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令和3年2月1日(月)「敗北宣言」黒松藤花

 今朝はいつもより早く家を出た。

 外の冷たい空気が肌を刺すが、いまのわたしにはそれも心地よく感じる。

 教室には数人の生徒だけ。

 互いに話すこともなく、自分の席についている。

 朝特有の不思議な空気感があり、わたしも静かに着席した。


 その静寂を破って、大きな音を立ててドアが開いた。

 彼女はわたしに気づくと一目散に駆け寄ってきた。

 そのせいで綺麗に並んでいた机が乱れてもお構いなしだ。


「おはようっ!」と元気の良い挨拶とともに、机の上に置いていたわたしの両手を包み込むように握った。


 慌ててその手を振り払おうとしたが、彼女の力は思いのほか強くわたしの力では敵わなかった。

 ギュッと手を握った彼女は覆い被さるように顔を近づけてきた。

 マスクで半分顔が隠れているが、その目は喜びに満ちている。

 まだグループのほかのメンバーは登校していないので助けを呼ぶことはできない。

 身を固くするわたしに彼女はもう一度「おはよう」と言った。


「……おはよう」


 何とか挨拶を返すと、彼女は握る手にさらに力を込めた。

 満面の笑みを浮かべ、「良かった! 嫌われたんじゃないかって心配していたの」と嬉しそうに話す。

 ……こんな子だっけ?

 わたしは普段の彼女を知らない。

 特に印象に残る生徒ではなく、ごく普通の中学生だと思っていた。


「えーっと……」


 今日彼女に告白の返事をするつもりで色々とシミュレーションをしていたのに、予想外の彼女の態度ですべて吹っ飛んでしまった。

 何か話さないとと思うものの、うまく言葉が出て来ない。


「黒松さんって……、あっ、藤花ちゃんって呼んでもいい? あたしのことも名前で良いから」


 そのテンションの高さに押されて、わたしは頷くことしかできない。

 わたしが背中を反らした分、グイグイと顔を近づけ「ヤッター!」と喜んでいる。


「ファッションショーでね、藤花ちゃんを見た時にリッコに似てるなあって思ったの。リッコっていうのはね、あたしが飼っていたペットなんだけど、夏にね……夏に死んじゃったの」


 ニコニコしていた顔が突然泣き出しそうになる。

 感情の起伏の激しさにわたしは呆気に取られていた。


「本当に本当に悲しくて、もうご飯も食べられないくらいだったの。このまま死んじゃおうかって思うくらいに。天国でもう一度リッコと会えればいいなって」


 あたしはグループ外の子の動向に関心がない。

 彼女にそんなことがあったなんて知らなかった。

 もしかしたらみんな色々なことがありつつ教室では普通に振る舞っているだけかもしれないが。


「だから、ファッションショーで藤花ちゃんを見た時に運命を感じたの。それからは藤花ちゃんのことしか考えられなくなって。友だちに……相手のことは秘密にして伝えたら『それって恋だよ』って言われて、そうなんだって思ったの」


