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令和3年2月9日(火)「入試前夜」須賀彩花

『日野さんから、プレッシャーを楽しめってメッセージが来ていたよ』


 明日は志望校の入学試験がある。

 夜、わたしは同じ高校を目指す綾乃に電話を掛けた。


 入試前夜の過ごし方は何が正解なのかは分からないが、既に合格を果たした美咲からメンタルが大切だとアドバイスを受けている。

 最後の最後まで勉強して自信をつけるのもありだ。

 でも、わたしはリラックスして明日に備えようと思う。

 この考えに賛同してくれた綾乃といまこうして話をしている。


『私には難しい』と話す綾乃に『頑張ったんだから、きっと大丈夫だよ』と前向きな言葉を贈る。


 年が明けてからの綾乃は目に見えて変わった。

 飄々として頑張っている姿を他人に見せようとしなかった彼女がプライドをかなぐり捨てたかのように必死になって勉強した。

 無理をしているようにも感じたが、ゴールは目の前だからわたしは何も言わなかった。

 悔いを残さぬよう全力を尽くす綾乃を応援したかったからだ。


『2年の運動会の前日を思い出すなぁ』


 いままでの人生の中でもっとも寝つけない夜を過ごしたのは2年前の運動会の前夜だった。

 いまも不安がないと言えば嘘になるが、あの時の心臓が締め付けられるような気持ちに比べるとマシだと思う。

 取り柄らしい取り柄のないごく普通のわたしが実行委員という大役を任され、しかも創作ダンスのAチームにも抜擢された。

 一世一代の晴れ舞台であり、いまになるとあれが大きな転機だったことに気づく。


 いまのわたしは充実した中学生活を送ったと胸を張って言うことができる。

 だが、1年生の時は何をしていたのか記憶に残らないほど無為の日々だった。

 周りの目を気にしながら本当に漫然と過ごしていたのだ。

 その後の充実した期間と比べたら何もしていなかったのと同然だ。

 2年生になって幼なじみの美咲と同じクラスになって喜んだものの、最初はグループの中で浮いているように感じて居心地が悪かった。

 美咲も優奈も綾乃もひかりもとても可愛くて、わたしなんかが一緒にいていいのかと思い悩むこともあった。


 最初のきっかけは筋トレだった。

 文化祭でクラスの出し物として行うファッションショーでクラスの女子全員がモデル役をすることになった。

 ランウェイを綺麗に歩くためにまだ1学期のうちから筋トレをして体幹を鍛えるように言われた。

 わたしは要領の良さがない代わりにコツコツやることだけは人並みにできる。

 やればやっただけ身につく筋トレはわたしと相性が良かった。

 この成功体験が自信となり、運動会の実行委員も周りに助けてもらいながら乗り切ることができた。


 それまで挑戦なんてしたことがなかったのだから自分に自信がなかったのは当然のことだった。

 頑張ったことをちゃんと評価してもらい、ますます頑張る。

 その好循環はキチンと評価してくれる友だちのお蔭でもあった。

 ダンス部の副部長になった時は今度は自分がみんなの頑張りを認める番だと思いながら行動した。


 およそ1年にわたるダンス部での活動はわたしを大きく成長させた。

 苦労もあったが、すべてがいまのわたしの血肉となっている。

 その体験がなければこの志望校を目指すこともなかっただろうし、入試前日に穏やかな気持ちで過ごすこともできなかっただろう。


『あの時は綾乃に助けてもらったから、今度はわたしが助けるよ』


 そして、綾乃の存在がどれほど心強かったか。

 ひとりだと踏み出せない一歩を彼女の支えのお蔭で踏み出せた。

 成長したと言っても、ひとりでできることなんてたかが知れている。

 綾乃と共に歩んできたからこそここまで来れたのだ。


『ありがとう。でも、大丈夫』


 その声を聞く限り、本当に大丈夫そうだ。

 かなり追い詰められた様子だった彼女も精神的に立て直すことができたようだ。


『人の心配をしているわたしが……だったら笑い話にもならないんだけどね』と笑ったあと、『じゃあ、そろそろ寝るね』と声を掛ける。


 明日の朝余裕を持って家を出るためには早寝早起きが大切だ。

 すぐに寝つけるかどうかは疑問だが、ベッドに横になっておくことが重要だろう。


『うん。おやすみ』


 綾乃の声を聞いて、わたしはひとつ咳払いをした。

 左手でスマホを握り締める。

 切られてしまえばおしまいだが、綾乃はわたしの言葉をじっと待っていた。


『おやすみなさい。……綾乃、愛してる』


 言ってから、赤面してわたしはベッドに倒れ込む。

 ひんやりと冷たい布団の上で身もだえる。

 それでもわたしはスマホを耳にかざしていた。


『私も……』


 目の前に綾乃がいたらきっと抱き締めていただろう。

 わたしは代わりに自分の布団を抱き締めた。


『……あいしてる』


 いつも声が小さい綾乃だが、その言葉はさらにか細くて危うく聞き逃すところだった。

 電話だから彼女の顔が見えない。

 照れる綾乃の顔を思い浮かべながら、『明日頑張ろう!』と明るい声を出す。

 このままではいつまでも話を続けてしまいそうだったから、断腸の思いで通話を終えた。


 電話を切ると自分がひとりであると急に気づく。

 それで寂しさを感じてしまう夜もあったが、いまは綾乃と心が繋がっていると信じていられる。

 また、否が応でも不安というものは押し寄せてくる。

 学校でも塾でも太鼓判を押してもらったとは言っても絶対に大丈夫だとは言い切れない。

 それでも。

 わたしの中に確信があった。


 努力をしたからといって必ず結果が出るとは限らない。

 わたしのダンスだって優奈やひかりと比べたら全然たいしたことはない。

 努力だけでは埋められない才能の違いはあると思う。

 しかし、わたしたちは正しい道を歩んできたという思いがあった。

 言葉ではうまく言い表せないが、必ず良い結果が出るはずだという予感めいたものがあった。


 ファッションショーの時は努力が実を結んだ。

 みんなが団結し、ひとりひとりが積み上げてきたものが本番の舞台でしっかり発揮できた。

 去年の運動会でもダンス部卒業の舞台でわたしたちはやり遂げた。

 アクシデントがあっても、それを乗り越えることができた。

 手を抜かず、労を惜しまず、正しいことをやり続けていれば必ず道は拓ける。

 それこそが、わたしが中学の3年間で学んだことだった。


 プレッシャーを楽しむことは無理だとしても、自分の力を出し切ることだけは達成しよう。

 結果は必ずついてくると信じて。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・中学3年生。元ダンス部副部長。コツコツ勉強してやっと平均点という感じだったが飛躍的に成績が伸びた。


田辺綾乃・・・中学3年生。元ダンス部マネージャー。かなり成績は良い方だったが彩花に抜かれた。現在彩花とつき合っている。


松田美咲・・・中学3年生。彩花とは小学生時代からの友だち。お嬢様だが親の教育方針により公立の小中学校に通った。志望校の名門私立に合格を果たした。


笠井優奈・・・中学3年生。元ダンス部部長。同じくらいになった当初彩花は優奈に苦手意識を持っていた。美咲の親友。


渡瀬ひかり・・・中学3年生。元ダンス部のエース。高校には進学せずにダンスのプロを目指す。


日野可恋・・・中学3年生。彩花に多大な影響を与えた人物。筋トレの布教が趣味。

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