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令和3年1月8日(金)「かぐや姫」須賀彩花

 手がかじかむ。

 両手をこすり合わせただけでは冷たさは和らがず、口元に当てマスク越しに息を吹きかけた。


 ……あんまり効果ないや。


 マスクをずらせばいいだけの話だが、なんとなく躊躇われた。

 どうしようかと迷っているうちに「おはよう」と声を掛けられた。


「おはよう、綾乃」とわたしは元気に挨拶を返す。


 彼女の顔を見てホッとした。

 前回緊急事態宣言が出た時は彼女のお母さんが外出を一切許さず、顔を合わせることが長い間できなかったのだ。

 再び宣言が出されてわたしが真っ先に心配したのが綾乃のことだった。


「学校に来れて良かったね」


 彼女のお母さんのことは話題にしづらい。

 綾乃は元々自分のことをあまり多く語らないが、特に母親の話は避けているようだった。

 親友といえどどこまで踏み込んでいいか分からず、緊急事態宣言が出ると聞いてからも彼女に大丈夫か聞けなかったのだ。


 綾乃は長い睫毛を瞬いてから「うん」と頷いた。

 それ以上話す素振りがなかったので、わたしは「行こうか」と促す。

 今日から新学期。

 わたしと綾乃にとって中学生活最後の3ヶ月の始まりだ。


 3年3組の教室は普段とあまり変わらない感じだった。

 冬休みが終わり、久しぶりに顔を合わせた生徒たちが和気あいあいとお喋りをしている。

 4組の優奈からは、3組は仲が良いとよく言われる。

 実際はいろいろと対立があったりもしたけど、褒められて悪い気はしない。

 その立て役者は学級委員を務める美咲だ。

 彼女の懸命の努力があってこそ、この良い雰囲気が生まれた。

 今日その美咲の姿は教室にない。


「思っていたよりみんな来ているね」「そうだね」


 高校受験を目前に控えもっと欠席する生徒が多いと思っていた。

 意外と、と言っては失礼だが、みんな真面目だ。

 その中でぽっかりと空いた席の主、美咲は昨日わたしに連絡してきた。


『両親と話し合って受験が終わるまで学校を休むと決めました』


 美咲の第一志望は東京の名門女子高だ。

 試験まであと2週間しかない。

 彼女は並々ならぬ決意を持って受験に臨んでいた。


 美咲はわたしたちとは本来住む世界が違う人間だ。

 わたしから見ればどちらも凄いお金持ちという感じの日野さんが、美咲のことを次元が違うと表現していた。

 普通だったらずっと私立の学校に通うはずの美咲は両親の教育方針によって公立の小中学校に通学している。

 視野を広げ、経験を積むためだそうだ。

 それを終え、高校からは彼女に相応しい場所で学ぶことになる。

 この高校受験はこれまでのやり方が間違っていないと証明する機会だと彼女は捉えていた。


『頑張ってね。応援しているから』と伝えたわたしの言葉は本心だ。


 だが、こうして彼女が教室にいないと一抹の寂しさも感じてしまう。

 美咲と一緒に過ごせる時間は残りわずかなのに……。

 遠い世界へ旅立つ友との思い出をもっと心に刻みたかった。


 そんな心情を綾乃に吐き出すと、彼女はわたしの手を取り「気持ちは分かるよ」と同調してくれた。

 わたしは気持ちが軽くなり、「ありがとう、綾乃」と礼を言う。

 いつも綾乃はわたしを助けてくれる。

 感謝の気持ちを込めてギュッと抱き締めると綾乃はおとなしく身を任せた。

 開け放たれた窓から冷たい風が入り、こうしていないと凍えそうという下心もあったけれど。


 今日はお昼前には帰宅だ。

 日が照って少しは気温が上がったものの、真冬の寒さが身に沁みる。

 わたしと綾乃は帰りに4組の教室を覗いてみた。

 最近登下校を美咲と一緒にしていた優奈が寂しそうにしていないか気になったのだ。


「優奈。一緒に帰る?」と聞くと、なぜか優奈はわたしの顔ではなく隣りにいた綾乃の顔を見る。


「今日だけな」と言って優奈は鞄を手に立ち上がった。


「美咲は当分欠席するのだから、しばらく一緒に帰っても……」と口を開くが、「アタシのことはいいから」と優奈はすげなく断った。


 優奈は友だちが多いのでわたしが心配しなくても大丈夫だろう。

 そう思って、それ以上強くは勧めない。


「美咲、優奈には相談したの?」と尋ねると、「まあな」と優奈は答えた。


 昔だったら自分が相談されなかったことに落ち込むところだ。

 相手の心配よりも自分のことを気にするような人間に誰も相談なんて持ちかけないと当時は気づかなかった。


「いまは勉強に集中するためにも休んだ方がいいんじゃないかって言っておいた」


「そうだよね。美咲のお母さん、持病があるって心配していたし」


「……美咲はずる休みみたいで罪悪感があるんだって。アタシなら親が許してくれたら喜んで休むけどな」と優奈がニヤリと笑う。


「あー、わたしも自分だけ休むのはできないかも」と胸に手を当てて言うと、優奈はすぐに真顔になって「もし美咲が不安になって相談してきたら心配するなって言って欲しい。……そうだな、日野みたいに堂々としていれば良いとか何とか」とわたしたちに頼み込んだ。


 わたしは優奈の美咲への気遣いを感じて「分かった」と素直に応じた。

 綾乃もわたしのあとに続いて首を縦に振る。


「みんなの合格が決まったら盛大に遊ぼうぜ!」と気持ちを切り替えるように優奈が提案する。


「その頃には緊急事態宣言も解除されているといいね」


 せっかく優奈が盛り上げようとしてくれたのに、わたしの言葉が水を差してしまった。

 優奈は「ま、そうだな」と答え、綾乃は「きっと大丈夫」とフォローしてくれたが居たたまれない気持ちになる。

 わたしは取り繕うように「美咲が遠い世界へ行ってしまう前に思い出をたくさん作っておきたいよね」と声に出す。


「かぐや姫かよ」と優奈が笑った。


 そう、かぐや姫だ。

 遠い月の世界からやって来た美少女はもうすぐ月へ帰ってしまう。

 その限られた時間が緊急事態宣言によって奪われようとしていた。

 落ち込むわたしの肩を優奈が叩く。


「また会いたくなったら月に行けば済む話じゃんか」


 わたしも優奈のように地面から飛び立つことができるだろうか。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・3年3組。2年生の夏頃までは何ごとにも自信のない生徒だったが、周囲の支えもあってぐんぐんと成長した。


田辺綾乃・・・3年3組。成長していく彩花の姿に惹かれて再三アプローチをかけたが超鈍感な彩花には通じなかった。昨年10月下旬に優奈のお蔭で彩花とつき合うことになる。


松田美咲・・・3年3組。2年1組でこの4人がグループだった時の中心人物。超がつくようなお嬢様だが、努力を重ねて成長を続けている。彩花とは小学校時代からの友人。


笠井優奈・・・3年4組。ギャル風の外見だが中身は熱血漢。ダンス部の初代部長を務めた。美咲の親友で、最近彼女からストーカーについての相談を受けた。優奈は相手の姿を見ておらず、美咲の気のせいである可能性が高いと思っているが、そのことも含めて欠席を勧めた。

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