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令和3年3月16日(火)「特別な想いを抱いて」山瀬美衣

「美衣ちゃんのせいやないから」


 さつきちゃんは笑みを浮かべてそうわたしに告げた。

 彼女のいつもと変わらない優しい表情を見ても、わたしの心にのしかかる重石は軽くはならなかった。


 昨日ショックな出来事が起きた。

 さつきちゃんがダンス部を辞めると言い出したのだ。

 それを聞いてわたしは呆然とした。

 人と話すことが苦手なわたしにとって彼女は自分の思いを口にできる唯一の相手だ。

 だから先週の金曜日に胸の中にあったある思いを打ち明けた。

 もしかするとそれが引き金になってしまったのかもしれない。

 わたしは責任を感じていた。


 今日は部活がない日なので一日ずっと下を向いて過ごした。

 さつきちゃんと話がしたいと思ったもののその勇気はなく時間だけが過ぎていく。

 家は学校以上に嫌な場所なのでずるずると教室に残っていると、驚いたことにさつきちゃんがひとりで顔を覗かせた。


「良い天気なんやから、外行こ、外」とわたしは校庭に引っ張り出された。


 春の陽差しが肌を刺すが風も出ていて過ごしやすい暖かさだ。

 嫌なことをすべて忘れてずっと陽だまりにいたい。

 そんな子どもじみた願望が許されないことは身に沁みて知っているが……。


「でも、わたしが言わなければ……」


「確かに影響は受けたよ。だけど、美衣ちゃんは卒業式の様子を教えてくれただけやん。美衣ちゃんがそんなに辛い顔をすることないやん」


 話をした前日に卒業式があった。

 在校生は出席せずに卒業生とその保護者だけが参加する形で行われた。

 しかし、ごく一部の在校生は卒業式に関わっていた。

 ダンス部からも2年生を中心としたメンバーが卒業生のために舞台の上でダンスを披露する予定だった。

 式の進行中そのメンバーは別室で待機していた。

 マネージャーもサポート役としてメンバーと一緒にいた。

 ひとり、わたしを除いて。


 わたしはダンス部のパフォーマンスの撮影を頼まれていた。

 式の前からビデオカメラを設置して待機していたのだ。

 3年生がずらりと並ぶ中で1年生のわたしが居ることを場違いだと感じていたが、カメラを置いて逃げ出すこともできない。

 肩身が狭かったわたしは舞台の上に向けられたカメラを覗き込むことでやり過ごそうとした。


 卒業証書の授与は代表者だけなのであっという間に終わり、長々とした校長先生のお話が続く。

 退屈さを感じていた頃にひとりの生徒が壇上に立った。

 ごく普通の女の子に見えた。

 その人は「送辞」と言ってから手に持った文書を読み始めた。


 わたしの気を引いたのは、それが普段使っている言葉だったからだ。

 その前の校長先生のお話もそうだったように、こういう場では小難しい言葉を使わなければならないと思っていた。

 それなのに彼女は分かりやすい言葉で語り掛けた。

 教え導いてくれたことへの感謝の気持ちを素直に伝え、新たな世界へ一歩を踏み出す人たちにエールを送っていた。


 卒業生に贈る言葉なのに、なぜかわたしが感動していた。

 わたしは中学生になって、特にダンス部に入ってから環境が大きく変わった。

 それまでは家にも学校にも居場所がなく、どこかに消えてしまいたいといつも思っていた。

 いまはダンス部に居場所を見つけることができた。

 それはわたし自身の力で成し遂げたものではない。

 周りの人たちが助けてくれたからだ。

 先輩たちだけではなく同学年のさつきちゃんやみっちゃんが気にかけてくれるから、わたしは部活を続けることができた。

 送辞を聞いて、わたしも助けてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたいと強く思ったのだ。


 わたしが心の中でひとり盛り上がっていると、次に壇上に向かったのは目を見張る美少女だった。

 この世のものとは思えない美しさに保護者からはどよめきまで起きた。

 わたしですら名前を知っているこの学校の有名人は、ファインダー越しだとひときわ輝いて見えた。

 その彼女は緊張した面持ちで答辞を読み上げた。


 送辞に比べれば固い言葉が使われていたが、わたしにも伝わる内容だった。

 先輩は中学生活で学んだこととして絆と挑戦を挙げ、「初めてのことに挑むのは困難な道のりでした。しかし、その苦境を保護者の方々や先生方に支えて頂きました。そして、仲間と手を取り合うことで成功に至ることができたのです」と熱く語った。


