは「お昼、食べましょう」と明るく微笑んだ。
それはまるで雲の切れ間から差し込んだ光のように眩しかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・高校2年生。文芸部部長。1学年上の先輩がとてもかっこよくて憧れの存在だったが、その人は3年生になるとすぐに引退してしまった。
新城つかさ・・・高校1年生。文芸部所属。地元鎌倉出身。本命の私立に落ちたあと、以前からどんな高校か興味があった臨玲に進学することにした。家はそこそこ裕福だが、臨玲では貧乏人扱いされることが多い。
* * *
「午後は来なかったね、お姫様」
「来ませんでしたね、残念です」
「明日はどうする? 部活は休みだけど」
「つき合ってくれるんですか? だったらお弁当用意します!」
「え、本当に? それは嬉しいなあ」
そんな会話も翌日の天気予報が……。
神様!
どうしてこんな時に雨を降らすのですか!
あんまりです!




