令和2年11月26日(木)「闇に差す光」日野可恋
私立学校の経営は闇だ。
独自のルールに支配された帝国と呼んでもいい。
一種の治外法権のようなものであり、その内実は外からでは見えない。
顧客である生徒の保護者よりも学校側が力を持つケースが多い。
臨玲のように伝統の上に胡座をかいていた学校は特に闇が深い。
理事長と学園長との醜い権力争いが終わっても膿を出すのに手一杯で、ブランドイメージ向上のための改革にはほとんど手がつけられていない。
それどころか本気で改革を行う気があるのかどうかさえ疑わしい。
『この制服は臨玲を象徴するものです。改革案が理事会で承認されることはないとお考えください』
『新しいブランドイメージを構築しないと本当に終わってしまいますよ』
『理事長にはお伝えします』
取りつく島もなく北条さんは電話を切った。
春に入学する予定の臨玲高校の制服は、よく言えば伝統的、生徒視点では古臭くてダサいセーラー服だった。
ひぃなが嫌っていることもあって、何度も北条さんと交渉しているがまったく相手にされない。
臨玲の顧客は生徒ではなくその保護者であり、学校の名前に価値を抱くのは父母世代よりも更に上の祖父母世代である。
そこに受けが良いセーラー服を変更する気はサラサラないようだ。
学校がシルバー世代と心中しようが、3年経てば卒業する私にはどうでも良いことだ。
古臭いセーラー服だろうと、最新のセーラー服だろうと、私は気にしない。
極力スカートを穿きたくないので、制服を着なくて済む方法を考えたいくらいだから。
しかし、ひぃなは制服改革を入学前から目標に掲げている。
気の早い話だが、祖父の願いで進学する学校だけに何かしらの目標が欲しいのだろう。
理事長の右腕である北条さんにはこれまで相当の無理を聞いてもらった。
不正と追及されても仕方がないレベルで便宜を図ってもらっているので、さすがにこれ以上私に与えられた使命とは無関係のところで力を借りる訳にはいかなかった。
私はスマホを持ったまま自分のベッドに寝転がった。
昨日大学病院で定例の検査があり、その疲労が抜け切っていない。
新型コロナウイルスの感染拡大が続き、病院は非常に神経質になっていた。
検査などせずに引き籠もっていたいというのが正直な気持ちだったが、こういう時だからこそできる時にしっかり検査しましょうと言われると頷かざるをえなかった。
しかも今日はひぃなが実家に帰ってひとりきりだ。
彼女は定期的に自分の服を整理するために家に帰る。
普通の中学生の何十倍もの衣服を所有し、それらをいつでも着られるように自分で管理している。
松田さんは業者にやってもらっていると言っていたが、ひぃなは自分でやらないと気が済まないようだ。
膨大な衣類が私の家の客間を埋め尽くしているのに、それでも彼女が所有する服の一部なのだ。
昨日私の留守中にその一部を父親の車で運んでもらい、明日の放課後に大量の服を抱えて戻って来る予定となっている。
ひぃながいると弱った姿をあまり見せたくなくて無理をしがちだ。
だから、たまにひとりになるのは精神的に楽だったりもするのだが、今日はどちらかというと彼女にいて欲しい気分だった。
私は寝転がったままスマホを操作する。
昨日連絡があった中から返信が必要なものをピックアップする。
そのひとつに私は電話した。
『時間いい?』と挨拶なしに尋ねると『時宜にかなう』と小鳩さんが答えた。
時間的に帰宅して間もない頃だろう。
私は『昨日連絡をくれたみたいだけど?』と話を始めた。
『来週火曜日に生徒会長選挙が実施される。久藤亜砂美に対立候補が出現した』
『それで?』
『久藤は煩悶しているようだ』
私がその対立候補について質問すると『詳細は聞き及んでいないが2年の男子生徒だ』とのことだった。
小鳩さんは心配そうな口調で昨日の久藤さんの様子を説明する。
『負けたからって命が取られる訳じゃないのだし、気を落とすなと励ましてあげたら』
『敗北前提か?』と彼女の声は不満そうだ。
先日笠井さんからもダンス部の今後について相談をされたが、間もなく卒業する3年生があまり手を出しすぎるのはどうかと苦言を呈しておいた。
その上で、精神論で片付けるのではなく責任ある仕事を大量に押しつけてあげればいいとアドバイスした。
『彼女なら自分でなんとかするんじゃない。小鳩さんはこういうことには向いていないから見守るだけにした方がいいわ』
