令和3年1月24日(日)「悲しみの中で」笠井優奈
「悪ぃ。来てもらって」
アタシがそう言うと、暗く沈んだ表情で美咲は首を横に振った。
外は小雪が舞っている。
彼女のお嬢様らしい上品なコートをもってしてもこの寒さは防ぎ切れなかったようだ。
アタシは美咲を自分の部屋に案内する。
中学の3年間で彼女がこの部屋に入ったのは数回だけだ。
会うのは彼女の家でが多かった。
美咲は部屋に入ったあともアタシの顔ばかり気にしていた。
彼女をベッドに座らせ、アタシは机の前の椅子に座る。
コートを脱いだ美咲は白いセーター姿だ。
アタシは彼女の顔ではなく、その温かそうなセーターを見ながら「合格おめでとう」と口を開いた。
「ありがとう。……それよりも大丈夫?」
美咲は心配そうにアタシを気遣う。
きっとアタシは相当酷い顔をしているのだろう。
昨日の朝のことだった。
彼からメッセージが届いた。
もう会えないと。
彼はアタシの兄の友だちで、現在大学受験の真っ只中だった。
お互い受験生ということで会う機会は激減していた。
しかし、LINEなどを通じて励まし合うことは続けた。
年が明けてからも、揃って志望校に合格しようねと誓い合った。
本当は本人を問い詰めたかったが、その気持ちを押しとどめ兄に事情を聞いた。
すでにAO入試で大学進学を決めた兄は言葉少なに彼の事情を教えてくれた。
それによると、共通テストの出来が悪く落ち込んでいたそうだ。
いまは自分のことに精一杯で、アタシのことまで気が回らない。
真面目なヤツだから曖昧なままにはできなかったのだろうと推測していた。
「受験が終わったらまたつき合おうと言い出すはずだ」と慰められた。
彼を責める気持ちは欠片もない。
友だちや部活のことを優先しがちなアタシを温かく見守ってくれた人だ。
これまでその優しさにどれほど助けられてきたか。
それを考えると、いま彼が追い詰められている時にアタシが何の力にもなれないことが歯がゆかった。
……結局、アタシが一方的に頼る関係だったのかな。
年齢差があるので仕方がないことかもしれないが、アタシは打ちのめされた。
そして、いかに彼に甘えてきたか気づかされた。
関係を維持するための努力を怠り、彼の好意に縋ってきたのだ。
ショックの真っ只中に美咲から電話が掛かってきた。
それは彼女の合否を知らせるものだと分かっていたので出ないという選択肢はない。
アタシは動揺を見せまいとしたが、隠しおおせることはできなかった。
心配した美咲はすぐにでも飛んで来そうな勢いだったが、それは押しとどめ冷静になる時間を1日与えてもらった。
だが、いまの彼女の様子を見る限り、時間の猶予は功を奏していないようだ。
「ごめん」
大丈夫と答えて笑顔を見せれば美咲の憂いは和らげられるのに、いまのアタシはそれだけのことすらできない。
彼氏のことは美咲にはずっと黙っていた。
それを明かせば彼女は怒るだろう。
最悪、彼氏と同時に親友まで失ってしまうかもしれない。
自業自得ではあるが、そうなったらアタシは立ち直れそうになかった。
まともに美咲の顔を見ることができず、伏し目がちに唇を噛む。
どう納得させればいいか、まったく考えていなかった。
昨日から呆然としたままで、脳は活動を放棄しているようだ。
黙り込むアタシに美咲は「……つき合っている人のこと?」と探るように尋ねた。
ハッとして顔を上げる。
それだけで図星だと分かったのだろう。
美咲は穏やかな笑みを浮かべていた。
「知ってたの?」
「前に横浜でデートしたじゃない。その時に打ち明けようとする優奈の顔を見てそうじゃないかと思ったの」
あれは中2の秋、ご褒美デートと称したクラス企画でのことだ。
アタシは美咲とふたりで横浜に行った。