 この送辞と答辞を録画しておけばよかったと思ってもあとの祭りだ。

 卒業生だけでなく在校生も聞くことができれば、わたしのように感銘を受ける人はたくさんいただろうに。

 会場に卒業生以外の生徒は生徒会関係者が何人かいるくらいで、本当にもったいない。


 ダンス部の部員にこのことを話したいという思いに駆られた。

 しかし、パフォーマンスが終わると彼女たちは自分が踊ったダンスについて興奮気味に語り合っていた。

 とてもわたしが割り込める状況ではない。

 わたしの願いが叶ったのはその翌日のミーティングが終わってからのことだった。

 帰り道にさつきちゃんがわたしの話を熱心に聞いてくれたのだ。


 彼女はわたしのような口下手な人間の話でも嫌な顔をせずに耳を傾けてくれる。

 見た目はどこにでもいるような女の子だけど、彼女の周りに人が集まるのは当然のことだった。


「美衣ちゃんが自分からそんな風に話すのって珍しいよね。でも、ええことやと思うよ」


 さつきちゃんに指摘されて、自分でもこんなことは初めてだと思った。

 これまでわたしには他人に伝えたいと思うようなことなんてなかった。

 心の中を空っぽにしてただ時間が過ぎていくのをじっと待つような生き方をしてきたから……。


 ダンス部では頑張ったことに対してみっちゃんや先輩がよく褒めてくれる。

 わたしはマネージャーだけど不器用だしそんなに気がつく方ではないので、せめて一生懸命にやろうと思っていた。

 その姿をちゃんと見てもらえることが嬉しかった。

 それに最近マネージャーが増えて、自分だけがとんでもなく出来が悪いと思っていたことが誤りだと分かった。

 みっちゃんは凄すぎるし、さのっちも要領が良い。

 それに比べて……と思っていたが、新しく増えた子たちはわたしと似たようなレベルだった。

 わたしが躓いたところで彼女たちも躓くのを見て、少しだけ肩の力が抜けた。

 もちろん、うかうかしていたらすぐに追いていかれるだろう。

 先任のマネージャーとしてサポートしながら、彼女たちに負けないように頑張ろうと思うようになった。


 家でも親や姉からバカにされる毎日から少しだけ変化があった。

 姉がわたしと距離を置くようになったのだ。

 ストレスを発散するターゲットにされていたが、最近は無視されるくらいだ。

 わたしも関わりたくないので、それはかえってありがたかった。

 姉は苛立つ態度をわたしの前でだけ見せるが、その数は前よりも増えている。

 それなのになぜわたしに当たらなくなったのか不思議だった。

 原因に気づいたのは、たまたま母に近づいたら怯えた目で見られたことがあったからだ。

 身体ばかり大きくなりやがってみたいなことを言われた。

 確かに中学生になって身長が伸びた。

 それにダンス部の子からも最近逞しくなったねと言われている。

 ガリガリで、骨と皮だけだった体つきがいつの間にか変わっていた。

 ダンス部ではマネージャーも身体が資本だからと筋トレが推奨されている。

 人数合わせで練習に混ざることもある。

 マネージャーとしていちばん下っ端だったから率先して参加していたが、マネージャーの人数が増えたいまもわたしに声が掛かる。

 そんな生活を続け、気がつけば姉と身長が並んでいた。

 本気で喧嘩をすればわたしが勝つかもしれないと思うくらい筋肉もついた。

 そのことに姉が先に気づき、わたしを避けるようになったのだろう。


 そんなことを考えながら卒業式の出来事を話し終えると、さつきちゃんは真剣な顔で何か考え込んでいた。

 わたしは自分のことに夢中で、さつきちゃんの様子をあまり見ていなかった。

 何か気に障るようなことを言ってしまったかと不安になって名前を呼ぶと、彼女は「うちも聞きたかったなあ。むっちゃ心に刺さったわ」とわたしに笑顔を向けた。


 その時に考えていたことの結論が昨日の退部宣言なのだろう。

 わたしは先輩たちの言葉を伝えただけだが、言わなければよかったという後悔がずっと胸の中にある。


「辞めるのは時間の問題やってん」


 彼女はそう言うと上を向いた。

 校庭には桜が植えられている。

 東京では開花が宣言されているが、こちらはまだつぼみの状態だ。

 この暖かさだからすぐにでも咲きそうだけど。


「みんなが残念やって引き留めてくれるんは嬉しいけど、これが可馨クゥシンならこんな騒ぎじゃ済まへんかったやろな」


 彼女の親友の可馨ちゃんはいまやダンス部のエースだ。

 振り付けなども担当していて、なくてはならない存在になっている。


「わたしはさつきちゃんが辞めた方が寂しい」


「ありがと」とこちらを見たさつきちゃんの目が頼りなげに見えた。


 考えてみれば彼女はわたしと同じ中学1年生だ。

 凄い子だと言っても不安を感じない訳ではないだろう。

 わたしは勇気を振り絞る。


「ダンス部を辞めても友だちでいて欲しい」


「当たり前やん」と言った彼女の顔には安堵の色があった。




††††† 登場人物紹介 †††††


山瀬美衣・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。家族から虐げられ学校に友だちもいない悲惨な小学生時代を過ごした。それが当たり前になっていて何も考えない感じないことで心を守っていた。


沖本さつき・・・中学1年生。ダンス部。自分がいちばんでないと気が済まないという訳ではないが、いちばんを目指せるものに挑戦したいという強い思いがあった。


可馨(クゥシン)・・・中学1年生。さつきの親友。彼女の退部をまだ完全には納得していない。


小倉美稀・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。気が利くし、自分の意見をはっきり言えるので次期副部長候補のひとりに挙げられている。面倒見も良く、美衣は彼女のお蔭でマネージャーとして自信を持つことができた。


原田朱雀・・・中学2年生。卒業式で送辞を担当した。前日に大役を押しつけられたので、一晩考えたことを自分の言葉で語った。生徒会長が考えた原稿は紛失したことになっている。


日々木陽稲・・・中学3年生。卒業式で答辞を担当した。かなり緊張していたが愛の力で乗り越えることができたと彼女自身は語っている。

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