令和2年11月13日(金)「強者《つわもの》」日野可恋
「私が来る必要はなかったですね」
「そんなことはないさ。君が睨んでくれたお蔭で僕は楽に仕事ができたんだから」
私の言葉に野上氏は大まじめな顔で答えた。
その顔つきから本心はうかがえない。
海千山千といった感じの男性なので言葉の裏を見抜くことを早々に諦め、額面通りに受け取ることにする。
「可恋ちゃ……、おっと日野さん、今日は来てくださってありがとうございました」
その横に立っていた娘のゆえさんが大げさな身振りで深々とお辞儀をした。
それにつられるようにその隣りの矢野さんも続く。
「たいしてお力添えはできませんでしたが、うまくいったようで幸いです」
私はそう言うとほんの少し表情を緩めた。
万事解決とはいかないまでも、とりあえずひと山を越えたことでホッと息をつく。
事の起こりは昨日の早朝に掛かってきた1本の電話だった。
ゆえさんの第一声は『オヤジが暴走しそう! 可恋ちゃん、助けて!』と返答に困るもので、私はこめかみを手で押さえながら『落ち着いてください』と努めて冷静に応じた。
慌てた様子のゆえさんだったが、そこはコミュニケーション能力の高さもあって過不足なくいきさつを説明してくれた。
それによると一昨日の夜に矢野さんから連絡があり、そのただならぬ雰囲気に急いで会いに行ったそうだ。
『アケミは最近クラスのまじめな子たちといつも一緒で、放課後も友だちの家に集まって勉強しているようなの。昨日も3人で勉強会を開いていたんだって』
矢野さんは家庭の事情で大学進学を諦めたと聞いたが、それでも勉強に勤しむのは未練なのか、それとも働きながらお金を貯めて将来大学入学を目指すつもりなのか。
そこまで明確な意図がなく、勉強している時がいちばん精神的に安定するということかもしれない。
そんなことを考えながら話を聞いていると、突然不穏な言葉が発せられた。
『大麻ですか?』と私はその言葉をオウム返しに確認した。
『その家の子が気分が良くなるからって勧めてきたんだって。もちろんその子は大麻だとはっきり言った訳じゃないけどね』
県内の大学の運動部で使用が発覚し問題になったばかりだ。
広まっているとは聞くが、比較的まじめな女子高生の手にまで簡単に渡っているとすれば大問題だろう。
『その場は適当に断って一緒に行った友だちとともに帰ったんだって。でも、だんだん怖くなってわたしに連絡してきたのよ』
このところ疎遠になっていたと聞いている。
だが、こういう時に頼りになるのがゆえさんだったのだろう。
その信頼関係はいまも継続しているようだ。
『そこまでは理解できましたが……』
私が助けを求められたのは矢野さんのことではない。
ゆえさんは苦笑しながら、『アケミから話を聞いたあと、オヤジに相談したのよ。いつも大事な時にはいないのに、今回はちょうどいたから』と説明した。
ゆえさんの父親とは彼女が停学処分を受けた時に何度かお会いした。
ゆえさんが自由人と呼ぶように定職には就いていない。
ただ裏社会を中心にその腕を買われて仕事をすることがあるようだ。
話した印象はつかみどころがないというもので、若輩者の眼力で洞察できるような相手ではなかった。
『それで、どうなったのですか?』
『それが……、明日学校に乗り込むって言い出して……』
『明日、ですか』と私は驚きを隠せなかった。
『最初は今日って言ったのよ。でも、いくら何でも早すぎだろうと思って、なんとか1日だけ引き延ばしたの。許可だとか先生の都合だとかあるって言って』
もし私が相談を受けていたら、情報収集に時間を掛けていただろう。
最終的に学校に乗り込むにしてももっとあとになるはずだ。
余りにも短兵急な印象だが、兵は拙速を尊ぶとも言う。
『可恋ちゃん、その話し合いに同席してくれないかな。オヤジを止められる人はほかに思い浮かばなくて』
結局、私はそのゆえさんの願いを聞き入れることにした。
ゆえさんの父親が問題を起こすとは思わなかったが、どんな交渉をするのか興味があったからだ。
矢野さんに頼んで彼女の保護者代理の委任状を作ってもらい、私はそれを手に彼女たちの高校に赴いた。
普段から高校生以上に見られがちだが、今日はひぃなに教えてもらった社会人用のメイクを施し、スーツでビシッと決める。
マスクと黒縁の伊達眼鏡に、更にセミロングのウィッグをつけて変装した。
このウィッグはひぃなに提供してもらったものだ。
