令和3年3月9日(火)「ウサギ」山口光月
「どうしたの?」と声を掛けると、「光月、ちょっと変」と言われてしまった。
ここは美術準備室。
いつものように放課後ほたるとふたりで絵を描いている。
彼女は普段一心不乱にスケッチブックと向き合っていることが多い。
それがいまはわたしの方を見つめていた。
気になってわたしから問い掛けたのだ。
ほたるを動物に喩えるならウサギだろう。
犬や猫に比べると何を考えているのか読み取りづらい。
人間に関心を示さずあくまでマイペースな印象。
しかし、古くからキャラクター化されているように人を惹きつける魅力がある。
それに、慣れてくれば同じ哺乳類なのだから気持ちも通じ合える……はずだ。
「ああ、卒業式が近いからもの思いにふけっていたのかも」
わたしの回答にほたるは無反応のように見える。
だが、最近その瞳を観察すると納得できたかどうかが分かるようになった。
いまは「何を言っているの?」と思っている顔だ……たぶん。
「お世話になった高木先輩が卒業しちゃうからね」と言葉を付け足す。
まだ納得とはほど遠いようだ。
彼女は基本他人に無関心なので、こういう感傷とは無縁なのだろう。
「親しい人が卒業すると悲しいものなのよ」
「会おうと思えば会える」
「それはそうだけど……」
引っ越しじゃないのだから決して会えなくなる訳じゃない。
自宅から高校に通うだけなのだから、どこかでばったり会うこともあるだろう。
それにいまは引っ越してもSNSで繋がることも可能だ。
だから、ほたるが言う通り特別な別れではないとも言えるのだが……。
「それでも悲しいと思ってしまうのが人間なのよ」
そう口にはしたが、ほたるのお蔭で気持ちは軽くなった。
そこまで見越して言った訳ではないだろうが。
先日、先輩は合格の報告をしに美術室を訪問してくれた。
第一志望の高校の美術科に合格したのだ。
そこに関心を示した部員は少数だったが、わたしは素直に凄いと思った。
自分では無理だと思うだけに、美術科ってキラキラした憧れの場所というイメージがある。
高木先輩は絵の才能がある人だから合格するのは当然だ。
ただ、身近な人が特別な世界へ旅立つというのは手が届かない存在になっていくようで寂しい気持ちにもなった。
「あと、そうだね。ダンス部は卒業式でパフォーマンスをするし、手芸部はマスクケースをプレゼントするのに、美術部は何もしないんだなって思っていたの」
ほかの部のことを詳しくは知らないが、美術部では卒業する先輩に何かをするという伝統はないようだ。
去年も何もしなかったし、高木先輩によると過去に部として何かをしたケースは記録にないそうだ。
個人的にならスケブを回すみたいなことはあったようだけど。
わたしは高木先輩に新品のスケッチブックを贈ることにした。
表紙の裏に『卒業おめでとうございます。これからも頑張ってください』と文字だけ書いて。
高木先輩相手に自分のイラストを描いて贈る勇気がなかった。
絵の技術が足下に及ばないのは仕方がないにしても、もう少し自信を持ってこれがわたしの絵だと見せられるものを描けるようにならないと……。
「何かした方がよかった?」とほたるに問われ、わたしは首を横に振る。
「決まりだからみたいな感じでするのは後輩の負担になるだけだから止めてって高木先輩が言っていたの」
こういうものは気持ちの問題だから、どうしても何かしたければ個人として行った方がいいと。
わたしだって高木先輩以外の先輩にイラストを描いて贈れなんて言われたら不満のひとつも口にしてしまうだろう。
ダンス部も、卒業式のパフォーマンスとは別に部に所属していた先輩のためにプレゼントか何かをするとももちゃんが話していた。
ただ現役の部員全員でではなく、2年生だけでするそうだ。
