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令和3年3月7日(日)「妹()」小谷埜はじめ

「妹って良いよね~」


 2週間ほど前に神奈川の空手道場に行って以来ことあるごとに彼方がうっとりした顔でそう呟く。

 現実に妹を持つ身としては聞き捨てならない発言だ。


「彼方は夢見過ぎだって」と言っても聞く耳を持たない。


「私は師匠の最後の弟子だし、部活もやっていなかったから『先輩』みたいな目で見られるのってもの凄く嬉しいの」


 現在あたしたちが所属しているフルコンタクトの道場は高校生以上が対象だ。

 よって高校1年生のあたしたちがいちばん下っ端になる。

 そもそも高校生女子でフルコンタクトをやろうなんて奇特な人間はごく少数だ。

 だから彼方はあたしという同世代の空手友だちができた時も大喜びしていた。


「女の人でも空手をやっているのを見ただけで『都会って凄い!』って感激したくらいだから」と以前彼女は話していた。


 そんな彼方の重圧に負けて、あたしたちは今日件くだんの空手道場に再び行くことになった。

 問い合わせたところ、向こうの道場の師範代が快く許可してくれたからだ。

 あたしは去年まで寸止め空手をやっていたから慣れているが、彼方はフルコンタクトルールですら試合形式の対戦経験が不足していて危なっかしいところがある。

 その懸念を伝えたが、前回の訪問時に彼方の人となりを見て無茶はしないと分かってもらえたことや、稽古では常に大人の目が行き届くようにすると言ってもらえたことで実現した。


「東京は寒いよぉ~」と真冬並みに厚着の彼方を連れて神奈川に行く。


「小笠原も東京なんだろ?」「こんなに寒くないもん」「寒稽古はなかったの?」「あったよ。でも、あっちは今日でも20℃越えているし」「天国だな」「いつか一緒に行こうね、はじめちゃん」


 そんなやり取りをしているうちに目的地に到着した。

 小笠原と違い陽差しはなく風も冷たい。

 それでも空手着に着替え、道場に入ると寒さは忘れてしまう。

 身についた習性のようなものだろう。


 ここの道場の特徴は女子率が非常に高いことだ。

 そして、基本に忠実。

 形では何人もの強豪選手を輩出しているそうだ。

 一方、組み手だと素直すぎる印象を受ける。

 格闘技は結局のところ勝った者が強い。

 勝ち方だなんだときれい事を並べても通用しない世界だ。


 休憩時間になるとあたしたちの周りにこの道場に通う中高生が集まってきた。

 残念ながら今日はキャシーと日野さんはいないが、彼方は楽しそうに受け答えしている。


「奥義とか格好良すぎ!」「必殺技っていくつあるんですか?」「やっぱり凄い修行をしたの?」「キャシーさんにあれだけ勝てるんなら熊にも勝てそう」


 前回来た時の対戦の印象が強いのだろう。

 学校なんかで空手をやっていると言うと異星人でも見るような目で見られてしまうが、ここだと強いことは尊敬の対象だ。

 彼方は自分より大きなキャシー相手に連戦連勝だった。

 この前は休憩中もキャシーにつかまっていてほかの人との交流がそれほどできなかったが、今日はみんな親しげに接してくれる。


「ありがとう」「奥義はいくつかあるけど、試合で使えるものは少ないです」「滝に打たれたりとかはなかったよ」「熊はどうかな……」と応じる彼方は目を輝かせている。


 彼方も「お姉様……じゃなかった、日野さんってどういう人なんですか?」と情報収集に励んでいる。

 唯一苦杯を喫した相手だからその手の内を探るのは当然だ。


「趣味は? 好きな食べ物は? 好みの女性のタイプは?」


「それって対戦に関係ないだろ!」


 あたしのツッコミなどものともせずに日野さんのことを聞いて回っていたが、めぼしい情報は得られないようだ。

 道場に現れるのがレアキャラ並の確率で、挨拶できただけでも超がつくほどのラッキーなのだそうだ。


「形についてはあの神瀬こうのせ姉妹が注目するほどですし、トレーニングのことも詳しくて師範代が相談するレベルです」と教えてくれたのは美空みくちゃんだ。


 彼女は前回彼方のストレッチを手伝った縁で、今回は案内役を買って出てくれた。

 あたしの妹と同じ歳だが、明るく元気で取り替えたいと思うくらいだ。

 そんな美空ちゃんから彼方にではなくあたしに相談があった。


「もっと強くなるにはどうすればいいですか?」と。


「どうして、あたし?」と驚いて聞いてしまう。


 言っちゃなんだが、あたしは彼方のおまけくらいにしか見られていない。

 あたしも腕には自信があるが、彼方に比べれば弱いので仕方がないことだ。

 嫌なら彼方より強くなればいい。

 格闘技界の真理である。


「大島さんとはタイプが違うので参考にならないと思いました。あたしの戦い方は小谷埜さんに近いと思います」


「中学1年生でそういう考え方ができるって凄いね」とあたしは絶賛する。


 あたしは全中――中学生空手の全国大会で自分より格下だと思っていた相手に負けて、初めて自分の戦い方を考えるようになった。

 いまは組み手の試合がやりにくい環境なので、そういう気づきを得られる機会も減っている。


「組み手は対戦経験、特に真剣勝負の量が大切だと思うんだ」


 美空ちゃんの真剣な目に促されて、いままで誰にも語ったことがない思いを口にする。

 あたしは環境には恵まれていなかった。

 先を行く者たちが部活動や道場で対戦経験を積めるのに対して、あたしはなかなかそれができなかった。

 この差は広がりこそすれ縮まらない。

 そんな考えからフルコンタクトに転向したのだ。

 こちらも対戦機会は限られるが、競技人口が少なく早めに転向すれば有利なんじゃないかと想像した。

 早くから体重別で取り組めるというのもメリットだ。

 一種のリセット技だが、あたしはそれに賭けた。


「ここだと対戦機会に恵まれているね。でも、相手に本気を出してもらわないと得られるものは少ないよ。そこをどうするか考えてみたら?」


 空手自体のことはこの道場の指導者に任せた方が良い。

 あたしは別の角度から強くなる秘訣を伝授した。


「いまのはじめちゃん、お姉さんしていたよ」といつの間にか側で見ていた彼方がニヤニヤ笑いながらからかう。


「うっせえわ」


 あたしは照れた顔を見られるのが恥ずかしくてそっぽを向いた。

 こういうのはあたしのキャラじゃない。

 でも、「ありがとうございます」と頭を下げた美空ちゃんを見ていると、こういう妹なら居てもいいなと思うのも事実だった。




††††† 登場人物紹介 †††††


小谷埜はじめ・・・高校1年生。小柄だが、攻撃重視の空手をする。策士を気取っているが、試合になると勢い重視になりがち。中学1年生の実妹とはほとんど口をきかない関係。


大島彼方・・・高校1年生。中学まで小笠原で育った。96歳になる師匠の最後の弟子であり、ほかの兄弟子ともかなりの年齢差がある。古式の流れを汲むかなり独特な空手を身につけている。


保科美空(みく)・・・中学1年生。地元だが可恋とは別の中学校に通っている。組み手の大会がほとんど中止になっているため強くなった手応えを感じられないでいる。


日野可恋・・・中学3年生。形の選手だが、はじめや彼方に組み手で勝利した。トレーニング理論の専門家でもあり、少ない練習量でいかに効果を得るかが研究テーマ。寒さが大の苦手。


キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。12日からの春休みまでは勉強の遅れを取り戻すため自宅に縛り付けられている。

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