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令和2年12月28日(月)「噛み合わない会話」藤原みどり

「中学校の教師にとっては高校進学がゴールだと感じても、生徒にとっては新たなスタートの始まりなのよ」


 閑散とした職員室で私が熱弁を振るうと岡部先生は真剣な顔で聞き入っていた。

 若輩である私の教育論を君塚先生あたりに聞かれたら嫌味のひとつも言われそうだが、彼女は私を尊敬の眼差しで見つめてくれる。


「岡部先生も来年は受験生の担任を務めるのだから、進学後のことも考えて進路選びをアドバイスしてあげないと」


 最近高校中退に関する研究書を読み、それに感化された私は実際のデータを並べながら来年度受験生を受け持つ教師の危機感を煽った。

 この問題は決して高校だけで解決するものではなく、その入口に当たる中学での進路指導のあり方も見直すべきだと書かれていた。

 今年度私が受け持っている3年生のクラスの進路指導は副担任の君塚先生に頼る部分が大きかったが、目の前の後輩教師はそれを知らない。


「生徒たちの未来はあなたの双肩に掛かっているのよ。私は転任が決まり力になってあげられないけど、しっかりやってね」


「はい。精一杯生徒たちのために頑張ります」


 素直な返事に私は微笑を浮かべて頷いた。

 公立学校の教師に転任はつきものだ。

 市内の中学校は10校に満たないのでまた彼女と同じ学校になるかもしれないが、とりあえず春にはお別れだ。

 私が玉の輿に乗って結婚退職をするかもしれないしね。


「日々勉強。常識は更新していかないと」と得意げに語った私は参考にした本のタイトルを挙げた。


「体育教師には理解するのが難しいかもしれないけど、この本を読んだと話したら君塚先生もほうっと感心していたわよ」


 新書のような軽い本ではないので、読むのは大変だった。

 それでも読み切ったのは国語教師としてのプライドゆえだ。

 なにしろ研究書なので高価だ。

 これが国語の授業に関するものであれば自腹を切ることも一考するところだが、それとは関わりがない。

 この本を勧めてくれた日野さんが貸してくれるというから読み始めた。

 規格外とはいえ中学生の日野さんが読めて国語教師の私が読めなかったとは死んでも言えないので、借りたことを後悔しながら必死に読み通した。

 結果的には君塚先生に一目置かれたので読んだ甲斐はあったというものだ。


 岡部先生は書名や著者名を丁寧にメモに取る。

 それを横目で見ながら「それにしても……」と私は口を開く。


「今年度は仕事量が1.5倍くらいに増えたのに給料は据え置き。これって搾取よね」


 通常の業務に加えて感染症対策が求められた。

 様々な学校行事も感染症対策の視点から見直された。

 休校で遅れた分を取り戻すために授業は詰め込み気味となり、教える側の負担も増した。

 そして、夏休みは短縮され、冬休みになってようやくひと息つけるといった状況だ。


「岡部先生は真面目すぎるからもう少し仕事量をセーブした方がいいわよ。あなたが普通と思われると周りが迷惑するのだから」


 私の忠告に一瞬言葉を失った彼女は「気を付けます」と殊勝に答えた。

 彼女は体育教師だから体力には自信があるのだろうが、同年代の私は何かと比較され迷惑を被っている。

 特に7月以降通常通りに戻ってしまった部活動に対する負担はかなり深刻だった。

 私はソフトテニス部の顧問のひとりだが、「岡部先生はひとりで大所帯のダンス部の顧問を務めているのに……」と嫌味を言われて大変だった。

 良い仕事をするためにはしっかり休息を取ることが大事という正論は職員室では通用しない。


 私のそんな愚痴に対して彼女は「ダンス部は生徒主体で運営していますし、練習日も多くありませんから負担は小さいです」と弁解した。

 その言葉は私にではなくほかの先生方に言って欲しいものだ。

 私はわざとらしく溜息を吐く。


「前から言っているように岡部先生はもっとプライベートを充実させないと。最後にデートしたのはいつ?」


「え、いや……、それは……」


 珍しく、若さが足りない体育教師が冷静さを失った。

 それを見て私はほくそ笑む。

 今年は飲む機会がまったくないのでストレスが解消できない。

 彼女には悪いがたまにこうしてからかってしまう。


 私は若いので感染したところで普通の風邪と変わらないと思っている。

 だが、学校でクラスターが発生し、その原因が私だとなればこれまで積み上げてきた私の評価は吹き飛んでしまう。

 学校という閉ざされた世界では絶対に犯人捜しが行われるし、噂は瞬く間に広まるだろう。

 それを避けることは何よりも重要で、合コンの誘いを泣く泣く断ったことが何度もあった。


「若い人は恋愛にうつつを抜かしているなんて批判する人もいるけど時代が違うのよ。いまは結婚相手は簡単に見つからないし、子どもが欲しいなら高齢出産は避けたい。保健体育を教えているのなら分かるよね?」


 私の勢いに押されるように岡部先生が頷く。

 仕事に追われて出逢いがまったくない1年を過ごしてしまった。

 2020年が過ぎ去ろうとしているいま、そんな焦りの気持ちがこみ上げてくる。


「20代も半ばを過ぎたらすぐに三十路よ! 私が10代の頃は30歳なんてもう人生終わりって感じだったのに」


 ついこの前教師になったと思ったらもう丸4年が過ぎようとしている。

 社会人になってからは時間の経過が早くなった。

 ぼやぼやしていたらあっという間にお婆さんになってしまう。


「学生の頃は時間が無限にあって、可能性はいくらでもあるって思っていたのに……。大人になるって残酷だと思わない?」


 私の悲鳴のような嘆きに対し、彼女は穏やかな笑みを浮かべて「でも、得られたものも大きいと思います」と答えた。

 同意の言葉が返ってこなかったことに、私は険しい目つきで彼女を睨む。


「得られたものって何よ?」


「……自由でしょうか」


 私は不審げに顔を歪めた。

 自由は学生時代の方が遥かにあった。

 教師になってからは己の不自由さを嘆き、生徒たちを羨む気持ちが強い。


「学生の頃って大人の管理下の自由じゃないですか。大人になると自分ですべてをコントロールする、責任を伴った自由が求められるのでワクワクします」と岡部先生は自分の胸に手を当てる。


「それのどこが『得られたもの』なのよ。責任なんて厄介なだけじゃない」


 私がそう言うと、彼女は戸惑った顔を見せた。

 しかし、すぐに表情を切り替えると「そうですね」と同意する。

 その声音はどこか悲しげだった。




††††† 登場人物紹介 †††††


藤原みどり・・・3年1組担任。国語教師。仕事に対する評価は高いが、一方で教師としての自覚に欠けるという指摘も受けることがある。


岡部イ沙美・・・2年4組担任。体育教師。教師になって2年目で、4年目のみどりにとっては校内で唯一の後輩に当たる。ダンス部顧問。


日野可恋・・・3年1組。免疫系の障害があるため今年度は登校を自粛している。そのため担任の藤原が頻繁に連絡を取っている形だが、どちらが相談に乗っているのかはふたりだけの秘密。

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