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令和3年1月10日(日)「もしも……」日々木陽稲

「ごちそうさま」


 ベッドにはテーブルが備え付けられ、その上のトレイに可恋は手にした茶碗をそっと置いた。

 その顔はやつれているとまでは言わないが、元気がないことは明らかだった。

 いつもの覇気が感じられず、歳相応の少女に見える。


「おいしかったよ。華菜さんにお礼を伝えておいて」


 わたしはベッドから少し離れたところに座って、彼女が食事をする様子を見守っていた。

 可恋は普段から感情を表に出すタイプではない。

 それでも一緒に過ごす時間が増えてくると、ちょっとした仕草からその内面に気づくようになった。

 いまの食事は食べなきゃいけないという義務感から黙々と口に運んでいるようだった。


「味覚はあるの?」とわたしは堪えきれずに問い掛ける。


 可恋は昨夜から体調を崩している。

 熱はなく、咳もほとんどない。

 本人は頭痛と倦怠感を訴え、今日は朝から自室に籠もり切りになっている。


「平気」と可恋はわたしを安心させるように頷いた。


 可恋はいつものことだからと言うが、わたしはどうしても心配になってしまう。

 年末年始は極力人との接触を避ける生活を送っていたが、それだって限界はある。

 彼女がよく言うようにリスクはゼロにはできないのだ。


 可恋はわたしが側にいれば心配を掛けないように無理をする。

 それが分かるので、わたしは側にいたい気持ちを抑えていた。

 彼女に負担を掛けないように行動しなければならない。

 可恋が薬を飲み終わると、「持って行くね」とわたしは彼女に近づいた。

 すっとトレイを差し出す。

 わたしはそれを慎重に受け取る。

 手を伸ばせば触れられる距離だ。

 その誘惑に耐え、「ゆっくり休んでね」とわたしは微笑みかけた。


 トレイを台車に載せてリビングに戻ると、「どうだった?」とお姉ちゃんが目で語り掛けてきた。

 わたしは「……おいしかったって」と可恋の言葉を伝える。

 お姉ちゃんはトレイの上の食器をキッチンの流しに運び、テキパキと洗い始めた。

 わたしはひと言断ってから手を洗いに行った。


 戻って来ると、「わたしたちも食べよう」とお姉ちゃんに言われた。

 食卓の上にはすでに昼食が並んでいる。

 お姉ちゃんは今日ここに来る予定ではなかったが、可恋の体調不良を受けてわざわざ来てくれた。

 いまではわたしも少しくらいなら料理ができる。

 でも、可恋には少しでも美味しいものを食べて欲しかったのでお姉ちゃんの気遣いに感謝した。

 それに可恋じゃないがひとりでの食事は味気ないものだ。

 こうしてお姉ちゃんが一緒に食べてくれるのはとてもありがたかった。


「家にいてもわたしひとりだったから気にすることないよ」


 お姉ちゃんは席に着くとそう言ってから両手を合わせた。

 わたしも手を合わせて「いただきます」と声に出して食事を始める。


「転院先、遠いんだね」


 わたしは小声で呟いた。

 最近は食事中の会話を控えているが、つい言葉に出てしまった。


「……みたいだね」とお姉ちゃんはこちらを見ずに答えた。


 年末に倒れたお母さんが転院した。

 県内だが、かなり山奥の方にある病院が転院先だ。

 神奈川県は非常事態宣言が出されているし、連日新規感染者数が最多を更新する勢いだ。

 気が重くなるのでテレビやインターネットのニュースをあまり見ないようにしているものの、医療崩壊なんて言葉が否応なしに目に飛び込んでくる。


 今日お父さんは転院先の病院に手続きのため車で向かった。

 わたしもお姉ちゃんも入院してからお母さんと面会していないので顔を見たかったが、ついて行くことは許されなかった。

 もう少し落ち着いたらという話だが、いつになったら落ち着くのかと思ってしまう。


 作ってくれたお姉ちゃんには申し訳ないが、わたしも食が進まなかった。

 可恋の前で落ち込んだ姿を見せないように気合を入れていた分、お姉ちゃんの前では不安を隠せないでいた。

 先に食事を終えたお姉ちゃんはマスクをしてから最近の高校の様子を話してくれる。


「3年生は本当に大変みたい。ただでさえセンター試験から共通テストへ切り替わるゴタゴタに振り回されていたのに、今度はコレでしょ。一斉休校での授業の遅れを必死に取り戻したところで試験本番が非常事態宣言下なんだから……」


 中学と違って休む生徒も結構いるそうだが、相当ピリピリした雰囲気なのだそうだ。

 感染症は対策を採っていても罹らないとは言い切れない。

 受験は人生の大きな岐路なので失敗したらずっと引きずってしまうかもしれない。


 ……わたしも可恋がいなければどんな思いで高校受験を迎えていたことか。


 わたしは中学受験での失敗がトラウマになっていた。

 それに成績だって余裕がなかったと思う。

 今頃は落ちたらどうしようと不安を抱えながら、必死に受験勉強をしていたはずだ。

 緊急事態宣言やお母さんの入院で動揺し、勉強に手がつかない可能性もあった。


 ……臨玲に落ちる姿しか見えないよ。


 臨玲進学は父方の祖父”じいじ”との約束なので、落ちたら援助がストップしてもおかしくはない。

 わたしがファッションデザイナーという夢に向かって頑張ることができるのも”じいじ”の援助のお蔭だ。

 トラウマの克服や成績向上はわたしひとりの力では成し遂げられなかった。

 可恋の力があってこそだ。

 改めて彼女への感謝の気持ちが湧いてくる。


 ようやく食べ終わったわたしに「夜はどうする?」とお姉ちゃんが聞いた。

 夕食までに可恋の体調が戻れば良いが、それでも無理はさせられない。

 わたしひとりだと何かあった時に可恋の手を借りることになってしまう。

 宅配サービスを利用する手もあるが……。


「お願いしていい? わたしも手伝うから」


 わたしがそう言うと、お姉ちゃんは「任せて」とニッコリ微笑んだ。

 本当に優しくて頼りになる姉だ。

 わたしは「ありがとう」と笑顔を向けた。


「ヒナの笑顔はみんなを勇気づけるから。その笑顔を見れば病気なんて吹き飛ぶよ」


 お姉ちゃんの言葉は大げさだが、わたしも笑顔の力は信奉している。

 落ち込んでばかりいられない。

 可恋やお母さんだけでなく、不安を抱える人たちに少しでも安らぎを与えたい。


「そうだね。そうなれるように頑張るよ」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。ロシア系の血を引く日本人離れした美少女。天使や妖精と称えられることが多い。


日野可恋・・・中学3年生。チート級中学生だが、免疫系の障害があり特に冬場は体調を崩しがち。


日々木華菜・・・高校2年生。陽稲の姉。友人たちからは極度のシスコンと言われている。料理の腕は玄人はだし。

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