以前、私がつけるためのロングのウィッグを持っていたので、ほかにもあるんじゃないかと問い詰めたら白状したのだ。
ゆえさんや矢野さんには可恋ちゃんではなく日野さんと呼ぶように要請し、高校に潜り込むことに成功した。
授業が終わったタイミングで校内に入り、ゆえさんたちの案内で応接室に向かった。
対応に出たのは2年の生徒指導の教師と矢野さんの担任教師のふたりだった。
こういう時にNPO法人代表の名刺は役に立つ。
挨拶でも法律に詳しそうな印象を与えてから私は席に着いた。
だが、そういう小細工は必要がなかった。
それどころか私がいてもいなくても変わらなかった。
ほぼすべて野上氏ひとりでやってのけた。
私ならもっと脅迫めいた言動を使うが、彼は高校側に同情する姿勢を崩さなかった。
それでいて学校が取れる選択肢を限定させて誘導し、まるで自分たちが決めたかのような結論へと導いていった。
当然学校側にもこうした事態に対するマニュアルは存在する。
だが、現実は臨機応変な対応が求められる。
途中から校長ら管理職の先生も加えて話し合いを続け、問題生徒にどう接するかやその周辺の生徒のケアなどを野上氏が主導する形で決着した。
懸念されていたのは先に噂が広がれば仲が良かった生徒も疑われることだった。
証拠もなしに処分されることはないと思いたいが、時間が経過したあとでやったやっていないという水掛け論になると証明が難しくなる。
例えば1ヶ月後に事件が発覚した場合、一昨日矢野さんが使用していなかったかどうかは証言以外では立証できない可能性がある。
そうした場合、刑事事件と異なり学内の処分は学校側の裁量次第となってしまう。
今回は大麻かどうか確定していないが、それを前提に動くことになった。
そして、処罰よりも回復プログラムを重視した指導をお願いした。
おおむね私たちの要望が通り、矢野さんたちに累が及ばないと保証してもらった。
「夕食を一緒にどうだい? ご馳走するよ」と野上氏が誘ってくれたが、私は丁重に断った。
ひぃなが待ってくれているし、第三波と言われるここ数日の感染状況を考えると外食は避けたかった。
それに……。
「臨玲の情報は何かお持ちじゃないですか?」と別れ際に尋ねると、彼は「あそこはもうケリがついたんじゃないの?」と目を細めた。
ゆえさんは渋い顔をしていたが、私は「もし何かありましたら」と連絡先を交換した。
私同様食事を辞退しようとした矢野さんは「オヤジとふたりで飯なんてまずくなるから」とゆえさんに引き留められている。
ふたりの距離が以前に戻ったようだった。
私は微笑みを浮かべ、一礼して歩き出す。
世の中には私でも太刀打ちできない大人が結構いる。
それは野上氏のような交渉術だったり、母親のような思考力だったり、道場にいる人たちのような強さだったりといろいろだが、自分の強みを自覚している人は人間的な厚みを感じて敵わないと思ってしまう。
そういう人とも必要ならば戦うし、戦いようはあると思う。
しかし、それが見つかるまではあまり側にはいたくない。
……さて、どうやって帰ろう?
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・中学3年生。行きはタクシーを利用した。帰りも結局はタクシーを利用したが、それを聞いた陽稲に無駄遣いと叱られた。なお、華菜は自転車通学(電車を利用することも)。
野上月・・・高校2年生。父親の仕事を間近で見たことがなかったのでハラハラドキドキといった感じで見ていた。しかし、校長が同席した時点で学生は別室待機となってしまいすべては見られなかった。
矢野朱美・・・高校2年生。夏に一緒にいた大学生たちの何人かが大麻に手を出していて、彼女もその時に経験していた。気分が悪くなってしまいもう二度と手を出さないと心に決めている。
日々木陽稲・・・中学3年生。大量のウィッグを隠し持っていたことが発覚し反省中。隠すのではなくもっとオープンにして日常から使ってもらえるようにした方がいいかな?
* * *
「でも、駅まで歩いて電車に乗ってまた歩くなんてかなり遠回りでしょ。いっそずっと歩いた方がいいんじゃない?」
「いや、だいぶ距離は変わるよ」
「そう? 走って帰ろうかなとも思ったんだけど……」
「パンプスじゃ無理だよね」
「スニーカーを持って行かなかったのが不覚だわ」
「そのスーツ姿で走るのは止めて!」