 マスクがあって良かった。

 わたしがポカンと口を開けている姿を見られなくて済んだ。


「この前は緊張して言えなかったけど、あたしの気持ちをちゃんと伝えられて良かった。ずっとモヤモヤしていたから」


 彼女はホッとした表情を見せた。

 わたしも話がようやく一段落したようでホッとする。

 できればひと気のない場所で返事をしたかったが、まだ人の少ないいまならここでもいいだろう。


「それでね……」


「あっ、そうだっ!」と彼女はわたしの手を離すと足下に落としていた自分の鞄からスマホを取り出した。


「これっ、見て見て!」と待ち受け画面を見せてくれた。


 そこに映っていたのは白いウサギの姿だった。

 本物のウサギは表情が感じられず、赤い目が少し不気味に見える。


「ね、可愛いでしょ! この子がリッコなの」


 わたしも妹の希を自慢したい気持ちはあるから、彼女の気持ちが理解できない訳ではない。

 しかし、対応に困る。

 引きつった笑みで誤魔化す自分に、登校中の高揚感は何だったのかと思ってしまう。


「これはね、リッコが……」と写真一枚一枚の説明を長々と聞かされ、気がつけば始業の時間になっていた。


 1時間目からドッと疲れた気分で授業を受けていると朱雀ちゃんからノートの切れ端が回ってきた。

 そこには短く『大丈夫?』と書かれていた。

 朱雀ちゃんには彼女のことは話してある。

 そのため割り込まずに見守っていてくれたのだろう。


 わたしはそのひと言で少し冷静になることができた。

 深く息を吐き、改めて朝の会話を振り返る。

 彼女は告白した時とは違う顔を見せた。

 ハイテンションだったことを差し引いても今日の方が本来の姿なのだろう。


 小学生の頃は他人のことはお構いなしにお喋りする子はたくさんいた。

 悪意があってのことではない。

 相手への気遣いが欠けているだけだ。

 だが、そんな子たちの相手をするのは辛かった。

 それを避けようと中学生になってからは友だちを作らなかった。

 いまのグループでお喋りなのは朱雀ちゃんくらいだが、周りの反応を見て千種ちゃんが止めてくれるので負担には感じない。


 彼女のような子は普通なのだろう。

 昨夜電話で話した島田さんのように相手の反応を見ながら話題を変えたり、話を振ってくれたりする子は少数派なのかもしれない。

 それに。

 対等な友人関係を目指すのであれば、千種ちゃんのようにキチンと止めることも必要だ。

 相手にばかり非があるのではなく、止められないわたしにも非があったのだ。


 ……それが分かっても、できるかどうかは別の話だよね。


 わたしは授業中彼女に宛てた手紙を書いた。

 同性の子に告白する勇気を称え、色々と考えるきっかけを与えてくれたことに感謝の気持ちを伝えた。

 その上で、いまの自分では良い関係を築けそうにないと手紙に記す。


 これはわたしの敗北宣言だ。

 前に踏み出そうとした矢先に自分の無力さを突きつけられた。

 やはりわたしには無理だといままでのわたしなら諦めていただろう。

 現実から目を逸らし妹の待つ家に帰れば平穏に過ごすことができる。

 しかし、それでいいのかと問う声が胸の奥から聞こえてくる。


 休み時間になるとすぐにわたしは席を立った。

 手紙を持って彼女の元へ向かう。

 マスクの下でわたしは唇を噛み締めていたが、彼女はそれに気づかず笑顔で受け取った。

 読み始めた彼女の表情が目まぐるしく変わる。

 教室の中はうるさいくらいのはずなのに、わたしの耳には一切音が聞こえなかった。


 手紙から顔を上げた彼女は大きく目を見開いた。

 それから怒りに打ち震えるように顔を歪ませた。

 何かキツい言葉を投げ掛けられると思って、わたしはグッと拳を握る。

 逃げ出してはいけないと思い、なんとか踏みとどまった。


「……あたし、振られてばっかりだ」


 その弱々しい声は告白の時とも今朝のハイテンションな時とも違い、魂の奥底からにじみ出たかのようだった。

 他人との距離感は難しい。

 わたしよりもうまくできているように見える普通の子らもそれぞれに苦労をしているのかもしれない。


 一部始終を見ていた彼女の友だちが「元気出せよ」と慰めた。

 掛ける言葉がないわたしはきびすを返す。

 席に戻るわたしをグループの仲間が見守っていた。


 きっと、わたしは彼女のことを忘れない。

 いや、忘れてはいけない。

 友だちとして接した時間はほんのわずかだったとしても、彼女を通して多くのことを学んだのだから。




††††† 登場人物紹介 †††††


黒松藤花・・・2年2組。おとなしい性格の美少女。それゆえ男子から告白されることは多かったが、初めての女子からの告白にどう答えるか思い悩んだ。歳が離れた妹に対しては亡くなった母親の分まで可愛がっている。


原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。藤花たちのグループのリーダー。思いついたら即行動タイプ。


鳥居千種・・・2年2組。手芸部副部長。朱雀の幼なじみ。猪突猛進の朱雀をうまく操縦している。


島田琥珀・・・2年1組。ダンス部副部長。コミュ力が高く友だちは多いが、親友がいないことを朱雀に相談した。その結果自称お見合いパーティーがオンラインで開かれ、藤花と知り合った。

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