入部解禁が7月になった関係で1年と3年の接点が薄く、思い入れのあまりない1年生に強制しないためらしい。
とはいえ、朱雀ちゃんたちは卒業式に参加できるのにわたしはできない。
美術部として何かしていればと思う気持ちは止められなかった。
いまさら言っても仕方がないことと分かっていても。
わたしがそれについて言及すると、ほたるは「誰かにお願いしてみようか?」と言った。
いますぐにでも立ち上がりそうな勢いだ。
彼女は必要を感じない時は他人とコミュニケーションを取ろうとしないのに、必要と感じたら物怖じせずにぶつかっていくところがある。
「いいよ。朱雀ちゃんやももちゃんは頑張った結果特例が認められたんだもの。残念だけど、ルールはちゃんと守った方がいいと思う」
参加したとしても遠くから高木先輩の姿を見るくらいしかできない。
それが分かっていても同じ空気を吸いたいと願ってしまうのが正直な気持ちだ。
だが、同じように思いながら参加できずに涙を飲む1、2年生はきっとほかにもいるはずだ。
わたしだけが特別扱いをしてもらう理由はない。
マスクケース作りを手伝ったけど、あれは友人としてだからちょっと違うと思うし……。
「ほたるは……」と彼女が飛び出して行かないように話題を少し変えることにした。
「来年わたしが卒業したら寂しい?」
1年後のことなんてまったく想像できないが、留年でもしない限りわたしが先に卒業する。
来年の卒業式でいまのわたしのような気持ちに彼女はなってくれるのだろうか。
「……」
ほたるは無言で虚空を見つめている。
考え中といった感じだ。
寂しいと即答してよと思う一方、こうして真剣に考える姿はほたるらしいと思う。
世間一般の”常識”がなく、常に自分の頭で考えて彼女は言葉にしている。
「卒業しても恋人同士だから」と言ったほたるは、続けて「でも、放課後はずっと一緒にいたい」と願望を口にした。
光の加減か彼女の目の色が赤くなっているように見える。
わたしのことを必要としてくれているんだと思うと胸が熱くなる。
「……ほたる」
未来のことは分からない。
だからこそ目の前のこの時間を大切にしたい。
「ごめんね、悲しい気持ちにさせてしまって」と謝ると、ほたるは静かに首を横に振った。
「一緒に卒業しよう。そのために頑張る」
決意をみなぎらせた瞳に向かい、「待って! 何を頑張るの!?」とわたしの悲鳴のような声が絶叫した。
ほたるは予想の遥か斜め上に軽々と跳んで行く。
脱兎のような彼女に常識という鎖をつけないとどんなとばっちりに遭うか分からない。
そう思いつつもほたるには常識に囚われないままでずっといて欲しいという気持ちもあった。
とりあえずいまは「留年なんてしないからね!」と彼女の決意を諦めさせることが最優先だ。
††††† 登場人物紹介 †††††
山口光月・・・中学2年生。美術部。絵を描く部員が少ない美術部で稀少なイラストやマンガを描いていると公言している部員。昨秋以降部活中は部室ではなく準備室でほたると絵の練習に励んでいる。
上野ほたる・・・中学1年生。美術部部長。絵は初心者だが来秋の文化祭でファッションショーを実施するために部長に立候補した。部長として特に何かをすることもなく、ひたすら絵を描いている。
高木すみれ・・・中学3年生。前美術部部長。マンガの作画能力はプロ級だが本人の志望は絵画にあり、それを伸ばすために美術科に進学した。コミュ力のあるオタクと自称していたが実際のコミュ力は低い。
原田朱雀・・・中学2年生。手芸部部長。クラスでは光月や桃子と同じグループであり、そのリーダー的存在。手芸の腕を生かしたいとこれまでも全校生徒に部で作った布マスクを配布するなどしていた。
本田桃子・・・中学2年生。ダンス部。クラスではももちゃん、部ではももちと呼ばれることが多い。