まだ手を貸したそうな小鳩さんに『黙って見守るのも上級生の役目よ』と忠告する。
久藤さんの場合やりすぎの危険がある。
そこに小鳩さんが首を突っ込んで巻き込まれるのは久藤さんにとっても不本意だろう。
なんとかそれで納得させたあと、私は『小鳩さんにむやみに心配を掛けないように』と久藤さんにメールを送った。
さて、そろそろ夕食の準備をする時間だ。
ひぃながいれば彼女のために頑張って作るのだが、今日は簡単に済ませようと思っていた。
昼にスーパーマーケットの惣菜を買っておいた。
そこにもう1品何かを……と考えていたが面倒だ。
どうしようかと悩んでベッドから起き上がれずにいたら、インターホンの音が聞こえた。
ひぃななら事前に連絡があるはずだと思いながら出ると、画面にはふたりの黒人女性の姿があった。
私は驚いて『どうしたの、リサ?』と声を掛ける。
『カレン、ワタシもいるぞ!』というキャシーの声は無視して、『今日は感謝祭よ。こういう時だからパーティーはできないけど、幸せのお裾分けに来たの』とリサが上品な笑みを見せた。
手に持ったバスケットをカメラの方に掲げている。
それにしてもリサが来るのは珍しい。
キャシーは家の中に入る気満々だったが、リサは玄関先でバスケットを手渡すと『上がって一服したら?』という私の誘いを『パパが車で待っているから』と断った。
ふたりはひぃなの顔を見ることができなくて残念がっていたが、『落ち着いた頃にみんなで会いましょう』と約束した。
リサは春に日本の高校を卒業する。
アメリカの大学に進学予定だが、当初の予定では今年の夏に帰国するはずだった。
コロナの影響によって延期されたが、高校を卒業したらアメリカに戻ると聞いていた。
彼女は私の英語の先生でもあり、いまも彼女と話すことで英語力をキープしている。
そして、大学では経営学を専攻するという彼女にその方面の知識もいろいろと授かっていた。
来客が帰ったあと、私はひぃなに電話をした。
キャシーのような騒がしい存在がいなくなると、静寂が余計に身に沁みる。
『どうしたの、可恋』
『食事中じゃなかった?』と聞くと、『いまお手伝いをしているところ』とひぃなは答えた。
『いま、リサとキャシーが来て、ターキーを届けてくれたんだ。感謝祭だからって』
『そっか。あれから1年が経つのね』
1年前はキャシーの家にインターナショナルスクールの生徒たちが押し寄せ、とてもとても喧噪に満ちたパーティーが行われた。
あんな風に何の憂いもなくパーティーを開けるようになるのはいつだろう。
『ひぃなの分もあるから、明日楽しみにしておいて』
『うん』と頷いたひぃなは、『……可恋、寂しくない?』と優しい声で尋ねた。
『寂しいよ。でも、1日だけだから大丈夫』
ひぃなと一緒に暮らすようになって半年以上が経ち、もう彼女のいない生活は考えられなくなった。
私は弱くなったのかもしれない。
でも、私には彼女が必要なのだ。
私の孤独を癒やすことができるのは彼女だけだから。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・中学3年生。NPO法人の代表を務める傍ら、トレーニング理論の研究や各種の勉強を精力的にこなしている。一方で、先天的な免疫系の障害によって特に冬場は体調を崩すことが非常に多い。
日々木陽稲・・・中学3年生。春から可恋の母親で大学教授の陽子先生がコロナ対策として東京に生活拠点を移したため、彼女が可恋と一緒に暮らしている。他人の感情を読み取る能力に長け、他人を近づけない可恋の側にいられる稀有な存在。
北条・・・臨玲高校の主幹で理事長の椚の右腕と言われている。いまだに残る学園長派を根絶するために可恋の力を借りようとしている。
山田小鳩・・・中学3年生。生徒会長。コミュニケーション能力には難があるが、記憶力などはずば抜けている。
久藤亜砂美・・・中学2年生。生徒会役員。次期生徒会長を目指している。
笠井優奈・・・中学3年生。ダンス部前部長。可恋の協力の下でダンス部を創部した。口では可恋を嫌っているが、何かと頼ることも多い。
キャシー・フランクリン・・・15歳。G8。空手・組み手の選手であり、可恋にも勝利した。
リサ・フランクリン・・・高校3年生。キャシーと違って日本語もかなり話せるようになった。