恋愛の話になり、アタシは美咲にすべてを話そうとした。
だが、タイミング悪くひかりからケガをしたとの連絡が入ってデートは打ち切られた。
その後は特に聞かれなかったので明かすことなく今日まで来てしまった。
「ごめん。隠してて」
アタシは頭を下げる。
土下座をしろと言われたら床に這いつくばっていただろう。
「ちゃんと謝ってくれたからもういいわ。誰にだって話したくないことはあるでしょうし」
美咲はアタシの目を見てそう言った。
昔は世間知らずのお嬢様という目をしていたが、現在の彼女の大人びた瞳は複雑な光に満ちている。
むしろ彼女の瞳に映るアタシの姿の方がいまにも泣き出しそうな幼い子どものようだった。
アタシはポツリポツリと彼との思い出を語った。
出逢い、告白、初めてのデート。
印象深い数々の記憶。
勉強を教わったことも楽しかった体験へと変貌を遂げている。
美咲はひとつひとつに相づちを打ち、真摯に耳を傾けてくれた。
いつからかアタシの目からは涙が零れ、鼻声になりながら語り続けた。
後悔の念も押し寄せてきた。
ダンス部を作ってからはそちらに気を取られて、彼のことは二の次になっていた。
アタシが逆の立場だったらとっくに別れ話を告げていたことだろう。
本当にアタシにはもったいないくらいの人だった。
その人のために力になれないことが悔しかった。
すべての思いを吐き出したアタシは項垂れ、床のカーペットを見つめる。
美咲はアタシの側まで来ると、手を引いてベッドの自分の座っていた隣りに座らせる。
そして、じっと肩を抱いてくれた。
部屋にはエアコンの稼働音とアタシのすすり泣きが響く。
涙が涸れ果てるまで泣いてようやく脳が活動を始めた。
心にぽっかり空いた穴はまったく塞がってはいない。
その穴を感じると寂しい気持ちが湧き上がってくるが、目の前の現実を気にかけるようにはなった。
「ごめん。顔洗ってくる。あと、お腹が空いたな。美咲も何か食べる?」
アタシは立ち上がると美咲を残して部屋を出た。
廊下は肌寒い。
トイレに駆け込み、手洗いを済ます。
鏡に映る顔は「誰やねん」とツッコみたくなる酷いものだった。
髪はボサボサで目元は腫れている。
美咲も呆れていただろう。
簡単にブラッシングを済ませ居間に向かう。
家族とは顔を合わせたくなかったが、仕方がない。
アタシは両手で顔を隠しながら居間に入り、お母さんから食べ物の在り処を聞く。
お母さんが持って来てくれると言うので、アタシは自室に戻った。
ちなみに彼は兄の友だちでもあるので家族公認だった。
昨日の連絡も兄を通じて耳にしているはずだが、放っておいてくれて助かっている。
美咲はアタシが部屋を出る時と同じ姿勢で座っていた。
アタシがいない間も微動だにしていなかったんじゃないかと思わせるほどだ。
こんな行儀が良い子はアタシの周りにほかにいない。
日野は……あれは行儀は良いかもしれないが腹黒だから例外だ。
「ごめん。待たせた」と言うと、美咲は「今日は『ごめん』ばかりね」と微笑んだ。
確かに謝ってばかりだ。
アタシは「そうだね、ごめん」と言ってニヤリと笑う。
そして、「ありがとう、美咲。本当にありがとう」と気持ちを込めて伝えた。
高校が分かれれば疎遠になってしまうかもしれない。
元々彼女とは住む世界が違うのだ。
それでも、彼女に何かあればアタシは全力で助けたい。
そのためにアタシは……。
††††† 登場人物紹介 †††††
笠井優奈・・・中学3年生。中学生になったばかりの頃から彼とつき合っていた。その直後くらいから美咲と仲良くなり、彼氏のことは言いそびれた。
松田美咲・・・中学3年生。無事に志望校に合格を果たした。しかし、真っ先に連絡した優奈がいままで聞いたこともないほど力のない声だったため心配して駆けつけた。




